ワークライフグラデーション1

ワークライフバランスとワークアズライフはバッティングしないのか?

最近、将来の仕事や趣味について考えていた時に思いついて書きました。

「うるっせぇ、仕事は仕事や!俺のプライベートに入ってくんな!」
「なんで俺が遊んでる時に仕事連絡ばっかすんねん。百歩譲って連絡するのは勝手だとして、返事を催促すんのはおかしいだろ。」

と、無表情のままよく頭の中で叫びます。


僕は割とこういう考え方の持ち主です。
いわゆる「ワークライフバランス」に近い考え方ですね。

無駄に真面目な性格をしているので、仕事やバイトの時間中はキチッと仕事するようにしています。逆に終わればさっさと帰りたいし、飲み会も交流会も要らない派です。特にプライベート中に仕事で自分の時間が阻害されるのが嫌いです。

図1 ワークライフバランス



とは言うものの、「ワークアズライフ」の考え方も理解できます。

僕はたまにイベントやプロジェクトなどの企画をするのですが、その時は本当に楽しい。考えてる時も、企画してる時も。
もしこれでお金が貰えるなら、「遊んでるのにお金が貰えるとか最高じゃん」と思ったりもします。


図2 ワークアズライフ]


ワークアズライフとは、簡単に言えば「生活と仕事が融合している」という考え方です。

落合陽一氏が提案した日本人に合った、仕事が生活の一部になってる農民的な生活(ライフスタイル)のことです。

落合陽一氏の著書↓


わかりやすいところでは、すでにYouTuberやブロガー、一部の起業家はそれに近い生活をしています。
例えば、YouTuberは、動画を撮影・編集し、YouTubeにアップロードすることが仕事ですが、それは同時に自らの生活をさらけ出すことでもあります。ただ遊んでるように見えて、実はそれが仕事でもある。そんな感じのコンセプトのことです。

けど、理解はできるけど納得できない。

ワークアズライフって、
「仕事が楽しい」「情熱が持てる」っていうような条件が成り立たないと成立できない。
そして、他人がワークアズライフを強要することもできません。

事実、落合陽一氏もこう言っています。

うーん、まだワークアズライフを全員が出来るわけじゃないみたい。

この時代に、江戸時代の農民のように「生活の一部だから農作業するのは当たり前だ」とはならなりません。普通、過酷で大変なことをわざわざ普段の生活に取り入れたくないですからね。


一方で、ワークアズライフ的な考え方が重要なのもわかります。これから先10〜20年後には確実に単純作業は人間の仕事ではなくなります。また、ベーシックインカムが導入されれば、仕事をする意味はおそらく変わってくることも確かでしょう。

と、以前から気になっていました。
どちらも言ってることはわかるんだけど、現実的に考えて今現時点では無理じゃね?
そんなのできるの一握りの人間だけじゃん??



実は、以前あるビジコンでピョートル氏に会った時に質問したことがあります。
彼は以前googleに勤めていて、働き方などの本をいくつか出しているので、たぶん詳しいやろなぁと思ってとりあえず聞いてみました。

ピョートル氏の著書↓


「ワークアズライフとワークライフバランスはバッティングしないのか?」

彼の答えはこう。

「仕事が楽しくて仕方がないことはない?」
「仕事が遊び化している」
「仕事と遊びの境界があやふやになってきている」

やっぱ、そうか。


確かにコンピューターやネットのおかげで仕事と遊びの境界があやふやになってきている。メディアが一般化し、様々な情報がネットで手に入るようになった。遊びをエンタメやビジネスにすることは昔よりも楽になった。また、既に工場などでの単純作業は機械がやってくれている。危険なことや楽しくないことはコンピューターやロボットにある程度任せれる。
今後AIやロボットのおかげでもっとそうなるかもしれない。
(カワノはシンギュラリティ信者なので割と信じてるけど。)

けど、まだ仕事が遊び化してないというのも事実。現在この2者はバッティングせず、混在している状態にある。

つまり、ワークライフバランスとワークアズライフには途中状態があるはずでは?


【カワノの仮説】
ワークアズライフはいずれ実現されるが、未だ社会や文化、科学技術が追いついておらず、まだ社会実装しにくい。
しかし、ワークライフバランスから少しずつワークアズライフへ変化しつつある。そして時代とともにその変化は余儀なくされる。
その変化途中の状態が今である訳だが、現在ワークライフバランスとワークアズライフは混在してる状態。
そこから考えるに、現在はちょうど仕事と遊び(生活)がグラデーションになっているのではないか?

「ワークライフグラデーション」が存在するのでは!?
※カワノの造語です。

図3 ワークライフグラデーション


「ありよりのあり」「ありよりなし」的な、有り⇄無しはグラデーションになっているように同じくこれもそうなのでは?

今まで仕事と生活は別物として、二分されていました。
しかし、現在では仕事と生活は連続していて繋がっているという風に意識が変化しているのではないでしょうか。通勤や残業、飲み会などどちらとも言えず微妙なラインですよね。
というより、そもそも日本人ってワークライフバランスよりこっちの人間の方が多いのでは笑?。(若い人たちはそうでもないかも。)
それから、仕事と生活はイコールであるという世界へと変化していくのではないでしょうか。

図4 ワークライフバランスからワークアズライフへの移行過程


つまりですね、

①→②と、二分された状態から、境目が曖昧になってだんだんグラデーションになっていく。

その後、②→③へと、仕事と生活の幅(グラデーションの幅)がだんだん狭くなる。狭くなるという表現は少し正しくないですね。融合していく(仕事=生活)ので、幅が結果的に狭くなったように見えるが正しいですかね。

もっというならば、

①では、労働と生活(プライベート)の対比
②では、仕事と遊びのグラデーション(中間に生活がある)
③では、仕事と遊びを内包した生活(24時間)

と言葉で表せます。
workやlifeと言葉は一括りにしてはいますが、その実態は労働から仕事へと、プライベートから生活へと意識はかなり変化していると思われます。

現在はちょうど②なのではないでしょうか。



まとめ

そもそも、ワークライフバランスを選ぶか、ワークアズライフを選ぶかの2択ではありません。他にも選択肢はいくつかあります。言葉の枠にとらわれてはいけない。

(仕事と遊びが)2分される時代は確かに終わりました。けど、仕事は仕事だし、遊びは遊び。仕事寄りの遊びもあるし、遊び寄りの仕事も、完全に仕事と遊びが融合したのもある。まだ完全に融合してはいない。

僕自身まだ仕事と遊びの間には溝があります。
そういう時期だと思う。移行期。
けど、いずれワークアズライフは訪れるので、その考え方は持っておいた方が良いと思われる。

また、ワークアズライフを人に押し付けてはいけません。全員がやれる環境が整っている訳でないので。文化も習慣も科学技術もまだ追いついていないので、出来る人が出来るだけやればいい。


で、何が言いたいかって言うと、
俺が遊んでる時に、院試の勉強してた時に、研究中に、仕事の連絡ばっかすんじゃねぇ笑。されても返事は後回しよ。
まだその時じゃない。そしてその仕事の多くはワークアズライフに値していない。

僕は、今はワークライフグラデーションの中にいる。


#ワークライフバランス #ワークアズライフ #自由研究

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