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映画「希望と絶望」の3層構造

※ ネタバレありなので要注意です!

映画「希望と絶望」は3層構成で「絶望」と「希望」を描いています。
その3層とは、①時系列の「絶望」と「希望」、②2年間通しての「絶望」と「希望」、③おひさまの「絶望」と「希望」です。
以下、具体的に見ていきます。

①時系列の「絶望」と「希望」

2020年2月からのコロナ禍でライブは無観客に、握手会はオンラインのミーグリになりました。
そのことで、最初は全力を注いでいた日向坂メンバも、おひさまの反応が見られないことで徐々に「会場にエネルギーを吸い取られる」「繰り返してきたリハーサルを本番でもやっている」などと感じるようになり、モチベーションの保ち方に苦慮していました。
また、このことが影響してか、松田好花さん、宮田愛萌さん、富田鈴花さんの休業もありました。
この絶望は2021年3月における700人の有観客ライブで吹き飛ばされます。
ライブで観客の姿が見え始めた途端に、次々と流れるメンバの涙がそれを象徴していました。

また、2021年夏以降、多忙による過労と、それに(メンバから見ると)気を遣わない運営への苛立ち、メンバ間の意識格差で、グループが1つになれない時期がありました。
この絶望に対しては、ツアーの中で佐々木久美さん中心にメンバで意見を交わし、それを運営に伝えるという方法で徐々に乗り切ることができました。

これら時系列の「絶望」と「希望」が1つ目の層です。

②2年間通しての「絶望」と「希望」

冒頭、佐々木久美さんのインタビューで「見てくれる人を元気にしたいけど、我々も生身の人間なのでそれができない時がある」と話していました。
これは、上記①のメンバや小坂さんの休業、そして「君しか勝たん」における加藤史帆さんやその後の各メンバのオーバーワークが象徴しています。
プロのアイドルとして見る人を元気にする役割と、一方で多忙や重圧に伴う精神的に追い詰められた状況でもそれを果たすのかという葛藤が彼女達を問い詰め、2020年春~2022年春の2年間を通しての絶望として描かれていました。

この絶望に対しては、東京ドーム公演後の小坂さんインタビューで答えを出していました。
つまり、「メンバが見る人を元気にするだけでなく、ファンであるおひさまによってメンバが勇気づけられている」と気づくということです。

このプロのアイドルと生身の人間の葛藤が2つ目の層です。

③おひさまの「絶望」と「希望」

佐々木久美さんのインタビューで、「日向坂の歩みをストーリーとして消化して欲しくない」というものがありました。しかも、冒頭と最後の2回も繰り返し映画の中に入れていました。
これはこのドキュメンタリー映画をある意味否定するメタ的な要素で、この部分を強調していた理由は作品の中にありました。
それは、前作「3年目のデビュー」では描いていた「日向坂46メンバをストーリーとして消費すること」に対するアンチテーゼです。
具体的には、繰り返し語られるメンバ間の温度差、運営に対する不満とそれを直接運営に言わずにカメラにぶつけるメンバ、メンバのことを気に掛けることができず自分のことで精いっぱいになってしまうメンバなど、つまりファンでが思い描く「仲間想いでいつも全力なハッピーオーラの日向坂」とは相反するあまり見たくない日向坂です。

これは、言ってみればおひさまにとっての絶望になります。
そして、この絶望に対しては、佐々木久美さんが語るように「道を作っていくこれからの日向坂」を見続けることで、答えを見つけるよう描かれています。

このおひさまの「絶望」と「希望」が3つ目の層です。

その他

今回の映画でその他気になった点は以下になります。
・ケヤフェスでメンバが運営に直接文句を言わずにカメラに向かって文句を言う描写は、よくこれを見せたなと思いました。
・「メンバ間のすれ違い」と言いつつ、具体的な描写が無いような・・・というより「メンバで話し合った内容を運営に伝える」と語りながら日向坂メンバ同士が真剣に語り合う場面が無いように見えます・・・。
・チア本番後、加藤史帆さんがボロボロなのをしり目に談笑するメンバを映すのはさすがに意地が悪いです。そして加藤さんに駆け寄る濱岸さんが泣けます。あとどこかでも濱岸さんが助けていたような。
・仕事が増えてきた時期に影山さんが「1期生は仕事が無い時期を経験してるから、忙しいというより充実してるとか感覚」と言った直後に加藤さんがボロボロになる様を見せるのが唸ってしまう。
・映画で語りたいことの半分以上を担う佐々木久美さんの存在感。
・自分で書いてて上記③は若干こじつけ感が泣

前作:「3年目のデビュー」の記事は以下。


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