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吾輩は猫である。名前はネコである。

2024/2/27

名前をつけるのが苦手だ。
命名への責任というか、一生その名前でやっていくのかと思うとゲームのキャラ名ですらしっかりと命名したくなってしまう。

字面も響きもいいのが良いし、あんまり人と被ってない方がいいし、かといって名前負けしたり世界観と違うものは嫌だし...。
と、まあことネーミングに関してはかなり優柔不断なのである。

おかけで、恥をかいたことがある。
それは猫を迎えた時の話だ。最近、その猫が2歳になってふと思い出した。

猫はおろか、その他の動物を迎えるのは小学2年生の時のハムスター以来で、正直動物を迎えることへの知識がなかったのも問題だった思う。
無論、名付けが苦手な私はしばらく猫を『ネコ』と呼んでいた。

なんとなく、猫に名付けをする際に一般的なネーミングをするのが嫌だった。
スイーツの名前だったり、色に関する名前をつける人もいるが、それでは名前自体の『意味』がないし、何より猫にとっては音でしかないないものを人間の言葉で言うのも割とエゴイスティックな感じがした。
今にして思えば、そもそもが深く考えすぎなのだが...。

まあ、というわけでとりあえず、仮として種族名で呼んでいたのである。

ことが起こったのは、猫のワクチンを接種するために動物病院に行った時だった。
問診表を記入し待っていると、名前を呼ばれた。

「〇〇ネコさ〜ん!次どうぞ」

と呼ばれたのだった。
まさか、動物病院では動物側の名前で呼ばれるとは思っていなかった私は、問診票の記入欄に正直に仮で呼んでいた『ネコ』と記入していたのだ。
当然、看護師の方は苦笑いだったし、まわりの人は衝撃的なネーミングに立ち上がる私を凝視していた。
誰か、動物の名前で呼ぶなら先に教えておいてほしかった...。

今となってはいい笑い話なのだが、まさかネーミングの優柔不断さでこんな思いをするとは思っていなかった。
ただ、いまだに動物のベストなネーミングはなんなのかと思う。
どんな名前をつけても、結局は人のエゴに感じてしまうのだ。

そう考えてみると、案外と子供の名付けとかもエゴなのかもしれない。親が子供に最初に与えるギフトであると同時に、初めて押し付けるもの。
こう育ってほしいっていう思いだったり、こういう響きだったら可愛いだったり、根拠のない画数を気にしてみたり、呼びやすさとか書きやすさを意識してみたり。

名前をつけることで背負わせることばかり考えていたが、エゴで付けたのであれば、むしろ背負うべきはつけた側にあるのではないだろうか?
こう育ってほしいではなく、こう育てたいとか。幸せになってほしいではなく、幸せにするとか。

背負わせるのではなく、自分で背負うものだと考えると、少しは名付けに対する苦手意識も薄れる気がする。
それで、本人もその名付けを背負ってくれれば、それほど嬉しいことはないのかもしれない。

それにしても、猫にネコは無かったよな。
人間にニンゲンって付けたようなもんだもんな。
仮とは言え、とんだキラキラネームを与えてしまったものだ。

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