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『ちはやふる』を読んで深夜に一人で号泣する成人男

(※ネタバレ注意)

私は無類の漫画好きで、暇さえあれば漫画を読んでいる。
今でも月に100冊近くは読んでいると思う。
最近、ちはやふるの続編が連載開始したと聞いて、また全50巻読み直していたのを昨日読み終えた。

ちはやふるは、かるたというマイナー競技を題材にした少女漫画で、もちろん恋愛要素もあるのだが男性でも読みやすいと思う。
特にキャラクターの心情描写やコマの使い方、言葉の使い所がとても計算されていて、個人的にはかるた漫画というより繊細な青春漫画だと思っている。
読んだことがなくて、興味がある人がいれば題材やジャンルにとらわれず一旦読んでみてほしい。

一番初めに読んだのは確か、中学生のころで当時はスポーツ漫画と同じような感覚で読んでいた。
試合が熱くなっていく展開は、サッカー漫画や野球漫画と一緒で読んでいてとにかく昂るシーンが多い。
キャラクターの成長もポテンシャルも、バトル漫画と遜色ないような描かれ方をしている。
だから、当時はその温度感でしか読めていなかった。

ただ大人になって読んでみると、キャラクターの描き方がとにかく繊細かつリアルで、自然と共感させられるように描かれていることがわかる。
特に、サブキャラクターの過去などを深掘りするシーンがないにも関わらず「あっ、このキャラ泣くな」とか「ここでこのキャラが頑張るな」とかが自然とわかるってくる。
何回か読んでいるということもあるが、それを抜きにしても、キャラクターの行動に説得力があるのだ。

すごく個人的な好みの話ではあるが、「自然と動いたように見えるキャラの漫画」と「ストーリーに動かされるご都合主義の漫画」の場合私は前者を好む。
と言っても、漫画自体が好きなので両方読むし、両方好きではあるのだが、どうしても自然な方が自分が作品に入り込める。

ちはやふるは、ここの描写がとにかくうまいから、心を揺さぶられるシーンが多々ある。
このキャラが泣くと思った時は私が泣きそうな時で、このキャラが怒ると思った時は私が怒る時なのだ。
それが主人公だけでなく、サブキャラにも当てはまるのは本当にすごい。

だから本当に恥ずかしいのだが、深夜に読んでいると一人感動して泣いていることがある。

まあ、元々感動しやすい体質なのもあって、繊細な作品はもちろんだが、「ほら、この展開でこうしとけば、視聴者は感動するんでしょ?」というレベルのいかにも感動させにきているものでも泣いてしまうのだが...。

とにかく、こんなにもキャラクターにスポットを当てて、漫画的表現を最大限に活用しつつ繊細に描く作品もそう多くはないので、興味ある人にはオススメしていきたい。


(ここから、特にネタバレになるので注意)

続編が始まったというのを聞いて、少し記事を漁っていた時に、たまたま最終話に関する意見の記事をみて少し思ったことがあったので、書いてみる。

基本的に作品に関して、読み込み度も読み方も人それぞれなことは大前提であるし、特に他人の意見を否定するつもりもない。
けれど、これが伝わっていないのは少し悲しいなと感じたのであくまで日記として供養させてもらう。

最終話で千早は結局、新ではなく太一を選ぶのだが、ここで炎上していたという記事を見かけた。
まあ、確かに終盤はクイーン戦に重きを置いた作品構成で、序盤にちょいちょい見受けられた恋愛要素に触れるシーンは少なかったので、新に告白されて顔を赤くしていた千早からの心境変化がなかったようにも見えなくはない。

ただ、千早の心が太一に向いていた描写はいくつかしっかりとあった。
そもそも、かなちゃんも言っていたが、新に告白された時点では恋愛に対する価値観が小学生くらいで千早はしっかりとその意味を理解していなかった感じもある。
しかし、成長過程で「いつまでもあんぽんたんじゃないですよ」と言われるくらいには恋愛感を理解していた。特に、すみれちゃんが入学してから和歌がほとんど恋愛について描かれていることを諭され、和歌の意味を知っていくことでしっかりと理解していったように思う。

特に、最後の方で下校中にかなちゃんが「部長はまだ千早ちゃんのことが好きですか」と問うたことに対して太一が「わかんね」と答えたシーンで、千早が明確に我慢しているシーンがあった。
立ち位置として二人と千早の間には他のキャラもいて距離もあったが、耳のいい千早が聞き逃すわけもなく...。

ただでさえ、受験とクイーン戦の両立は厳しいと言われている中で両方を取ることに決めた千早。そこに恋愛まで入れられる器用さはないのだと考えたのだろう。
だから、「我慢」をした。
好きな太一の心が離れていってしまうかもしれないけど、それは今じゃない、と我慢をする千早の表情は幼く見えたが、よく考えると大人でもできないしっかりとした選択として描かれていた。

また、元々この作品は太一が選ばれる想定で最初からされていたとも思う。
というのも、かるたを通して千早、新、太一は夢をそれぞれ掴むようにできていたからだ。
千早はクイーンになること。新は名人になること。
そして、太一は「千早のそばに居ること」。

むしろ、こういう描き方をしっかりとしているのに、最後に選ばれるのが太一でない方が、「ちはやふる」という作品としてはないと私は思う。

まあ、少し記事を読んでの愚痴みたいになってしまったが、考え方とか捉え方は人それぞれで、正しい答えは作者の中にしかないと思う。
でも、だからこそ作者との対話のようで面白いと私は思う。

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