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小さな幸せを拾うこと

2024/2/25

先日、あいにくの雨のために外に出るのも嫌だったので、料理をした。
冷凍してあった豚ロースで気合いを入れてトンカツを作ったのだが、ふとソースがないことに気づいた。
塩やポン酢で食べる手もあるし、卵で閉じてカツ丼にしても良かった。

でも、口がすでにソースの口になっていて、ソレ以外のもので腹を満たすガッカリ感がすごかった。外に出たくなくて自炊したのに、ソースを買いに行くのも本末転倒だし。
諦めて、冷蔵庫からポン酢を取り出そうとした時だった。
冷蔵庫のポケットに、いつぞやの串カツについてきた袋に入ったソースを見つけた。

一回落ちたこととのギャップもあるが、なんとも言えない幸福感。
出来事を一言で言えば袋のソースを見つけただけだったのだが、テンションの上がり具合で言えばずっと探していたレア物をたまたま見つけたくらい嬉しかった。

何を思ったかというと、人には説明できないような幸福って意外とその辺に落ちているかも知れないと思ったのだ。
誰かにエピソードとして共有しようとしたり、するような話でもなかったりするから記憶に残っていないだけで、お金とか出来事のスケールに頼らなくても幸せって気軽に手に入るのだと。
サブスクで何気に見た映画が面白かったり、寝覚がいい朝を迎えたり、友達とのくだらない会話で腹がちぎれるくらい笑ったり。

意識して見ると、ベクトルは違えどコストをかけない幸せっていっぱいあるなと。

先日も天気の良い日に本を一冊と好きな飲み物を買って、一人で公園の野原に寝転がって読書にふけっていたのだが、帰りの電車でたった1000円でこんな満足感が得られて良いのかと思った。
案外、適当に収入を得て、そういう小さな幸せだけをかき集める人生もありなのかもしれない。
人生には仕事だったり家族だったり、宿命のようなものはあれど、その度合いは自分で選べる。

ドイツでたまたま出会った人に、なんの仕事をしているのか尋ねると週3でカフェのバイトといっていた。時給が3000円くらいあり、プラスでチップもあるので十分生活ができるのだ。
仕事っぷりも見ていると接客はほどほどに、新規でお客さんが来ていない時は、カフェに遊びにきている友達の席に座って一緒にカフェオレを飲んでいた。

悲観的に見る人もいるかもしれないが、個人的にはすごくアリな生き方だと思った。
したくないけどしなければいけないことは程々に、したいことは小さなことから順番に拾って行く。
極力ルールやシステムに縛られずに、自分で考えて感じる生き方は、すごく“人間的”だと思った。

ただ、ソースの小袋を見つけたことからは飛躍しすぎたが、結論でいえば小さな幸せを取りこぼさないような人生を送りたいと感じる。
あんまり器用じゃないから、大きい視野で生きてるとこういう小さいことに目を向けない機会が増えてしまうと思う。

まあ、ソースを見つけたくらいではしゃぐ大人もどうかとは思うのだが...。
そういう可愛げが似合う大人になりたいなと思う今日この頃。

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