見出し画像

2020年:むごい映画/精神編

4年と10ヶ月、ほとんど無傷で使い続けていたiPhoneSE(第一世代)。
何度落としてもタフに働いてくれていたが、溜まり溜まった古傷が爆発したようで、ついに液晶が波を打ち始めた。
日光に晒すとネガフィルムのような色合いになってしまい、とうとう機種変更することになった。
とりあえずiPhoneの側面が丸くないiPhone12miniにした。小型機に限る。

さて、前回の続きとなる2020年に観た映画、「むごい映画編 」後編。
ひとまずラインナップをおさらい

「ミッドサマー」2020年/アメリカ/アリ・アスター/147分
「異端の鳥」2020年/ウクライナ・スロバキア・チェコ/ヴァーツラフ・マルホウ/169分
「トガニ 幼き瞳の告発」2012年/韓国/ファン・ドンヒョク/125分
「家族を想うとき」2019年/イギリス・フランス・ベルギー/ケン・ローチ/100分
「好きにならずにいられない」2016年/アイスランド・デンマーク/ダーグル・カウリ/94分

前回は上2本を「ヴィジュアルむごい編」とすると、今回は残り3本の「メンタルむごい編」。

「トガニ 幼き瞳の告発」2012年/韓国/ファン・ドンヒョク/125分

昨年観た映画の中でも、これはわりかし昔の映画かなと思う。
ずっと前から知っていたのだが、内容がヘビーすぎて避けてきた映画の一つ。
いつか観なきゃなぁと思っていたところ、ちょうど「トッケビ」を観終わったこともあり、コン・ユの力を借りていざ鑑賞。

この映画は、韓国で実際に起きた事件を綴った小説が原作となっている。
韓国の片田舎の聴覚障がい者学校(全寮制?の学年的には小学生〜中学生くらい)が舞台。
美術教師として赴任してきた新任教師が主人公で、前半は学校のおかしな状況を察して何が起きているのか探っていく。後半は発覚した学校の恐ろしき実態を、人権センターで働く女性とともに、学校の外へ訴えていくドラマとなっている。
予告を見ればわかるのだけど、その学校で起きていた大きな事件としては、校長とその双子の弟の行政室長が児童に性的暴行を加えているというショッキングな内容。
それが実話だというのも信じられないのだが、それだけでなく児童に対する殺人未遂ぐらいの暴行シーンも出てくるし、学校にとどまらず「田舎」という小さなコミュニティーゆえの残酷さも詰め込まれた映画となっている。

「むごい映画」ではあるものの、観てよかった、そしてこの映画が制作されて本当に良かったと思う。
映画の内容もさることながら、この事件が映画化されるまで、そして映画化されてからの全ての流れが興味深い。
まず、作家のコン・ジヨンがこの事件を新聞で知り、事件の判決内容(ものすごく軽い刑や学校の存続など)が理解できないと取材を開始。そしてインターネット上に「トガニ」(=るつぼ)という連載を開始。その後、連載が単行本として発行され、その小説を読んだコン・ユ( 主人公を演じている俳優)が映画化を切望して出来上がったそう。
実際には、これを原作に映画化したいとのオファーは16社もあったそうだ。
そして公開された映画は、韓国で社会現象となり、映画を観て事件に関心を持った観客が政府を動かし、事件は再調査が行われる事態に。
その結果、通称「トガニ法」という障がい者女性や、13歳未満の児童への性的虐待の厳罰化、公訴時効を廃止する法律ができたという、社会を動かした映画なのである。

それだけ人の心を動かす力を持った映画なので、繰り返しになってしまうがやはり観ていてかなり辛い。校長・行政室長をはじめとする大人たちが腐り切っていて、もう人としてなぜこのようなことができるのか理解できない。
そして、そんな人間が正しく裁かれない社会の仕組みに対してもやりどころのない怒りを覚える。見えかけた希望でさえ、金と権力で奪われていく現実に、それでも前を向けなど言えるはずもない。
前述のように、実際の事件に対して誠実な調査が行われたのは映画が公開されてからである。つまり、映画は残酷な結果で終わってゆく。

素直な感想としては、文章にすることもできないような加害者おじさん・おばさんたちへの怒りの言葉しか出てこないのでここには書けないのだけど、本当に胸糞…。
ただ、こういう話、韓国だけじゃなくて日本にもきっといっぱいあるんだろうなとも思ったりしてしまうのも事実。

性的暴行に関しても、日本の性交同意年齢の話も最近よく聞きますね。
どういうことかというと、日本だと12歳以下の子どもに性行為をすると有無を言わさず処罰対象となるが、13歳以上だと「暴行・脅迫」があったかを証明しなければならないのだそう。
つまりは、被害者(例えば14歳の中学生)がやめてと抵抗したが、明確な暴行や脅迫がなく加害者(例えば30代の家庭教師)が「抵抗の意図は感じず同意しているものだと思った」と言ってしまえば、加害者側は無罪放免となってしまうとのこと。この場合、加害者も加害者なのだが、この「明確な拒否の意思」を13歳ができるのか?ということで、その年齢を引き上げよという議論が出ているようです。
日本はこの法律ができた明治時代から変わらず13歳のままとなっているのが問題で、同じく13歳だった韓国も昨年16歳に引き上げたとのこと。世界的にもアメリカは16〜18歳、イギリス・カナダなどは16歳、フランス・スペインは15歳、ドイツ・イタリアは14歳で、先進国の中でも日本は一番年齢が低い。

というか、そもそも何歳であろうと無理矢理性交させている段階でもう加害者は全員実刑下らないかなと個人的に思いますが…。
東日本大震災の時の時に避難所で強姦事件が起きていたこと(阪神大震災の時にもあったそうだが全然変わっていない)もまともにニュースにならない日本ですし、もう少しみんなが考えていかないといけない問題ではないでしょうか。
そう言った背景も踏まえて、「トガニ」やっぱり人類全員観て欲しいなと思います。



「家族を想うとき」2019年/イギリス・フランス・ベルギー/ケン・ローチ/100分

ところ変わって、こちらはイギリスのとある一家を描いた映画。
これは実話ではないのだけど、かなりリアリティのある内容となっている。

この映画、私は「むごい」と感じたのだけど、観る人によっては全然違う感想を持っていて、ギャップが大きかった印象。
一昨年「パラサイト 半地下の家族」がカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞(その後アカデミー賞受賞)したんですが、「家族を想うとき」も同じ第72回カンヌ国際映画祭に出展されてたんですよね。
奇しくもどちらの映画も家族を主軸に、自国の社会問題を扱った映画だったのですが、「パラサイト」では貧困層と富裕層を強烈な対比で描いている一方、「家族を想うとき」は中流層の家族を淡々と描いている印象。

この映画で描かれるのは、建築業をやめ配達ドライバーに転職した父、訪問介護士としてパートタイムで働く母、高校生の息子と小学生の娘という普通の家族。
簡単に言ってしまうと、親(主に父)が家族の幸せのため懸命に働くことで、結果的に家族を壊していくという、ありがちなストーリーではある。
しかし、「配達ドライバー」という、今まさに社会が直面している問題を通して描くことで、ドキュメンタリーを観ているような映画となっている。

この映画の鍵となる 父が転職した「配達ドライバー」という仕事、日本でいうヤマト運輸や佐川急便的な雇用形態ではなく、Uber Eatsと同じような“オンコールワーカー”(イギリスでは”ゼロ時間契約”)と呼ばれている、雇用契約ではなく業務委託契約という働き方なのである。
働けば働くほど儲かる、という仕組みではあるものの、その裏にある厳しい現実が切実に描かれている。
例えば、配達用の車は自己負担、トイレに行く時間もないほどの厳しいノルマ、など、不条理な労働環境が明るみになっていく。
それでもなんとか軌道に乗せようとするものの、仕事がうまくいけば家族が幸せになるというわけではない。
そして、父の仕事は母の仕事に影響を及ぼし、それが巡り巡って子どもたちにまで黒い影が覆っていくような展開となっている。
「どうしてうまくいかないんだろう」という感情が、映画の中から自分自身に降りかかってくるようで観ているのが辛かった。

ただ、この映画に対して自分とは全く違う解釈を読んだことがあり、人によっては違う見方があると知った映画でもある。
とある雑誌で、この映画に対して「何度も繰り返される衝突こそ“どうにかなるんじゃないか”という細やかな希望」と寄稿している方がいて、私はその文を読んで、どうしてこんなオメデタい解釈ができるのだろうか?と驚愕したのである。

なぜなら、私の受け取り方としては、この映画は家族という城が崩れて砂になっていくような感覚でしかなかったからだ。
「むごい」と感じたのはこういった感覚が原因で、「家族が崩れていく様」がリアルで観ていて結構キツかったからである。
父の真面目さにも苛立つし、母の優しさもつらいし、息子の行動も受け入れるしかないし、娘の不安も心配で仕方ない。
なぜこの展開に希望を見出すことができたのだろうか?と、不思議で仕方なかった。

思い返してみたところ、それは多分、各々の「家族観」が反映されやすい映画なのではないかと思う。
個人的な話で言うと、うちの家族は「崩れた側」の家族にあたると思う。しかも、完全に倒壊しないままギリギリのところで形を維持しているようなそんな状況である。(グザヴィエ・ドラン監督の「たかが世界の終わり」の家族なんかは、もううちの家族か?と思ってしまう。)
なので、家族の歯車がうまく噛み合わなくなっていく過程は、否が応でも感情移入してしまうようだ。しかも、それが悲観的な結末になってしまうように。

「家族を想うとき」というタイトルは邦題で、原題は「Sorry We Missed You」となっている。
父の配達の仕事と絡めて付けられているようで、この一文は不在届の定形文、つまり「お届けに参りましたが不在でした」と言ったところなのだそう。
ただ、原文を直訳すると「ごめんね、あなたがいなくて寂しかった」という意味になるのである。
父が望むもの、母が望むもの、息子が望むもの、娘が望むもの。本当は同じであるはずなのに、家族が生きる社会はそれを手助けすることはない。
イギリスの映画ではあるが、日本にとっても全く他人事ではないその社会。
コロナ禍も相まってより一層このような家族の存在に目を向けることが必要ではないかと思う。



「好きにならずにいられない」2016年/アイスランド・デンマーク/ダーグル・カウリ/94分

ところ変わって、最後はアイスランドが舞台。
取りあえす映画のポスターを見て欲しい。

画像1

どんな映画だと思いますか?
私は「電車男」的なラブコメかと思いました。
ちなみに本国のポスターはこちら。

画像2


この雰囲気の全然違う2枚のポスター。この映画を表現しているのは、紛れもなく後者、本国のポスターである。
むしろ、日本版のポスターがなぜこのような仕上がりになったのか、疑問を超えて怒りさえ湧いてくるような映画であった。
原題も主人公の名前、シンプルに「フーシ」ですし、ほんとなぜこうなったのか。

日本版のポスター(仕上がりはむちゃくちゃながら)からも分かるように、冴えないおじさんが恋をする話。しかし、前述のように全然ポップなラブコメディなんかではなく、キリキリと心が軋むようなストーリーがゴリゴリ展開され、そこが見所である。
この年齢(43歳)まで恋愛経験がない、というのはやはり欠点というか、原因があるというのをそれとなく観る者に伝えてくるような、地味な「むごさ」がまずひとつ。
そして、なんとか主人公の恋が始まるものの、それが一筋縄ではいかない、なんとも「むごい」展開満載で、非モテのメンタルを非常に削っていく映画である。

主人公は空港で荷物係として働らく生真面目な男。
他人に怒りを向けることなく、ラジオDJに好きなヘビメタの曲(さすが北欧)をリクエストしたり、仕事のない日にはいつものお店でひとりパッタイを食べたり、趣味のジオラマ遊びをしたりと、穏やかに生活を送っている。
そんな主人公が、母と母の男からのとあるプレゼントをきっかけに、恋というものを知っていくというのが大筋。
ただまぁそれが、キュンキュンするような恋愛に発展しないのがこの映画の恐ろしいところである。
そして、恋愛だけでなく、親や職場の人間、ご近所さんといった様々な人との関わりもしっかり組み込まれていて、主人公を描く上で欠かせない存在となっている。
「好きにならずにいられない」のは、主人公かヒロインか、はたまたご近所さんかラジオDJか、まさかの料理屋のおっちゃんか。

映像も青みがかったダークトーンで、音楽も悲しげ。ファーストショットから、あぁ!なんか思ってたんと違う!と驚愕の絵面が続く。
基本的には淡々と地味な作りになっているが、時々訪れる事件が話に小さな緩急を与えていて面白い。
しかし、なかなかの仕打ちが続くため、うちのフーシ(主人公)が何かしましたか!と言いたくなってしまうほど。
主人公が純粋すぎるが故、時々それはまずいだろ…といった行動をとってしまうのも事実なのだが、それでも応援せずにはいられない。

よくもまぁ、こんなにも世の辛い部分を詰め込んだなと思うほどの世界観に、じわじわと主人公の優しさと献身的な姿が染み渡るこの映画。
余計な音楽や画面効果といった装飾がない分、主人公の物言わぬ気持ちや、その場の空気にリアリティがある。

人の成長、それもかなりの大人における人間の成長とは何か。
それは「自分にケリをつけることができるか否か」なのではないかと、この映画を観て一つの答えを得たような気がします。
主人公の場合はやや拗らせすぎています(人のこと言えない)が、傷つきながらも大人ならではの成長を遂げる姿は眩しく、頼もしい。
最後の方までしっかりむごい展開が続きますが(ちょっと微笑ましいシーンもちゃんとあるのだが)、ぜひラストシーンを見届けて欲しい映画であります。



ということで、前編・後編「むごい映画」としてまとめてみました。
あんまり2回は観たくないけど、観てよかったなぁと思う。奥が深いです。
以前は戦争映画なんかがトラウマだったのですが、最近はメンタルむごい系の方がトラウマになりやすいです。
あと、昨年観た映画の中で、個人的に心臓から大出血したのは「青くて痛くて脆い」なのだが、それはまた次回に。
それでは、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?