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黄色の旗


 東京にいると人間は背景であると思い知らされる。

目を凝らし、焦点を当てた背景は大抵綺麗なものじゃない。

唾を撒き散らす勢いで駅員さんに怒声をあげているサラリーマン。職場の飲み会で上司にライターで乳首を焼かれそうになったと大声で話す隣のテーブルで飲んでいるお兄さん。南関東で一番情事中の嬌声がでかい隣の部屋の女性。

田舎から出てきた私はそんな人をまとめて「これだから東京の人は・・」と一括りに顔をしかめていた。全員、最初から大人でした、みたいな顔をして上手に距離を取って生活している。

しかしいつかの過去はランドセルを背負った小学生だった。みんな、もれなく。


 6月に入り、職場の近所の小学校も再開したようで通勤時間がちょうど通学時間とぶつかるようになった。

高層マンションが立ち並ぶその地は地元の小さな祭りの「ちびっこカラオケ大会」ですら、小学3年生くらいの兄妹が全編英語でアラジンの「ホール・ニュー・ワールド」を歌い上げるというクオリティで、仕事終わりの私の疲れ目は点にすらならず、思わず白目を剥いたものだ。

そんな街でも私の田舎と同じように真新しいランドセル(ただし値段はきっと違う)を背負った小学生は横断の手伝いをするおじさんの横を、元気に手をあげて横断する。

田舎の通学路では横断歩道の電柱に黄色の旗が刺さっていて、数少ない旗があると取り合いになったことを覚えている。黄色い旗を青空真っ直ぐ突き刺し、車に注意を喚起するのは形容し難い快感だった。

手をあげると相手は自分の存在に気付いて、注意を向けてくれると疑っていないように。

 

 その眩しい姿を横目に「今日は昨日の数時間後」を体全体から滲ませる社会人の私が歩を進める。

社会人になってから、主張しない、変な注目を浴びない、相手の想定する自分を演じる、の分野に特化した人間になった私は黄色い旗を掲げた過去なんか忘れていた。

床屋近くの信号機で・・本屋の十字路で・・

「私はここにいるよ」「だから気付いてね」と宣言したことを。

それは、春の訪れを予感させる日差しの中顔を覗かせるふきのとうのような、明日はきっと晴れると予報する木原さんとソラジローのような。そんな小さな、歓喜に満ちた主張であった。

でもね、何度も傷ついた大人は黄色い旗をあげなくなるみたい。

きっと誰も気付いてくれないし、届かないし。


・・・「よく分かんないけどかすり傷すら怖がるようじゃ、いつまでたっても逆上がりなんてできやしないよ。」

声が聞こえる方に目を向けるとそこには赤いランドセルを背負った万年傷だらけの膝小僧をして、真っ黒に日焼けした・・・

・・・あの頃のわたしがいた。

そうだよね、確率の計算すらまともにできなかったのに今更失敗の確率がなんだって話だよね。

心と体が離れる前の頃に戻るんだ。派手な黄色い旗を思いっきり高く上げるんだ。

新しい世界、「ホール・ニュー・ワールド」を切り開くのは魔法のランプじゃない、そうだったろ?