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国産ビーズバッグの基礎を作った人

1 大久保好江先生からのご縁

大久保好江先生は大学卒業後すぐに刺繍工房にに入られ入って日本刺繍を学ばれました。Mさんとの出会いはその頃で、日本刺繍のほかにビーズ刺繍を学んではどうかということで、ビーズ刺繍も習得されました。

何度か大久保さんと北海道行きの計画を練ったのですが、コロナの流行下で、高齢のMさんにお会いするのはどうかということで、何度も計画を断念しました。

Mさんとの面談が実現したのは、2021年9月のことです。大久保先生は不参加で、昭和きもの愛好会の松前理事長が同席させていただくことになりました。計画を立ててから1年半以上経って実現した取材です。

2 Mさんとお会いする


面談当日は、刺繍職人である工藤弘美氏と奥様が付き添ってくださいました。お会いできるまでの段取りや場所の設定など、すべて工藤さんのお世話になりました。
松前理事長とともに札幌市内でお会いしました。お目にかかるとMさんは大変小柄な方でした。

中央がMさん

あまりたくさん時間をかけてもいけないので、今回は伺いたかったことだけお尋ねしました。

Mさんが習得された刺繍の技術はどこから?

お話では当時所属していた工房でならったということです。その工房も地方で先に製造を初めていた工房と技術交換などの方法で技術を習得したとのことです。Mさんの工房以外に、日本中で同時発生的にビーズバッグの製造があったのかもしれません。

聞き取り調査の模様

東寺はビーズバッグの需要があったようで、Mさんは指導員として、全国に行くことになります。行った県は長崎・鹿児島・秋田・山形・広島などです。ここで一般の主婦に指導をすることになります。もちろんビジネスホテルなどもなく、内職と統括するリーダーの家に寝泊まりして指導しました。

教えた人の年齢層は30歳から50歳くらいだったということです。
組織として一番大きかったのは秋田でした。秋田は横手・角館・十文字・湯沢などで指導を行い、最後には移住して指導されました。
「困られたことはありましたか?」という質問には、「鹿児島では言葉がわからず、通訳が必要でした」というお答えでした。

写真でご覧のように、こんな小柄な女性のどこにこれほどのエネルギーがあったのかと感服します。キャリアウーマンの元祖ともいえるでしょう。女性がいろいろと自由になった戦後とはいえ、ここまで日本全国を動いて活躍した人はそれほどいなかったと思います。

4 Mさん制作のビーズバッグ

細かなビーズを使用しています。
繊細な刺繍です。


Mさんが制作されたバッグもご持参いただきました。上品なデザインに小さな粒のビーズで埋め尽くされたお品です。昭和の手仕事をどうぞご覧ください。さすがに指導されただけあってすばらしい技術です。

注:ご本人があまり目立つのはどうも、というご意向で今回はお名前を伏せて掲載させていただきました。昭和の歴史の陰にこうした方がいらしたことをぜひ知っていただきたいと思います。

似内惠子(一般社団法人昭和きもの愛好会理事)
(この原稿の著作権は昭和きもの愛好会に属します。無断転載を禁じます)

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【参考文献】和のビーズと鑑賞知識 似内惠子

【お知らせ】一般社団法人昭和きもの愛好会では、この伝統と技術を後世に伝えるべく、展示や教室の開催を行っています。近くは2022年5月27日から29日まで、ビーズバッグと昭和きものの展示会を開催します。ぜひ会場で実物をご覧ください。

昭和きもの愛好会では、動画でも和のビーズバッグの魅力を紹介しております。こちらもどうぞご覧ください。
昭和きもの愛好会 和のビーズバッグの魅力
https://youtu.be/eIFta0iTbEshttps://youtu.be/eIFta0iTbEs


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