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奇跡の値段 後編

オスカー・ジュナイク様

しばらく手紙を書かずにいて申し訳ありません。それには理由があります。
もう一月程前になりますが、僕は試合中に怪我をしてしまいました。大きなレフトフライを追いかけてフェンスに激突してしまったのです。アウェイの球場だったからこそ、試合前にしっかりとフェンスとの距離感をチェックしておかなくてはならなかったのに。明らかな僕の怠慢です。
打撲による上腕部の筋肉断裂で全治三週間と診断され、一週間前まで入院していました。今は、リハビリに励んでいます。まだ、ボールは投げられません。
ここで、僕にとっては勿論のこと、あなたにとっても心配なことを書かねばなりません。
僕の右腕は、リハビリを行っても、以前と同じようには投げられないかも知れないのです。医師によると、たぶん、遠投の能力が低下するだろう、とのことでした。果たして、メジャーで通用する程度の肩の力を維持できるのかどうか?不安です。
バッティングに関しては、まだまだパワー不足の僕には、野手としての肩は大きな武器でした。
あの日、あなたは、僕を「小さな強打者君」と呼んでくれましたね。しかし、高校生になり、野球の名門校に進んだ今、僕は、ごく普通の中距離ヒッターなのです。
誰もが幼い頃には、夢を見る権利があります。しかし、その夢を実現するには、努力だけではどうにもならないことを僕は知りました。夢を実現するには、資格がいるのです。持って生まれた才能と言う資格です。
正直に言いましょう。僕は、今回の事故のことで少しばかり安堵しているのです。
自分が資格を持っていない人間であることを思い知らされる前に、夢を実現することから解放されるのではないか、と。真の絶望を知る前に、諦めることで傷付かずに済むのではないか、と。
この手紙を読んで、あなたの失望した顔が僕には見えるようです。
ごめんなさい、ジュナイクさん。
僕は、あなたとの契約を果たせないかも知れません。

                     ガブリエル・ジョーンズ
201×年 9月26日

         *

ガブリエル・ジョーンズ君

君の手紙を読んで、私は、大いに失望した。君が私との契約を果たせないかも知れないと言う、そのためではない。君がそんなに早く弱気になる人間だと言うことに失望したのだ。
君の正直さには敬意を表するが、正直さは、しばしば、自分の弱さを肯定するための詭弁となることもある。
今、君に訪れている運命に、君は素直に従うつもりかな?決死の戦いを挑む前に。
君が血と汗を流して努力した、その果てにだけ、君の信じる神は、その姿を君に垣間見せるのではないだろうか?
こんなことを君に説く私は、さぞ、滑稽に見えるに違いない。だが、やはり、私は君に言いたいのだよ、ゲイブ。
到底乗り越えられないと思える困難に遭ったとき、人は、それまで見えなかったものが見えるようになる。それゆえ、新しい戦いに挑まなくてはならない。しかし、そのとき、人はすでに新しい武器を手にしているのだ。だから、勝機は十分にある。
そして今、私もまた、戦っている。君の知らないフィールドで。
しかし、すべては、君次第だ。君が自ら決断したことで、未来に悔いを残さないと思うのなら、もはや、私に何も言うことはない。
                  オスカー・ジュナイク
                     201×年 10月3日

          

やはり、祖父の血のせいだろうか、僕の身長は、大学に入ってから遅まきながら伸び始めた。192cmあった、思い出の中の祖父は、文字通り見上げるほど大きかった。子供の僕からすれば大人は誰でも皆大きかったが、それでも、祖父は大きかった。小柄だった父親と比べると尚更、その印象が強い。
野球を断念してバスケットボールに転身したものの、自分の身長でこれから先、どうしてやって行こうと不安な思いを抱えたまま、僕は大学に入学したのだった。
その手紙が届いたのは、クリスマスを直前に控えた寒い日の朝だった。その年のボストンの町は、異例なほどの大雪だった。「オペラ座の怪人」が移り住むにふさわしい、その町に当時の僕は住んでいた。
差出人の住所を見て一瞬、オスカーさんか、と思ったが、字体が違う。流れるように美しい筆跡のその文字は、オスカーさんの角張った力強い文字とは対照的だった。

      * 

ガブリエル・ジョーンズ様

まず、最初に言っておきますね。この手紙は夫には内緒です。
私が覚えているあなたは、少年と言うより子供のあなたです。真夏のニューヨークであなたに会ったとき、あなたは、十歳でしたものね。でも、たった一度しか会ったことのない、今のあなたの顔を私は知っているの。オスカーがあなたの写真を見せてくれる時、彼、いつも嬉しそうなのよ。そんなとき、子供の出来なかった私たちは、自分たちが、遠い町に寄宿している自慢の息子を眺めている中年の夫婦のような、そんな錯覚に陥ったわ。
そろそろ、本題に入りましょうね。
あなたは、ALSと言う病気を知っていますか?正確には、筋萎縮性側索硬化症と言います。野球をやっていたあなたには、「ルー・ゲーリック病」と言った方が分かり易いかも知れないわね。脳から身体の筋肉へ命令を出す回路に障害が起き、筋肉がしだいに動かなくなって行く病気です。今のところ、残念ながら治療法はありません。
オスカーがこの病気と分かったのは、もう八年も前のことです。あなたは、夫の字が、いつからか少しずつ変わったことに気が付きませんでしたか?
夫は、最初の二年ほどはそれまで通りの速さで彼らしい字を書けましたが、しだいに、手紙を書くのに何時間もかかるようになってしまいました。勿論、あなたへの手紙も。やがて、自分で字を書けなくなり、それ以降は、私が、彼の手紙を書く仕事を引き継ぎました。あなたが読んできた、ここ三年のあなたへの手紙は、私が彼の字体を真似て代筆したものです。驚いたかしら。
しかし、本当にあなたが驚く事実は別にあります。
オスカーが、ALSであるという告知を受けたのは、あなたと会った、あの夏の日の前日だったのです。夫が、あなたとの出会いに何かの啓示を本当に受けたのか、あるいは、強いて意味を見出そうとしたのか、私には分かりません。彼にそのことを訊いても、ただ笑っているだけです。あなたが良く知っているあの皮肉めいた笑顔で。
はっきりしているのは、あなたが、ALSに身体を蝕まれて行く、今のオスカーにとっての生きる張り合いになっていると言うことです。
あなたに壊したランの弁償の契約を持ちかけたのは、あなたとの出会いをその場限りのものにしたくないという、彼のとっさの思い付きだったと私は想像しています。あなたには、とんだ迷惑だったかも知れませんが。
あなたが彼の突拍子もない気紛れ、いえ、私は彼の必死の思いだったと思いますが、あなたが夫の契約を引き受けてくれたことに、私は、心から感謝しています。もし、あなたの存在がなかったら、夫は、たぶん、今日まで生き長らえることは出来なかったでしょう。ALSは、発病してから十年生存することが難しい、進行の早い病気なのです。
自尊心の強い夫は、自身の病気について、マスコミには勿論、実業界にも公表していません。隠し続けているのです。ベッドに縛り付けられ、食事も一人ではままならない姿を見せたくないのでしょう。彼の病気を知っているのは、私とごく親しい友人、会社の重役たちだけです。そして、今、あなたが、私の手紙により、彼の秘密を知る人間に加わりました。
この手紙を読んだことにより、あなたが、オスカーのことを重荷に感じることを私は一番懸念しています。夫が代筆をしてもらってまであなたに病気を隠そうとしたのも、私と同じ理由によるものと確信しています。
でも、私は、どうしても、あなたに真実を知って欲しかった。夫の病気という真実を知った上で、あなたに自分の道を歩んで欲しいと思うのです。
ゲイブ。夫と同じように、あなたをそう呼ぶわね。あなたは、強い子だわ。私は、一度しかあなたに会っていないけれど、私には分かるの。
もしかしたら、私は、あなたに重荷を共に背負ってもらいたいのかも知れないわね。
しかし、こんなことを言ったらあなたには迷惑かも知れないけれど、家族なら、そう思ってもいいんじゃないかしら。それが図々しいお願いなら、同志と言い換えてもいいわ。
大学リーグでのあなたの活躍が載った記事を読むことが、今のオスカーの生き甲斐になっています。真実を知った上で、あなたにバスケットボールでの活躍を願うのは、酷かも知れません。
どうか、私のわがままを許して下さい。
怪我に気を付けて。そして、何より、あなたが幸せでありますように。

                 セシリア・ジュナイク
                      201×年 12月23日

       

その手紙を読んだときの気持ちを、僕ははっきりと覚えている。
僕の脳裏に、あの夏の日のオスカーさんの顔が甦り、大きな謎が解けたような気がした。僕に契約を迫る傲岸な態度。そして、態度とは対照的に、どこか哀願するような寂しげな笑顔。
あの日のオスカーさんの不思議な印象の謎が、やっと僕には理解出来たのだった。
しかし、何という神様の残酷さだろう。富と名誉と愛情を、本人の思うままに与えておき、ある日突然、それらの幸せを、医師のたった一つの言葉により、すべて奪ってしまったのだ。一息に奪い去るのならともかく、途方もない苦痛と共に、その手からゆっくりと取り上げて行く。
「神様には、私たちの知らない計画が、たくさん、おありなんだからね」母は、今でも、僕にそう語る。
僕が怪我で野球を断念したときも、そう言って励ましてくれた。母が言う、神様の計画とは、運命と同じものなのだろうか。
大人になるに従って、僕は、しだいに教会から足が遠のいていた。現世での人の幸不幸で、神様の仕事を判断してはいけないのだろう。そう思うことしか、僕には出来なかった。僕もまた、オスカーさんとは比べることは出来ないけれど、苦悩の只中にいたからだ。
オスカーさんの一日が、彼にとってどれほど貴重なものか、それだけは、僕にも分かった。
その日一日一日を、僕は懸命に生きようと思った。僕もまた、明日を、未来を考え、思い煩う暇はないように思えた。パスを受けてから、ドリブルするか、シュートするか迷うことの多かった僕は、いつしか、ためらうことなく、シュートを選ぶ選手になっていた。
三年後、ほとんど注目されない新人ではあったけれど、僕は、NBAからの誘いを受けた。

         

気が付くと、礼拝堂に差し込んでいる光は、いつしか淡く、足の長いものに変わっていた。私は、そのことに全く気付かないほど、彼、ガブリエル・ジョーンズの話に深く聞き入っていたのだった。
「それからの話は、私たちの誰もが知っています」私は、彼の方を向いて言った。
ガブリエル・ジ・エンジェル・ジョーンズ。
彼を知らないアメリカ人を、いや、世界の人々を捜すことの方がよほど困難だろう。彼が昨シーズンに打ち立てた年間得点記録は、NBA史上、飛び抜けたもので、今後、永遠に破られることがないだろうと噂されている。
〈ジ・エンジェル〉と言う、ニックネームには、ファンにとって、二つの意味が込められている。
一つは、大天使ガブリエルのように、信じられないほど長い時間、彼が空中に浮いていられること。
もう一つは、その天使のような優しい微笑みに違わない、彼の穏やかな人柄だった。
バスケットでの華やかな活躍の陰に隠れてあまり世間に知られていないが、彼は、副業を持っている。と言っても、それはささやかなもので、ニューヨーク市内にあるギャラリーのオーナーなのだ。経営不振で倒産寸前だった店を買い取り、経営を軌道に乗せた。
ギャラリーを開くことは、彼が幼い頃亡くなった父親の悲願だったと言う。
彼の父親は、元々、画家を目指していた。しかし、早い段階で、自身の才能に見切りを付けた。そして、今度は、ギャラリーの経営を夢見た。しかし、それもまた、失敗したと言う。
その父親の血のせいか、ガブリエル・ジョーンズは、絵が上手く、彼の店にも、彼の作品が数枚、ひっそりと飾られている。有名人である彼の絵を求める人は多いが、彼のその絵は非売品になっている。彼が自分の絵を売るのは、チャリティー・オークションの時だけだ。
鮮烈な色彩と力強い筆遣いで描かれた彼の絵の中に、極めて地味に描かれた中年の白人男性の肖像画がある。それが誰なのか皆知らない。ガブリエル・ジョーンズは、その絵について一切語らなかったからだ。
しかし、彼の話を聞いて、私には、絵の人物が分かった気がする。
大富豪の実業家、オスカー・ジュナイク。
ガブリエル・ジョーンズが、たった今、語った物語の登場人物だ。彼は、数ヶ月前に亡くなり、マスコミが大々的に報道した。
謎の多い富豪だった。マスコミは勿論、人前にも滅多に顔を出すことがなく、彼がどんな性格の人物か、知るものは極端に少ない。ただ、彼の死因が報道されたことで、彼が、ある種の人嫌いであった理由を、世間の人々は理解した気がした。
彼、オスカー・ジュナイクは、ALS―筋萎縮性側索硬化症に冒され、長く苦しんで来たのだった。全身の筋肉が衰え萎縮し、やがて自力で呼吸することも出来なくなる、この難病と、彼は十年以上も闘ってきたのだった。
報道された彼の晩年の写真とガブリエルが描いた肖像画は全く別人のようで、同一人物と気付く者はいないに違いない。
彼の葬儀に、ガブリエルも参列したが、そのことを、マスコミは、慈善事業に積極的だった富豪に、やはり同じく、不遇な環境に生きる子供たちに奉仕を惜しまないガブリエルが親しみを感じていて参列したものと報じた。
しかし、私がたった今聞いた物語によると、ガブリエル・ジョーンズとオスカー・ジュナイクとの間には、実業界もスポーツ界もマスコミ知らない、深い繋がりがあったことになる。
「この物語も、後、少しでおしまいです。最後まで聞いてくれますか?」物思いに耽っていた私に、ガブリエル・ジョーンズが問いかけた。
無論、断るわけもない。私は、彼の話にすっかり魅了されていたのだから。

        

オスカーさんの死に顔は安らかだった。どんな残酷な病でも奪う事が出来ない厳かさが、その顔には表れている。棺の中には、夥しい数のランの花が敷き詰められていた。ランの花びらで造ったベッドに埋もれて眠っている。オスカーさんは、僕には、そう見える。父が亡くなったとき、棺の上に置かれたランの花のことを僕は思い出した。そして、あの夏の日、温室の中で、散っていた、あのランの花びらのことも。
僕は、十五年ぶりに、〈オペラ座〉を訪れていた。あの夏の日、ここを訪れた、十歳のチビの少年は、今は、二十五歳の、196cmの男になっていた。
彼との契約は果たせなかった。僕は、メジャーリーグの選手にはなれなかった。代わりに、プロバスケットの選手になり、1得点ごとに、1ドルを彼に支払ってきた。それを提案したのも、オスカーさんだった。
―コツコツ支払うのも悪くないものだ。ホームランは、毎試合見られるわけではないが、ゴールは、毎試合、何本も見られるからね。
 手紙に書かれていた文章は、当時、すでに、セシリアが代筆していたのだろう。
壊したランの弁償金をとうに支払ってしまったことが、僕には、寂しかった。支払いを終えた、あの時、オスカーさんと僕を繋ぐ大切な絆の一つが切れてしまった気がしたものだ。そして、今、本当の別れが訪れた現実を噛みしめている。
 葬儀の前日の今日、僕は、この屋敷を訪れた。明日の午後には、オスカーさんの棺は、教会の祭壇に置かれることになる。
一年ほど前から、マスコミの報道で、オスカーさんの病気のことは世間に知られるようになり、病状が重いことは僕も知っていたが、オスカーさんは、これまでと同じように僕に会うことを拒んだ。その理由は、今となっては分からない。もう、問い質すことは出来ない。
―ビジネスライクに行こうじゃないか。
いつか、手紙に書かれていた彼の言葉を思い出す。それが、答えかも知れない。その答えこそ、一番、あの人らしいと僕は思う。

「ねえ、ゲイブ。あなたに伝えたいことがあるの。あの人が死ぬ前の日に、私に告げた事よ」オスカーさんの棺から離れ、ソファに腰を下ろした僕に、セシリアが言った。
彼女は、僕の隣に腰掛けて僕の顔をのぞき込んだ。その青い瞳は、この屋敷でたった一度見た時と変わらない、深く美しいブルーグレイをしていたが、目の奥には、わずかな戸惑いの色が感じられた。
セシリアから初めての手紙をもらって以来、オスカーさんには内緒で、僕は彼女と何通も手紙を交わしていた。彼女の愚痴を聞き、励ますのが、いつしか僕の役目になっていた。
最初のうち、美しい年上女性への、淡いあこがれがあったことを僕は否定しない。しかし、彼女の毅然とした言葉に触れるうちに、僕たちは、しだいに、オスカー・ジュナイクを見守る、謂わば、同志となっていった。
「あの、十五年前の夏、あなたが、オスカーの温室に、ホームランボールを打ち込んだ日のことよ。あなたのボールは、天井ガラスを破って温室に飛び込んだ。そうだったわね?」
「ええ。あれが、オスカーさんとの出会いのきっかけでした」
「あなたの打ったボールが、オスカーが大切にしていたランの鉢を砕いてしまった」
「そうです。僕は、今でも、覚えています。オスカーさんの落胆の表情と彼が僕に話した、ミッキー・マントルのエピソードを」
「あれは、ね、ゲイブ。あなたのボールが壊したんじゃなかったの」彼女の言葉を聞いたとき、僕には、何のことか意味が分からなかった。やがて、胸が激しく鼓動を打ち始めた。
「オスカーは、ALSと診断される前から、少しずつ色んな症状が出ていたの。最初は、言葉に詰まったり、言い間違えたり。それが、やがて、食事中に、スプーンやフォークを取り落としたりするようになって行ったわ」少しだけ間を置き、大きく息を吸い込むと彼女は続けた。
「ALSと診断された翌日、オスカーは、温室で、ランの手入れをしていたの。そして、手を滑らせ、一番大切にしていたランを床に落としてしまったのよ。慎重な彼が鉢を落とすほど、症状は、そこまで進んでいたのね」僕は、話を、やっと理解した。
「もう、分かったでしょ?ゲイブ。あの人がランを落とした直後に、あなたのボールが温室のガラスを破って、天から降ってきたの」それを聞いたときの僕の感情を、どう表現したらいいのだろう。
金持ちの大人に、かつがれた。気紛れないたずらに付き合わされた。
無論、そうではない。
「いたずら」にしては、それは、あまりに痛ましいものだったからだ。
―神様を試してみたいんだ。
オスカーさんの言葉が脳裏に甦った。
大切なランを不治の病のせいで壊してしまった、そのとき、天からボールが落ちてきたのは、オスカーさんにとって、奇跡のような偶然ではなかったか。いや、奇跡だと、あの人は、考えようとしたのではないだろうか。
ガブリエルと言う、天使の名前を持つ、十歳の少年を神の使いに見立てよう。
それは、絶望の真っ直中にいた、オスカーさんが見出した、かすかな「生きるための希望」だったのだろう。僕には、そう思える。
「あの人は、本当は、あなたに、そのことを直接伝えたかったと思うの。でも、あの人はとっくに言葉を話せなくなっていたし、手紙を書くことも出来なくなっていたわ。私に、コンピュータの音声合成装置を使って伝えるのがやっとだった。オスカーが、最後に、あなたへ残した言葉を伝えるわ。この言葉を私に伝えたとき、彼は、以前の、あなたと出会った頃の彼に戻ったようだった。私には、それが感じられたの」そう言って、セシリア・ジュナイクが僕に伝えた、オスカーさんの言葉は、次のようなものだった。

「神様がいるのかいないのか、結局、私には分からなかった。だが、言えることが一つだけある。それは、人間の思惑を遙かに超えた、大きな意志が、私たちを動かしている、と言うことだ。君のおかげで、私は、それを知ることが出来た。ゲイブ、心から君に感謝する」

         九

 ガブリエル・ジョーンズは語り終えると、膝の上で組んだその長い腕に顔を埋めるようにして、頭を垂れた。
「なんとまあ、不思議な話だろう」私は、口の中で小さくつぶやく。
「僕の話を信じてくれますか?」彼は、顔を上げて私に問いかけた。気のせいか、私には、彼の黒い瞳がわずかに濡れているように見える。
「あまりに出来過ぎているでしょうか?オスカー・ジュナイクさんが僕に語った話にも嘘が随分混じっていたのだから、僕の話がすべて事実だと信じてもらうのは難しいかな?」
「いえ、信じますよ。私は、あなたよりずっと年上の人間だ。子供の頃のあなたよりは、人の心が、いささかは良く見える」ガブリエル・ジョーンズは、作り話をしてはいない。
「しかし、なぜ、私に、そんな話を?あなたが心の中にずっと秘めているべき物語のはずなのに」
「せっかく信じてもらえたのに、更に、こんな事を話すのは愚かしいかも知れませんが―」
「構いません。話して下さい」私が促すと、ガブリエル・ジョーンズは語った。
「昨夜、夢を見たのです。この教会で、幼い私は父と一緒に座っていました。今、あなたとこうしているように、ね。この教会は、十年ほど前に建て替えられたのですが、ずっと昔、まだ建て替えられる前の、この教会に、日曜には、僕は父と一緒にかかさず礼拝に来ていたものです。父は、優しい人間でしたが、情に脆く、感情に流されやすい性格でした。お酒にも溺れることも度々でした。弱い人間と人から誹られることもありました。祖父とは正反対の性格の父でしたが、でも、僕は、そんな父が好きだった」私は、黙って耳を傾けている。
「夢の中の父の顔をはっきりと覚えています。笑っていた。父があんな笑顔を見せる場所と言えば、一カ所しかありません。アトリエです。アトリエと言っても、地下の物置で、自然光が入らず、昼でも、電球を付けなくては、絵が描けない場所でしたが。それでも、父にとっては、どこよりも、心安らぐ場所だったことは確かです。良く、幼い僕をモデルにして描いてくれたものです。夢の中の父は、絵の具で汚れた、古いよれよれのジャケットを着ていた。そして、隣の僕を見下ろして、笑顔で僕の頭に手を置いたのです。父は、私に何かを語ろうとして口を開いた。そこで目が覚めました」
「それで、今日、思い立って、この教会に来てみたと?」
「ええ。そして、あなたの隣に座った。偶然でしょうか?ケン・サワザキさん」話の流れから予想はしていたものの、私は、やはり、動揺した。
「私のような無名の画家を御存知とは、驚きです」それは、決して、謙遜ではなかった。私の絵が飾られている画廊は、ここニューヨークでも、ほんの数店だ。それも、ごく小さな画廊だ。個展も、キャリアが長い割には、数回しか開いていない。
「僕は、もう数年来、あなたの絵のファンなんです。私の画廊に、あなたの絵は飾られていませんが、私は、あなたの絵を数枚持っているんですよ。画廊に置かないのは、売りたくないからです」そして、続けた。
「僕には、やはり、昨夜見た夢が、何か意味を持っているように思えてなりません。偶然、こうして、あなたの隣に座ったのですから」そして、彼は、私と、私の隣、椅子に立てかけてある松葉杖に目を遣った。

        十

 私のアトリエに、夏の夕方の光が開け放した窓から長く差し込んでいる。老朽化したアパートの四階に、私のアトリエと住居はある。窓の下では、道路で遊ぶ子供たちの声が響いている。英語だけではない。スペイン語もあれば、韓国語もある。少し年長の子供たちは、それぞれの国の訛りのある英語を口々に叫んでいる。
 アトリエには、夏の終わり特有のちりちりとした熱気のせいで油絵の具の匂いが一段と強く立ちこめている。私の、一番好きな、心落ち着く匂いだ。
 アトリエの真ん中には、イーゼルが置いてあり、そこには、描きかけの十号サイズの油絵が掛けられている。女性の肖像画だ。
白髪がかなり混じり始めた短いブルネットの髪。白人にしてはやや浅黒い顔には、いかにも白人らしい、深い湖のような青い色の瞳が二つ輝いている。
肖像画の女性、妻のジェーンは、二年前にガンで亡くなった。膵臓に出来た腫瘍は、臓器の中で静かに増殖を続け、腰の痛みに気が付いたときには、すでに為す術がなかった。あまりにあっけない妻の死に、その後、何ヶ月も、私には、現実が夢の中の出来事のように感じられたものだ。
妻が傍らにいる生活を、私は三十年近く、当然のこととして受け入れてきた。その生活が、どんなに幸福で、そして、どれほどの幸運によってもたらされたものであったかを、私は、彼女を失って初めて知ったのだった。
私は、優しくはあったが、愚かな夫だった。画家としての乏しい才能を認めようとしなかった。認めるのが怖かった。多くの無名の芸術家がそうであるように。
心のスクリーンに、画家としての自尊心を、影絵のように大きく映し出すことで、自分を受け入れない世間と、私は長いこと折り合いを付けて生きてきた。
その無意味さに気付いたとき、私は、初めて、若き日の画学生に立ち戻る事が出来た。小さな才能の井戸をひたすら深く掘り起こす作業に没頭した。そして、私は、私の絵が少しずつ描けるようになった。妻が亡くなったのは、そのわずか数年後だった。私は、悲しみと混乱の波に飲み込まれ、我を失った。
 彼女の死を、ようやく現実のものとして受け入れ始めたとき、今度は、私が、脳梗塞で倒れた。付き合いのある画商が、仕事の話がてら、私の様子を見に、アパートに来てくれなかったら、私は、今、この世にいないはずだ。私たち夫婦に子供はいなかった。
 それから、一年。利き手の右腕が思うように動かなくなった私は、現在、左手で絵を描いている。私と同じ病で倒れた画家のことを知っていたので、数年前から、ある程度の練習はしていた。予感のようなものがあったのかも知れない。
しかし、練習と現実とは違う。もどかしさに、私は、何度も筆を投げ出したものだ。昨夜も、そうだった。
しかし、今日、教会から帰ってすぐ取りかかり、先ほどまでかけて描いた部分は、これまでになく、頭の中で思い描いたイメージに近く描けた気がしている。
 ガブリエル・ジョーンズが私に語った、あの不思議な物語。
 オスカー・ジュナイクから、ガブリエル・ジョーンズ、そして、私へと、人の運命を導く細い糸が繋がっていて、その糸を伝わって、何かが、私の中へと流れ込んだ―そんな夢想をしてみる。
たとえ、夢想ではあっても、そのイメージは、私の心を穏やかにし、新たな力を生み出してくれる。そんな気がする。
あなたは、私が抱く、この感情を錯覚と呼ぶだろうか?寝る前に冒険物語を読み聞かせてもらった子供が、ベッドの中で興奮が収まらないような、そんな他愛のない感情と笑うだろうか?

あなたにこの物語を語ったのには、訳がある。
最初に、言った言葉をもう一度、私は言おう。
私には、あなたが、私と同じように、神を信じたいと思っている人間に見える。
あなたは、奇跡を待ち望み、生きるための希望を欲している。違うだろうか?

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