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そもそもなぜV沼にハマったんだろう?を考えてみた

こんにちは。
個人勢Vtuber猫吹ねこぶきケムリさん推しの翔和(旧名:昭和)シュウです。

今回の記事、V沼にあっという間にハマったという話は私の一番最初の記事(下記)で書いているのですが、つい最近までVtuberをよく知らなかった私がこれほどまでにVtuberにハマるのは、「コメントを拾ってもらった」ということのさらに上流にあるもっと根源になる要因があるのではないかと思いました。

そんな中、noteを含めいくつかの記事でこの答えを導くヒントとなる記事を見つけたので、それを引用しながら考察してみました。
自分自身でかなりスッキリしたという自己満足な記事ですが、よろしければご一読いただければ幸いです。

[1] 現実を忘れさせてくれる

一つ目の参考になった記事は、サンクスさんが執筆された下記の記事「推しとは何か」です。

この記事の中に、次の一節がありました。

現実はどこまでも残酷で、直視するだけで胸が苦しくなるようなときもあります。
しかしそんなときほど、目蓋を閉じようとしても無理やり脳にインプットされるように、目をそらすことができなくなります。
偶像(=非現実の存在) である推しに触れている時間だけは、そんな現実を忘れることができます。

この記事を執筆されたサンクスさんは、声優・女優の久保田未夢さんと矢野妃菜喜さんを推されているので、Vtuberである猫吹ケムリさんを推している私とは少々異なるものの、上記の概念はとても共感できるものでした。

ちょうど私がVtuberを知った時期は、現実で少々しんどいことがあった時期でした。また、Vtuberを知った時期に関わらず、人生全体を通して現実の息苦しさは感じていました。

私はもともとゲームやアニメも好きなので、声優さんも私の人生を構成する要素の中で欠かせない要素の一つではあるのですが、私の場合は声優さんにはそれほどハマりませんでした。
今にして思うと、声優さんは そうは言っても現実の存在であるため、私にとって現実から目を逸らすには不十分だったんだと思います。

では、そもそもゲームやアニメはどうかと言うと、これらは逆にとことん虚構の存在ということになるんだと思います。現実の人間が作ったものとはいえ、その設定・世界観は基本的には虚構です。たしかにゲームに集中している時は現実を忘れますが、それは集中しているから忘れているという、現実から目を逸らすのに求めているものとは微妙に違ったんだと思います。

そこでVtuberですが、これは虚構でありながら現実である、面白い存在と言えるのではないかと思います。
2D・3Dモデルで見せている姿は、とことんまで虚像です。ところが、その中の魂は、特に雑談配信などで発信される内容が最も色濃く出ていると思いますしVtuberさんにもよりますが、かなり現実味が溢れています。

ここにVtuberの特異性があって、その特異性が私にぴったりマッチしたんだと思います。
現実から目を逸らすには目から入る情報は虚像であることが望ましい。ただ、そこで体感する内容はあまり現実離れをしたものでは現実感がないというか共感できないところ、体感する内容がちょうどよい頃合いで現実味溢れていて、共感できる。目から入る情報と耳から入る情報とが不一致であるために現実ではあり得ないインパクトを与えてくれているのかもしれませんが、そういったものが私が無意識的に欲していたものだったんだと思います。(そう言えば そもそも猫吹ケムリさんを見た時の第一印象も、目からの情報(姿)と耳からの情報(声)の不一致が強烈なインパクトを残したことを、これを書きながら改めて思い出しました。)

虚構と現実が混在しているという意味では、ドラマや映画、演劇もそういう立ち位置になりますが、これらはVtuberとは逆で現実でありながら虚構、現実の存在が虚構を演じている、ということになり、これはどうやら私が求めているものとは違うようです。
またこれは完全に私の個人的な感覚なのですが、私はドラマや映画、演劇のような、作られたシナリオを自分が介入することなくただ見る立場なだけのものは、どうも苦手です。(なおゲームは作られたシナリオですが自分の意志で進めることができるので、ドラマのような苦手感があるわけではありません。)

[2] 居心地がいいコミュニティ

次に参考になった記事は、今はVtuberとしても活動されている芸人のアメリカザリガニ平井善之さんのインタビュー記事、「Vtuberは仕事ではない、存在です」です。

この記事の中に、次の一節がありました。

──VTuberファンの方はそれぞれどんな感じで見てますか?

平井 皆さん優しい。雑音が入らない。そのVTuberさんを好きな人しかいない。ちゃんとこれを見ようとして選択して集まっている人たちなので純度が高いです。

──お笑いの界隈と違いますか?

平井 当時の話ですが違いますね。テレビで流れていろんな人が情報を取れるような環境の中だと、ファンの思いであったりとかお笑い論であったり、いろんなものが蠢くんです。個人活動だとファンが、好きなものをただ好きだとして純粋に見ている。ストレスがないですよ。マスに訴えているものではないっていうようなイメージを受けましたね。よりマスを目指すと、たくさんの人が見れば見るほどを純粋な意見以外も混ざってくる。

なるほど、これも私がボヤっと思っていたことを見事に言語化してくれています。

これは特に個人勢Vtuberにより当てはまるんだと思いますが、確かにそのVtuberを好きな人しかいない、アンチがいないコミュニティが圧倒的に多く居心地がいいことがVtuberにハマった大きな要因と言えそうで、なぜそういうコミュニティが形成されるかと言えば、マス(多数)に訴える必要がなく自分の好きなモノを発信しているVtuberさんに対して、それが好きで波長が合うファンが集まるから、ということになるのでしょう。

このあたりも、マスに訴える必要があり その結果自分の波長と合わないものも受け入れる必要がある テレビ、ゲーム、演劇などとは、Vtuberが一線を画している点なんだと思います。
自分の波長と合わない部分があって、かつそのメディアに触れる人の数が圧倒的に多いときは、どうしてもアンチ・荒らしの存在が出てきてしまう。これは、人が多いから確率論的にアンチ・荒らしが生まれる確率が増える、という側面と、アンチ・荒らしは多くの人にかまってもらいたいので人が多いコミュニティに出没する、という側面との両方があるように思いますが、いずれにしてもそうなると居心地に対して少なからず悪影響が出てしまうものなんだと思います。

[3] Win-Winの関係が成り立っている世界

これは猫吹ケムリさんを推し始めてから感じたことなので今回の主題の「そもそもなぜV沼にハマったか」とは厳密には若干外れるのかもしれませんが、V沼にハマる要因として外せないことなので挙げておきます。

これはいろんな記事やTwitterで言及されていますし、また猫吹ケムリさんご本人も配信やTwitterで仰っていますが、多くのVtuberさんはファン・リスナーからの反応が活動のモチベーションを生み出す大きな原動力となっています。
もちろんVtuberさんに限った話ではないんですが、Vtuberさんにとってはファン・リスナーからの反応が持つ意味がより重要になっていると思います。

そういう状況において、例えば私のように絵心がない人でも自分のできる範囲で作ったファンアートや切り抜き動画を、Vtuberさんが喜んで受け取ってくださる(猫吹ケムリさんの場合はさらに配信でそれを紹介してくださる)、Vtuberさんにとってもファン・リスナーにとっても嬉しいWin-Winの関係が成り立っている世界です。

私が知っている世界があまり広くないこともあるかもしれませんが、これまで私が経験した限りではこのようなWin-Winの関係が成り立っている優しい世界がなかったので、これも衝撃というか、こんな居心地のいい温かい世界があるんだ、ということが間違いなくV沼にハマった大きな要因の一つだったと思います。

終わりに

私の最初の記事[Vtuberを知って、光速で推しVの沼にハマってしまった話]と その次の記事[猫吹ケムリさんの魅力をとことん(7500文字余りに亘って)話したい]で、猫吹ケムリさん沼にハマった要因をまとめていましたが、今回そもそもV沼にハマった要因を言語化してみたら、ちゃんとした理由が存在することが分かって非常にすっきりしました。

自分がスッキリするための自己満足の記事でしたが、もし読んでいただいた方にとって何かの益になりましたら幸いです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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