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玉音放送

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

 さて、今回のラジオ生活ノススメはラジオ番組ではなく、1945年に起こったラジオ放送にまつわる出来事をご紹介します。それは玉音放送です。

 玉音放送は正式には天皇の肉声(玉音)を放送することを指していますが、多くの場合、1945年8月15日の正午から放送された、昭和天皇による終戦の詔書(しょうしょ)、大東亜戦争終結ノ詔書の音読ラジオ放送のことをそう呼ぶことが多いです。前日の8月14日に当時の鈴木貫太郎内閣がポツダム宣言の受諾を決め、前述の2つの詔書が発布されました。昭和天皇はそれらの詔書を朗読し、レコード盤に録音しました。そのレコードは翌日の15日に当時の日本放送協会(現在のNHKラジオ第一)のラジオ放送を通じて、国民に広く知らしめるというようになっていました。

 録音は皇居の内庭庁舎で行われ、8月14日の23時25分に作業が始まり、翌日の午前1時ごろまでかけて行われたと言われています。日本電気音響(のちのデノン)製のDP-17-K可搬型円盤録音機によって、同じく日本電気音響製の、SP盤規格準拠のアセテート盤(セルロースコーティング録音盤)に録音されました。この録音は2テイクあり、昭和天皇は3テイク録音したいと希望を話されていましたが、日本放送協会の職員が固辞したと言います。

 徹底抗戦を訴える陸軍の一部勢力によって、録音されたレコード盤を奪取する動きも見られたものの、レコード盤が発見されなかったために未遂に終わりました。

 そうした経緯があって、8月15日正午に玉音放送が流される運びとなりました。前日の夜と当日の朝に玉音放送のラジオ放送による予告がなされ、「このたび詔書が渙発される」「15日正午に天皇自らの放送がある」「国民は一人残らず玉音を拝するように」などといった内容が周知されました。当日の放送は玉音放送自体は5分ほど、残りは終戦に関するニュースを放送して、合計で37分30秒ほどだでした。しかも、電波状態が良くないために内容が聞き取れず、周りの様子を見て敗戦を知ったという国民が多かったと言います。

 これ以降、天皇の肉声が電波に乗ることは珍しいことではなくなりました。それだけ、この1945年8月15日の玉音放送が大きな影響を国民に与えたということが言えるでしょう。

今回もWikipediaの資料を参照させてもらいました。

 今回はこの辺でおしまいとさせていただきます。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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