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APDについてのエッセイ

 ある異変に私が気がついたのは、職場の電話に出た時だった。その電話自体はよくあるクレーマーからの電話だったので、上司に繋いでしまえばよかったのだが、問題は繋ぐまでの過程だった。電話から音声は聞こえる。何か捲し立てているようだ。だが、話の内容を聞き取ることができない。なので、当然メモもできない。第一、メモを取りながら電話の内容を記憶することが不可能だった。先輩に相談しても、
「ちゃんと伝わってるよ。そこまで、気にしなくてもいいんじゃないかな」
 と言うばかりだ。
 そう言われたものの、やはり聞き取りができていないのは事実。心配になり、終業後にスマホで「電話が聞き取れない」とググってみた。すると、そこに「APD」という見慣れないアルファベット三文字が現れた。APDとは「Auditory Processing Disorder」の略で、日本語にすると「聴覚情報処理障害」となるらしい。ネットの記事を詳しく見てみると、「うるさいことところで聞き取れない」「聞き返しや聞き誤りが多い」「言われただけの指示や情報は忘れやすい」と言ったことが並んでいる。
 愕然とした。どれも自分に当てはまっているのだ。幼い頃を振り返ると、テレビなどに夢中になっていると、
「おやつ食べないの?」
 などと聞かれても無視してしまったり、「えっ、何?」と聞き返したりすることが多かったように思えた。それ以外の事例も思い当たる節があって、他人事には思えなかった。
「もしかしたら、この障害かもしれない」
 そう考えると、自分でも思い込みが激しくなり、正式な診断を受けていないにも関わらず、そう自称したい気持ちになった。まるで、新しい肩書きを得たかのようなものだ。人は肩書きを持つとそこに対して帰属意識を持つようにできている。
 でも、しばらく病院に行くというような具体的なアクションを起こすことはなかった。アクションを起こすには軽微な障害に思えたからだ。障害というと、もっと辛い困難を抱えているようなイメージを当時抱いていた。当時の私にはそんな資格はないと考えていたように思う。

 私が病院へ行くことになったのは、最初にAPDというものに触れてから半年経った頃のことだった。より詳しく調べると、APDは耳の障害だから、耳鼻科にまず相談しなさいとのことだ。だが、APDの内容はおろか、単語すら知らない医者もいるとツイッターに書かれていたので、不安になった。初めに行った耳鼻科は、普段花粉症の時期にお世話になっている女性の町医者だった。
 
 診察を待つ間、私は「APDのことを知っている医者でありますように」と願わずにはいられなかった。名前を呼ばれた。緊張が走る。中待合室で待機している間にも緊張感は高まる一方だ。硬い椅子がより硬く感じられる。再び名前を呼ばれる。「はい」と返事をする。医師に病状を聞かれて、
「耳の調子が悪くて、聞き取りが難しくなっています」
 と正直に言った。即座に聴力検査の部屋に案内され、高い音から低い音まで左右両耳の聴力検査を行った。自分でも驚くほどよく聴こえた。しかし次の瞬間だった。
「次は……ですので、……ください」
 看護師の言った指示が聞き取れなかった。しばらく、ポカンとしている私に看護師は、
「次は先生の診察ですので、中待合でお待ちください」
 と言い放った。「これだ」と思い至った私は椅子から立ち上がり言った。
「これなんですよ! やっぱり聞き取れないんだ! 分かりますか?」
「分かりました」
 看護師の冷静な対応が冷たく思えたが、私は中待合の椅子に座った。「分かってもらえないのだろうか?」不安に陥る中、再び診察を受ける。
「聴力検査の結果、異常はありませんでした」
 安堵と不安が交錯する。
「APDって知ってますか?」
 自分の耳に医師の言葉が入った時に、希望が湧いた。
「はい、知ってます」
 私は前のめり気味に答えていた。

 医師はAPDの基本について説明した後、大阪の大学病院に紹介状を書くと言ってくれた。
 大阪。
 私の住む田舎町からは遠く離れた都会だ。
 それでも、私の気持ちに不安は少なく、大阪に思いを馳せていた。


 初めて大学病院を訪れたのは、冬の初めのことだった。まだ薄手のコートでも街中を歩く事ができた時季だ。私は住んでいる田舎町から1時間ほど電車に揺られた。駅に降り立ち、徒歩で十分。超高層の大学病院に臆しながらも入って行った。当時は新型コロナウイルスの脅威が強まっていて、手をかざすだけで消毒液が出てくる装置が多数設置されていた。
 初診の場合は午前中に診察がある。受付前は朝から多くの人でごった返していて、ベンチに座り切れないほどだった。人の多さに辟易しながら受付を済ませると、エスカレーターに乗って耳鼻科に向かう。それにしても、人が多い。老若男女がひしめき合っている。何を医者に頼ることがあるのだろうと思っていたが、自分もそうであることに考えが及ぶと群衆に紛れられると思えるようになった。
 午前中だと思っていた診察は昼前まで伸びた。「早朝から来ているのに」などと、勝手に腐れ始めた頃(時刻にして11時くらい)に診察の呼び出しを受ける。と言っても、これは前室に行くというだけの話で、ここからの待ち時間が長く感じられる。時間としては十五分弱のことではあったのだが、緊張のせいか何時間でも待っているかのようだった。周囲を見渡すと、子どもから高齢者まで年齢層は幅広い。
 呼び出しはマイクを通していた。やっとの思いで、診察室へ向かう。部屋に入ると、目の前には歳若の医師の姿。
「研修医上がりかな?」と勘繰りながら、椅子に座る。そこでは日常の様子などを聞かれた。その度に、ひとつひとつ言葉を選びながら答えるのだが、医者はスラスラとメモをしていく。質問を全て終えると歳若の医師は、
「これから検査があります。簡単な検査ですが、準備に時間がかかると思うので、食事を先に済ませてくださいね」
 と言った。


 検査は一時からだと言われたので、大学病院の上層階にあるレストランで腹こしらえをすることにした。エレベーターに乗り、八階のボタンを押す。病院のあたりは繁華街であり、高層ビルが見えるかと思ったが、エレベーターからは見えない。レストランからなら景色が見えるだろうと思った。
 レストランは床屋と同じ並びにあった。外観だけ見てみると、レストランというよりかは、食堂の方がイメージに合う気がする。入ると、何席かは埋まっていて、一人席が一、二席空いているだけだった。やはり、昼食時は混むのか。空いている席に座るように促され、適当な席に座る。メニューはやたら多くて、セットもあった。迷って選んだのは親子丼だ。料理が来るのを待つ間、窓を探す。しかし、見つけた窓からは衝立のようなものに遮られて、外の高層ビルを見ることは叶わなかった。がっかりしていると、親子丼が配膳された。診察までの待ち時間に比べれば、何のことはない時間だったが、高層ビルが見られないことにがっかりしながら、あっという間に平らげた。

 検査を受ける時間が近づいてくると、受付の前の席を陣取る。呼び出されてもすぐに診察室に行けるようにだ。一時から十分ほど経ってから、検査のために呼び出された。検査といえば、町医者で行ったのと同じような聴力検査だった。聴力検査の後、再び診察室に呼び出され、次回の検査が春先になること、心理検査が必要なこと、発達障害の検査を同時に行うことを告げられた。それらを聞いただけで疲労が倍増した。張り切って受けた検査は何だったのだろうか? 診察代を支払い終えると、外は夕暮れの空が広がっていた。時刻は四時を回ったくらいだったが、いつの間に日没が早くなったのだろうと首を捻ってしまう。


 四月、再び大学病院を訪れた私はある覚悟を持っていた。この日の検査は一日がかりのものだったので、かなり疲れると見込みを立てている。それでも今の状況を変えたい。その一念で私は今日に臨んだ。最初の検査は両耳分離検査と言って、両方の耳で同時に異なる言葉を聞き、両耳にバランスよく注意が向けられるかを調べられた。それ以降、音と音の間の無音の長さがどれだけあるかを確かめたり、雑音の下で聞き取りができるかを調べたりする検査を受けた。そして最後は、複数の音を左右で流し、どれか一つを選ぶ検査だった。そのほかにも心理検査という鬱などを調べる記入式検査を何枚も書き込んだ。
 途中で昼休憩の時間があったので、病院の外へ出て、ショッピングモールに行った。特に目当てもなかったのだが、美味しそうなラーメン屋へ入ることにした。そこは濃厚な鶏白湯ラーメンが売りらしく、その店のおすすめするものを注文した。味がよく、あっという間に食べてしまった。後で、もう少し味わえばよかったと後悔。
 大学病院での検査はここまでで、後は精神科病院での発達検査が残っている。疲労感に襲われながら、大学病院を後にした。

 桜が咲き誇っていた季節から新緑の眩しい季節に移ろう頃、私は精神科病院にいた。発達検査を受けるためだ。パズルのようなものから計算を必要とするもの、記憶力が試されるものまで、多岐に渡った。検査を受けているうちに太陽は傾き始め、夕陽が部屋に入り始めても検査は続いた。これが二日間続いた。精神科病院に通うので疲れ、検査でますます疲れていた。

 次回の大学病院の受診が七月なので、それまで期間が空く。結果を知るまでの間、私はAPDのことをしばし忘れていた。この耳の状態が正常で当たり前なのだと思い込む。そんな日々を送っていた。しかし、七月が近づくにつれ、APDの診断を受けることに期待する自分がいることに気がついた。何故そんなことを思うのか分からない。障害が増えるだけだろう。冷めた目でみる向きもある。それでも期待通りになってくれなければ困ると焦る自分の姿もはっきりと見えている。


 梅雨真っ只中の七月前半、大学病院の外は雨が降っていた。この雨は涙雨かとも思ったが、やはりただの梅雨末期の大雨だろうと冷めた目を自分に向けた。今はそんなことを思っている暇はない。もしAPDだと分かったら、どうしようと思っていた。自分でけりをつけられるだろうか。新しい一歩を踏み出せるだろうか。
 
 その瞬間はあっさり訪れた。
「あなたは軽度のAPDと思われます」
 そう告げられた時の私の顔は耳鼻科の医師から見てどういう風に見えたのだろうか? 医師が慎重な物言いに徹していたのに対して、不謹慎かもしれないが、喜びに似た感情を抱いていた。「自分の思った通りだ」
 医師は付け足すかのように、
「あなたはあなたが思うより、よく聞こえていますよ」
 とも話した。それはそうだろうと感じていた。自分では聞こえているんだから。世の中の人はAPDですって告知されたら、どういうリアクションを見せるのだろうか? 恐怖に慄いてしまうだろうか? 戸惑って怒り出すだろうか? 私みたいに安堵する人はどの程度いるだろうか? いずれにしろ、私がAPDであることは確定した。もう考えなくてもいいのかもしれない。
 診察室を出た私は次回の受診予約の日を告げられた。ようやく実感が湧いた気がした。これから先、長く付き合っていかねばならないことにようやく気づいた気がする。一刻の猶予もない。時は流れているのだ。

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