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なぜ挑戦をしたくなるのか(脱サラまで217日)

showです。

今日は過去の自分についても書こうと思う。
僕は今25歳で社会人3年目。
そして2022年3月で現職を退職して海外に行くことを決断している。

なぜ、安定を捨ててまで挑戦・やりたいことをするのか

色々な要因はあるが、その中でもメインになっている経験を記そうと思う。
2010年の中学2年生時に新型インフルエンザが世界的に拡大していた。

当時は、インフルについて学級閉鎖になる!ラッキーという捉え方しかしていなかった。
そして僕も感染して、学校を合法的に休めることに嬉しさを感じていた。
インフルエンザには過去にもなったことはあるが、高熱は出るが3日もすれば復活するようなイメージを持っていたからだ。

今回の新型インフルは違った。いつも通り、安静にして3日ほど経ったが何かおかしい。
頭はクラクラするし、体はだるい。
ふと親に『インフルエンザで死ぬことはあるのか?』と問いかけた。
『脳内にウイルスが入る脳症になったら可能性はあるけどよっぽど大丈夫だよ』との回答でその時は流した。

だが、4,5日経っても症状が良くならない。僕は脳症かもしれないと直感で思った。親は半信半疑だったが、町医者に行ったところすぐ救急車を呼ばれた。どうやら手に負えなかったらしい。
そこで、市の割と大きめな病院に行き、CTを撮った。写真で見せてもらったが、頭の中がパンパンに腫れていた。
あと5時間以上放置していたら、破裂して今の僕は居なかったと言う……

そこから記憶は10日程飛ぶ。そう、その後入院となったが、症状が悪化して僕は意識を失った。10日後の深夜にipadから流れるバラード調の曲が聞こえて目を覚ました。そこには母親の妹がいた。すぐに母親も来て、僕の目がちゃんと開いていることに涙していた。僕自身は、少し眠っていたくらいの感覚だったので何が起きたのか全く把握できなかった。
しかし、カレンダーを見て驚愕した。

10日の間に何が起きたのか事細かく母親が説明してくれた。
日記や動画も撮っており、どんな状態だったかイメージしやすかった。
いきなり暴言を吐いたり、看護師さんを認識できず来る人全員が同一人物と捉えている姿があった。食べているものはご飯なのにラーメンを食べていると錯覚を起こしたりもしていた。

その中に、無意識で『生きたい』と両親に呟いている自分の姿があった。
嘘みたいなことだが、僕は夢の世界で、ある化け物と戦っていた。その化け物を倒した瞬間に目が覚めた。あの出来事は今でも鮮明に覚えている。

その後1週間後くらいに退院して学校に戻った。

僕含め誰もがこれで元の生活に戻れると思っていた。
しかし、脳症で本当に怖いのはここからだった。後遺症があった。

僕は退院後10日程でまた症状が再発した。頭の激痛、意識が朦朧とする感じ。市の病院で再入院したが、ここでも次は手に負えなかった。
そこから人生2回目の救急車に乗り、県1番の大学病院へ搬送された。
ついた先は、ドラマでよく見ていたオペ室。手術用の服を着ている人が周りにいた。
とうとうこの領域まできたかと、なぜかワクワクした気持ちも20%くらいはあった。

そして麻酔で眠ってしまったが、髄液検査というかなり痛い注射を打っただけみたいだった。

その日の21時くらいに目が覚めて、目の前にはいかにも大学病院勤務の医者3名がいた。ちょっと空気が重い感じがしたが、僕は『本格的な医者みたいだな』と生意気なことを言っていた。
この頃から、性格も変わってくるというややこしい症状も出ていたためである。

そこで、初めて『死』を覚悟させられた。
理由としては、全国的に小児の脳症は流行っていたが、ほとんどが命を落としていらしい。さらに治療方法もわかっておらず、まさに八方塞がり。現状維持をして、完治する奇跡を祈るのみ。

さすがの楽観的な僕でもどん底に落ちた。まだ14歳。何もしていない。やりたいことはたくさんある。数日は症状関係なく生きている心地はしていなかった。

そんな中、主治医の先生がある提案をした。それは、僕自身がこの病気を治すきっかけになるということだった。現状、治療法はない!ただ治療法を見つけることはできるかもしれない。
それには、いろんな検査をしなければいけない。症状が良くなるかもわからない治療もしなければいけない。もしかしたら、普通よりも早く命を落とすかもしれないし体の自由が効かなくなるかもしれない。

僕の答えはすぐに決まった。何もせずに死ぬよりも可能性がある方に賭けたいと。
親は泣きながら反対したが、最終的には納得してくれた。
そして、治療に向けての同意書にもサインして覚悟を決めた。

ここから大学1年生までの約5年間の闘病生活がスタートする。
最終的には完治して普通の生活をしている。細かく書くと、一冊の本ができてしまう程濃い内容なので割愛します。

この経験から、どんなに安定している現状でも明日はないとう意識が無意識的に生まれたと思う。
時間は有限である。それなら、やりたいことをやらない人生はもったいない。挑戦しないと変えられる未来も変えられない。
死ぬときに後悔することが一つでも少なければそれでいいと思う。

なかなかこんな経験をしている人は少ないと思うが、もっと自分が本当にやりたいことに対して行動しやすい環境になればいいと思うし、創りたいと思う。

そして僕は留学経験から、海外にはその思想が強くあると感じている。その環境に身を置きたい。まずは自分が自由になることが必要だと思い、日本から出ることを決断した。

これからも自分の意思で道を決めていきたい。命を使い切りたい!!

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