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インドの夕暮れ(2005年の記憶)

バローダ(Vadodaraともいう)の町には高い建物がない。2階建の屋上に上れば、辺りが一望できる。砂埃の混じった乾いた空気、見渡す限り単調な石造りの建物の上には猿の姿がちらほらする。野犬の吠える声。

仕事を終えて帰宅すると、この屋上に集まってラム酒入りの紅茶を飲むのがこの家のルーティンだ。たまにヨルダン人のハッサンがシーシャを持ってきて、マリ○ァナが混じったそれを吸って回す。ちなみにグジャラート州はドライステートで現地民は禁酒されているが、外国人は許可証をもらえば一定量のお酒が買える(ただ品揃えも品質も悪い)。

毎朝、大きすぎる自転車を漕いで仕事場に行く。道路はバイクでごったがえして排気ガスが酷いから、皆スカーフで口を覆っている。朝の通勤はさながら競輪のレースのようだ。

仕事場であるところのろうあ学校はうちから自転車で15分くらいの町中にある。コンクリートの塀で囲まれた無味乾燥な灰色の建物。日中は40℃にもなるにもかかわらず、エアコンもなければ、1台きりのコンピューターはバルコニーに置かれている始末。インターンとして派遣されたものの、ろくに仕事を頼まれないので暇で仕方ない。

同僚のおばさん先生たちは英語もほとんど通じないので仲良くなりようもなく、大抵ランチは独り、通りで売っているベルプリ(味のないベビースターみたいなのにザクロとかナッツとかが入ってスパイスで味付けされたやつ)を食べてからコーヒーを飲みに近くのお店に行く。コーヒーと言ってもネスカフェのインスタントなんだけど。ちなみにメニューにもまんまネスカフェと書いてあるのでネスレは偉大だと実感する。

学校の敷地内でタバコを吸うわけにもいかないので外で吸っていると、見知らぬおじさんにグジャラート語で注意された。どうやら私はネパーリの娼婦に間違えられるから止めろということらしい。なるほど、ここでは私はネパール人に見えるのか。
注:ネパールからの出稼ぎが多いインドでは、ネパール人は差別される傾向にある

学校の子どもたちは難聴の度合いは個人差があるにせよ皆補聴器をつけてるので、常にキーンという機械音が聞こえる。もちろん本人たちは気にも留めていない。年齢は下は3歳から上は16歳くらい。

私はなんせ言葉も手話もできないので、面倒を見るのは大体7歳以下くらいの小さい子どもたちのクラス。といっても、3歳の子の鼻水を拭いてあげたり、もうちょい大きい子たちに絵を描いてあげたりするくらい。1人にあげると皆群がってきて僕にも私にもとねだってくる。私の下手くそなロケットの絵でも、珍しいのかやたら喜んでくれる。みな多分貧しいので、制服をろくに洗うこともできないからバッチいんだけど、抱きしめたくなる。中に1人、身体は大きいんだけど恐らく知能障害があって、人差し指と中指が癒着してる男の子がいる。いつも何だか笑ってはいるけど何をどこまで理解しているのかわからない。この子はこれからどんな人生を送るのだろうかと思うけれど、私には何も出来ない。

そんなことを思いつつ今日も仕事(と言えるのか?)を終えて帰宅し、ハウスメイトたちと屋上に登ってラム酒入りの紅茶を飲むのだ。

何軒か先の屋上で猿がこちらを見つめている。洗うほどに土埃で茶色くなるTシャツ。
またバローダの1日が過ぎる。

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