見出し画像

自己肯定感とイマジナリー

おそらく、あまり共感されない、意味のわからないことを書き綴る。

心の中に自分を肯定する存在(イマジナリー)をつくった。
その存在は、推しの容貌をしている。
一般的には「妄想」(ひとりよがり、夢見がち、理想主義、現実を見ろetc)と片付けられてしまいそう。
だけど、私にとっては重要な存在。

現実の推し(以下「彼」とします)とはきちんと区別している。
しかし、現実の彼が結婚したら、私は崩れてしまうのではないか。

考えを整理してみた。
・現実の彼と、私の心の彼は別人である
・彼からイメージを借りているだけ。ヒントをもらうだけである
・彼が結婚したら、そのときはそのとき考える(落ち込んでもいい)
・今は自己肯定感を育むために、彼のイメージを使っている
→もっと自己肯定感が育てば、彼に頼らずともほかの方法に変わるかもしれない

ベタベタに自分を甘やかしてくれる存在が理想だから、
心の中の彼と恋愛関係みたいになっているのだろう。
恋愛そのものがしたいわけじゃない。現実には求めていない。

子供の頃からそうだった。
私の心の中にはその当時の推しの容貌をした彼がいて、
いつも大きく包み込んでくれていた。
でも、現実にそのような存在はいないから、寂しかった。
どんなに想っても愛しても、私は愛されることがない。

現実との区別はついていて、
私が現実の彼との接触は一切ないことはわかっていた。
だから、もし彼を間近で見ることがあったら……、どうしようキャーーーーって想像だけで心臓がはちきれそう。
で、現実の私は可愛くなくてダサくて、彼の前に出すのは恥ずかしい。お目汚し。

今も同じ。彼を間近で見る機会を想像したら、恥ずかしい。
会えたとしても、私はただのファンでしかなくて、ファンとして接してもらい、彼の記憶からすぐ消えるのにね。
(でも、自分が嬉しければ、それはそれでいいと思う)
現実の彼と心の中の彼はやっぱり別人だよ。


自分の中の彼は、結局、自分自身。
だから、彼の容貌から脱して、妖精のような容貌になってくれたら、いらないことで悩まなくていいね。
でも、今は彼(のイメージ)を利用させていただく。


また今度書こうと思うけど、私には恋愛が必要ないと思う。
心の中の彼が私を愛してくれれば、それで満足。現実に恋人はいらない。
自分自身が自分の恋人であり親友である。

今までは現実に恋をしない自分を
「夢見がち」「理想が高い」「弱気」とダメ認定していたけど、そうじゃなかった。
まず自己肯定感。自分が自分を愛する。
その先に現実の恋人や受容してくれる相手が待っているかどうかは知らない。
そんな相手が、いても、いなくても幸せであることが重要。

サポートありがとうございます。