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ギネスブックに載っている「世界一のケチ」であり、「世界一金持ちの女性」でもあった人物とは

19世紀末、ウォール街の粗末な安アパートの一室に、子どもふたりと質素に暮らす女性がいました。なにせ19世紀末のこと、快適さなど今の常識から推し量ることはできませんが、その暮らしぶりは「質素」という域を超え、もはや「狂人」の域に達していたようです。
彼女の名は「ヘティ・グリーン」(Hetty Green, 1834 – 1916)。「世界一のケチ」という異名のうえ、当時、世界でもっとも資産を持つ女性投資家であり、その投資手腕や風貌などから、「ウォール街の魔女」とも呼ばれていました。

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史上最高の女性投資家

捕鯨業で財をなしたクエーカー教徒の資産家の家に生まれ、両親から譲り受けた遺産を元手に南北戦争時のアメリカ国債や大陸横断鉄道などへの投資・投機を行い、莫大な資産を築き、後に「史上最高の女性投資家」と呼ばれるようになります。
彼女の投資法の特徴は「安く買って高く売る」という基本の徹底。それも歴史的な暴落時に買うことを得意としていたようです。

いわゆる「どケチ」と言われる人に言わせると、一般人の一般的な節約法は甘すぎて話にならないそうですが、彼女に言わせれば、おそらく一般的な逆張り投資家のやってることは、甘すぎて話にならないということになるのかもしれません。
投資で異常な大成功をおさめるには、知識やテクニックや経験だけでなく、ある種の「常軌を逸した精神性」が必要になると言われています。彼女にも、まさに常軌を逸したエピソードが多数伝わっており、伝説的な奇人・変人として歴史に名を残すことになりました。

驚異の衣・食・住

着る服は、黒いドレス1着を20年間愛用。丈夫な漁師用のゴム長靴を履いて、防寒のためにドレスの下には新聞紙をたくさん詰め込んでいたそうです。
ドレスはほとんど洗わず、薄っすら匂って色が変色してきた時にも、石鹸を使うのはもったいないと、特に汚れている部分だけを洗って着ていたそうです。

食べる物は、1食あたり豆一皿にパンのみ。光熱費節約のために、火を使わないよう冷たいオートミール。たまに栄養を考えて、玉ねぎを1日かけてそのまま食べていました。

住むところは安アパートばかり。税金を少しでも払いたくないと、住民票は当時もっとも安いと言われていたヴァーモント州に置いていたそうです。

家族をめぐるエピソード

資産家であった「エドワード・グリーン」と結婚。男女ふたりの子どもに恵まれ、幸せに過ごしていたかと思えば、彼女のケチぶりによって波乱万丈な人生を招く結果となってしまいます。

彼女は、夫の浪費が我慢ならず、財産を取り上げて追い出してしまい、その後は最低限の生活費を送るのみで、最終的には離婚します。

息子の「ネッド・グリーン」が遊んでいて足に大ケガをしたとき、さすがに彼女は病院に連れて行きますが、そこでもお金を使いたくなかった彼女は、無料券を探し出し、貧しい人たちが行く無料診療所に連れて行きました。
診療所では、その症状から通常の病院での治療を勧められますが、そのことに激怒し、息子はそのまま連れ帰ってしまいます。
足のケガはみるみる悪化し、とうとう片足を切断しなければならなくなってしまいました。

無料診察所に連れて行った時にはすでに手遅れの状態だったという説もあるそうですが、節約のために息子の足のケガを後回しにし、片足を失ってしまったことは事実のようです。

倒産に追い込まれた銀行

彼女は、あるとき銀行に出向き「100万ドルを引き出したい」といきなり無茶ぶりをしたことがあります。
銀行は「そんなことをされたら困る」と、必死に説得をします。その銀行の最高預金者は彼女であり、最高債務者が夫であったそうで「夫の負債を返して欲しい」と頼まれますが、「そんなことは関係ない」と突っぱね、半ば強引に100万ドルを引き出してしまいます。
翌日、その銀行は倒産してしまったそうです。

世界大恐慌を生き抜いた「ウォール街の魔女」は、資産を次々に引き出し、世界大恐慌でもまったくの無傷であったという伝説があります。たいへんな「嗅覚」と言えます。
世界恐慌に関わらず、長年にわたって財産をさまざまな投資で増やしていく、その手腕は、相当なものであったようです。

あるとき、記者から「なぜそんなにケチなんですか?」と聞かれたとき、彼女は「自分の家は5代に渡って金持ちなので、富や財を見せびらかして社会的な地位を上げる必要はない」と答えたそうです。
さらに彼女は、多くの教会に善意でお金を貸していたそうです。低金利だったそうですが、献金はしなかったわけですね。あくまで貸す、利息は得ると…。

最期のとき

招待された友人の家で、脱脂乳について討論になり、その最中、脳卒中に罹って命を落としたそうです。
友人が美味しい料理を用意したことに激怒して、それが原因で脳卒中になったという説もあります。

彼女の資産は、亡くなる直前1億2,000万ドル(現在の日本円で1兆円相当)にも増え、この時期はよく「財産を目当てに私は殺される」と言ったりと、財産に対する妄想が激しかったそうです。

遺体は息子によって棺に白いカーネーションが入れられ、生きていた頃には2等車、しかも廊下に乗っていた彼女が、亡くなって初めて1等車で故郷に運ばれたのだそうです。



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