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努力の実態
みなさん、こんにちは
先日友人の企画した「映画シェア会」なるものに参加してきました
「映画シェア会」ってなんね?
そう思った方のために
友達同士で映画を見に行って帰り道であ~でもないこ~でもないあれがよかったここがよかったと話が止まらなくなる経験ってありませんか?
それをオンラインでやっちゃおうという企画です
で、今回の課題となった映画がこちら
筒井哲也さん原作漫画を映画化されたもので
記憶が正しければヤンジャンで連載されてたはず
新聞紙で作ったマスクを被り、警察が裁かない、裁けない人に制裁を加えそれを予告から実行に至るまでを配信する新聞紙男(役:生田斗真さん)とそれを捕まえようとする刑事(役:戸田恵梨香さん)のお話
今回の映画シェア会でトピックスとして挙がったのが
「努力はどこまで必要なのか」
登場人物の背景として新聞紙男も刑事も、幼少期学校に給食費を払えないほどの貧困家庭で育ったということ
新聞紙男は派遣社員として勤務していて努力を蔑ろにされ体調を崩した
かたや刑事は地道に努力を重ね、女性でありながら捜査を指揮する立場まで登りつめた
この二人にどんな違いがあったというのか
単純に新聞紙男の努力が足らなかっただけ、としていいものなのか
努力に関しては持論があるのですが…
0~5歳 努力土台作り①
とにかく沢山喋る、言葉のシャワーを浴びせまくって脳を言語に慣れさせる
6~9歳 努力土台作り②
努力の土台作り、環境を与えまくって「好き」「得意」を作る
10~18歳 努力不要、環境提供
社会に揉みまくられ、新発見や経験値向上、人間関係作りで己を知る
18歳以降 自己責任
生きろ!笑
これだけ見ると努力不要論を論じてるように感じてしまうでしょうが
自分の目的、目標を達成するために何をどうすれば実現できるのか
そのためのスケジュール作りを自分で組み立てられるようになっているから
あとはそのレールを進むだけなので当人は努力をしている自覚はない
ってことになるんですよね
で、本当に努力してこなかった人がその人を「努力の人」としちゃうから努力論が蔓延っちゃう風潮になっているのではないか
改めてそんなことを考えるきっかけになった「映画シェア会」
来月はスタンリー・キューブリック監督のSF映画「時計じかけのオレンジ」をシェアするそうです
たのしみ~
あと努力に関しては各々の解釈や人生経験、積み上げた実績等々あるのであくまで私の持論ということで、悪しからず。
参考図書として↓↓↓
あくまで持論です。
大切なことなのでもう一回言っておきます
あくまで持論です
ではまた
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