昭和のピン

平成5年生まれの27歳ですが、昭和の芸能を何よりも愛しています。

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最近の記事

#06 藤田まこと 〜ブラウン管の名優〜

 一掛け 二掛け 三掛けて  仕掛けて 殺して 日が暮れて  橋の欄干腰おろし 遙か向こうを眺むれば  この世はつらい事ばかり  片手に線香 花を持ち  おっさん おっさん どこ行くの  私は必殺仕事人 中村主水と申します  これは『必殺仕事人』のオープニングで流れていたナレーションのセリフです。  2006年(平成18年)の大晦日、テレビ東京で放送された『第39回年忘れにっぽんの歌』に中村主水を演じた藤田まことが出演し、この冒頭のセリフを自らが語っていたのです

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    • #05 市原悦子 〜家政婦から刑事まで〜

       平成が終わろうとしていた年の1月12日、超が付くほどの個性派女優であった市原悦子が世を去りました。  82歳で旅立った彼女も、早いもので今年3回忌を迎えました。  あるときは家政婦、あるときは刑事、そしてあるときは昔話を朗読するおばさん。女優としての市原悦子は、実に多面性を持つ演技派の女優でした。  その実力は、若い頃から折り紙付きでした。1957年(昭和32年)に劇団俳優座へ入団すると、デビュー作『りこうなお嫁さん』でいきなりの主演。その後、芸術祭奨励賞、新劇演劇賞と次

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      • #04 7代目立川談志 〜立川雲黒斎家元勝手居士〜

        「努力ってえのは、なんです?」 「馬鹿に与えた夢だ」  談志落語の十八番『やかん』のネタです。  この言葉通り、立川談志という落語家は夢を与え続けた人でした。しかし、それは「馬鹿」に与えたのではなく、現実社会を生きづらいと感じている人たちにでした。  生前「俺のファンは社会で排除されているような人が多いんですよ」と語っていました。実際に談志は、自らが傍若無人であるかのように振る舞い、鼻つまみ者、不適合者と世間で呼ばれてる人たちに「お前はそれでいいんだよ」と救いの手を差し伸べ

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        • #03 玉置宏 〜笑顔でこんにちは〜

           「ご機嫌いかがですか、玉置でございます」  番組冒頭、必ずにこやかにこの挨拶をしていたのが司会者の玉置宏。  西村小楽天や宮尾たか志など、歌の曲紹介を務める司会者は数多くいますが、その中でも歌謡曲黄金時代にアナウンサーから転身し、司会者として不動の地位を築いたのが玉置宏でした。  その昔、日曜日の昼にTBSで『ロッテ歌のアルバム』が、夜には『象印スターものまね大合戦』が放送されていたこともあって、玉置は一時期日曜日のお茶の間の顔でもありました。  玉置が司会の世界に入っ

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        #06 藤田まこと 〜ブラウン管の名優〜

          #02 浪花千栄子〜おもろうて、やがて悲しき〜

           現在、朝のNHK連続テレビ小説として絶賛放送中の『おちょやん』。  BK製作特有のドタバタコメディーで、杉咲花演じる主人公「千代」の溢れるチャーミングさ、持ち前の勝ち気と根性、そして小気味良いおとぼけが見ていて面白いです。  そんな「おちょやん」のモデルとなったのが、ナニワのお母ちゃん女優と親しまれた浪花千栄子です。  浪花千栄子、本名 南口 キクノ(なんこう きくの)。  戦前は松竹新喜劇の女優として、戦後は花菱アチャコとの名コンビでラジオドラマ『アチャコ青春手帖』と『

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          #02 浪花千栄子〜おもろうて、やがて悲しき〜

          #01 森繁久彌 〜コメディーとシリアスで頂点を極めた男〜

           2009年(平成21年)11月10日、森繁久彌は96歳で世を去りました。  晩年はその長命から、多くの芝居仲間を見送る姿が半ばネタ化されてしまい、とりわけコラムニストのナンシー関はそうした森繁の姿をよく題材に扱っていました。  ナンシー関のコラムによって、著名人の葬儀で「私より先に…」と弔辞を読む森繁の姿が際立ち、「森繁久彌=おくりびと」のイメージが濃くなったように思います。  そんなナンシー関よりも生き、一つまたひとつと年を重ねる森繁久彌の存在は、晩年になるともはや演劇界

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          #01 森繁久彌 〜コメディーとシリアスで頂点を極めた男〜

          昭和芸能を愛した男のお話

           私は昭和の芸能が大好きです。  歌謡曲にはじまり、映画、ドラマ、落語、漫才、バラエティーと、あの時代のテレビを彩った芸は何でも好きで、暇さえあればそれらを目で観て、耳で触れて愛し続けています。  この数年、昭和の芸に触れなかったことが1日たりともなかったと言って過言ではありません。  そのくらいに私は昭和の芸に魅せられ、寄り添い続けてきたのです。  そうした人生を歩むきっかけとなったのは、幼稚園の時に聴いたテレサ・テンの『つぐない』でした。  三木たかしによる旋律と、荒木

          昭和芸能を愛した男のお話