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■ClementiaからLUDENSへ

はじめましての方も僕達の活動をご存知の方も
改めて宜しくお願い致します。
 僕は京都の御所南のレストランLUDENSの
オーナーシェフ田淵章仁と申します。
僕達の活動、今までの事、これからの事を
日記の様に綴っていきたいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。

先ずは僕の自己紹介から、僕は滋賀県草津市
北山田町の兼業農家の家庭に生まれ、
琵琶湖湖畔近いこの地で育ちました。

実家は親父方で、おばあちゃんと
僕の両親、弟の5人暮らし。
おばあちゃんはじいちゃんを36歳の時に亡くしているので本当に苦労して親父達を育て上げたみたい。偶然にも母も親父と同じ境遇で、自身の父親を早くに亡くし、幼少期は貧しく大変だったみたい。お陰様で僕達兄弟は何の苦労もせずに育った。
(厳しかったけど)
ばあちゃんは京都に奉公に出ていた事がある
らしく、よくその頃の話をしてくれていし
背骨は曲がっていたけど、何時も
身なりは綺麗にしていた。
両親は共働きだったので、ばあちゃんが
僕達兄弟の世話をしてくれていた、
お腹痛いと言えば、お粥を作ってくれたし、
火傷したら庭に生えてたアロエを貼って
くれた。地元の鯉料理やよもぎ餅、
イナゴの佃煮なんて物も作ってくれたっけ。
そんな旧家にはおくどさんがあり、親戚が集まる
盆と正月には地元の食材をおくどさんで調理して、皆で食卓を囲みました。

この頃は湖州道路も未だ無く、豊かな自然に
囲まれずっと外で遊んでいた記憶がある。
小学校から帰ると犬の散歩、畑に水やり、
秋は稲刈りをしていた。
■この頃母に勧められて、書道をし始めたっけ。
今思えば、随分と発展したものだ。
多分ファミコンとかも小さい時に出てきたし
滋賀は遅れてたからゲームセンターでさえ
なかった、親父が就職した時代にやっと
草津駅付近に喫茶店が出来たと聞いたし。
この頃の影響があるか判らないけど、
高校生になってから
目指していたインテリアデザイナーを
諦める切っ掛けがあり、20歳から料理人に
転向。
この時のシェフ(加藤シェフ)
■滋賀県草津市のGiornata
の影響を受けて料理に惚れ込み、そのまま
今に至ります。
何度か大変な時期はあったけど、加藤シェフの
料理人は
(健康的で、物事に対して真摯に向き合って行かなければならない)
と落ち込んで上手く行かない時はその様に
励まして下さった。
■この頃から30歳で自身の店を構えると
決めて修行に励み、
数店舗で修行させて頂き、30歳で
2009年9月に京都の御所南で
イタリア料理Clementiaを開業
■2011年
内田シェフ加入!
この時は内田と12年も一緒に働くなんて
思ってなかったよ!
■2014.2015.ミシュランが日本に上陸した年に
ビブグルマンを頂いた。
■Clementia開業してから6年目
2016年36歳の時に移転を決意、2年間物件を
探していたが良い物件が見つからず
たまたま同じ町内あった町屋がテナントになり、
以前紹介して頂いたレイバーランドさんが管理
していたので、そのご縁で移転先が決まりました。
■2017年9月名前とコンセプトを変えてLUDENSへ。
この頃移転はしたものの、大事故に遭い
プライベートと仕事を取り巻く環境も
大きく変化した時でした。
とにかく、家族を含む大切な人達に多大な
心配をおかけした時期。

目指していた料理人像と何時しかかけ離れ
ていた事に気づいて、薬膳の勉強を
し始める決意をした時期でもある。
■2018年
LUDENSの住所は間之町二条上る
二条通り(薬屋町)に近いので
イタリア料理と薬膳を組み合わせ
、Rstoranteの語源Ristorare(回復させる)
という意味を最大化させる
身体が喜ぶ料理を提供しようと決めた
年でした。
■2019年最初は大変でしたが、
徐々にお客様に認知して頂き始め、
スペシャリテの薬膳スープが完成し、
料理教室等新たな活動も開始し
軌道に乗り始めた年
この年が独立して11年目。
そして前厄、そしてコロナ禍の始まり

長くなりましたが、今までの経緯です。
あまり派手な経歴はないですが😊



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