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優等生が仕事で行き詰まる理由〜経営組織論から考える、集団成果を生み出すリーダーシップ能力形成のポイント〜

先日、なんで学校では優秀だった奴でも実社会では使い物にならないということがあるのかという話しをしていました。一方で勉強できなくても実社会では活躍する人もいる。優秀でも実社会でさらに活躍する奴もいれば、勉強できなくてそのまま駄目になるやつもいる。

このあたりを分けるのには恐らくは、学校やら全国模試やら受験やらにおける成績というものだけでは推し量れないものがあるというのは、誰しもわかるところです。

特に地域でのプロジェクトにおいては、どんなに優秀な個がいたとしても、集団として潰されてしまえば、その集合体は結局は成果を得られません。つまりは優秀な人材にリーダーシップがなければ、集合体で生活する人間にとっては進歩がなかなか生み出せないのです。

そういう意味では、地域で必要とされる人材とはなにか、といえばつまりは知識や分析能力に長けているような個として優れているだけでは能力不足で、そこに集団の中で評価されて、起案された内容を通せるという特性が求められます。そしてそれはどのような存在であり、それはどのように形成されると考えられるのか。

このあたりをリーダーシップ研究などから考えたいと思います。

○ 組織で企画が通らない3条件

そもそもとして企業経営でも、地域経営でも言えるのは、一定の課題に対して解決策を導き出すのは優れた人物が1人いれば済む話であったりします。じっくり優秀な人材にリソースを提供して、その人が考えるのに必要なサポートをまわりがしていけばすむということは多々あります。そういう意味では、一定のグループの課題解決能力というものは、最も優秀なメンバーの能力に依存するわけです。

ここの点においては、学校教育の個人競争型で知識や反復学習などを問い、さらに思考力へと発展させていくというスタイルはフェアであり、個体として優秀な人物をピックアップする上では、最良とまではいわずとも、かなり優れている方法論と言えるでしょう。

ただし、重要なのは課題解決の方法論を優秀な人物が導いたとしても、それを実行するかどうか、はその集団組織によるのです。ここが結構大きな課題なんですよね。地域でもよく「なんてこんなあたりまえのことやらないの」といったことがありますが、グループの意思決定とはそういうものではなかったりするわけです。

優れたメンバーによる、優れた起案が受け入れられない場合の特徴として言われるのは、

・最も優れたメンバーが集団内での地位が低い場合
・最も優れたメンバーが自信を持っていない場合
・解に皆を納得させる驚きのないものの場合

という3つがあると言われます。つまり地位の低い人、組織の外の人間があれこれと正しい提案をしたとしても、それが受け入れられる可能性は低い。同時に、提案している人間が優秀であったとしても自信がなければ、結局それを起案することすらしなかったり、指摘を受けて内容を変えてしまったりするわけです。さらに言えば、その内容がなにか画期的なものでない平凡な王道の手段であっても、「そんなことは分かっている」みたいな話になって受け入れられない。だけど、病気の処方箋と動揺に別に平凡な治療法が必ずしも駄目なわけではなく、それをちゃんと行うことが組織にとってプラスになることは多々あるわけです。

しかしながら、個人として能力高くても、組織内で地位が低いだけでもダメ出し、自信があまりなくても駄目で、さらに皆にサプライズを感じさせられるようなことがなければ通らないってわけです。ま、どれか一つでも障壁になりますからね。

個人成績もよくて、集団成果も生み出せる人はやはり就職でも非常に有利に働いてきた。例えば有名大学のラグビー部とかありますよね。組織の中での役割を果たし、その中からリーダーとして活躍するという人物は、やはりチームとしての成果を生み出す力があるわけです。それって優秀性はもとより、上記のようなグループ内での一定の地位、そして自信、そして他があまり考えないようなアプローチを起案できるという力があるとも言えますね。

学校教育の個人成績はそこについてはかなり評価ができない仕掛けとも言えるので、優秀な成績で、トップ校にいっているからといって全員が活躍するわけではないというのは、重要なところです。

○ 知的であるかどうかより、よく話すかどうかのほうが大切

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