【松果体の秘密】知識を与え神々を駆逐した器官とは
古代、神は常に人々のそばに居た。人々は大いなる神々の声に導かれ行動していた。
我々は知識と意識を獲得したことで文明社会の成熟を迎えたー。と思われていた。
しかし真実は、逆だった。人々が高度な文明を獲得するために、知識と意識が与えられたのだった。
その扉は文明の混濁によって開き、その扉のかんぬきの正体が松果体だったと。
つまり我々に知識を与え神を駆逐したのは人の頭の中にある松果体だったのだ。
リサ「なんだか難しそう・・・」
はりねずみ「今回の記事は、ジュリアンジェインズ著、『神々の沈黙』、『二分心仮説』を深堀した記事になっていますので、本を読んで頂くとより興味深い記事になるかと思いまーす。」
松果体とは
松果体とは脳内の中央、二つの大半球の間に位置する内分泌器官。睡眠ホルモンであるメラトニンを分泌する脳器官であり、多くの動物では光を感じる部位。
ちょうど額中央の奥に位置しているため、いわゆる『第三の目』と表現される。
人の松果体は時代と共に小さくなっていき現在は米粒ほどの大きさでほぼ機能していない。いっぽうで古代人は親指第一関節ほどの大きさだったと言われている。
松果体は、どうやら人類に知識を与え、同時に神々を駆逐した器官である。どういう意味かはこの記事で明らかなります。
第三の目/サードアイ
松果体は、ケイ素(水晶)が主成分で構成されており、頭蓋骨に覆われた脳の最深部に位置するにも関わらず、光を感知する働きを持っています。
眉間ぎりぎりに指をかざすとむず痒くなる感覚がありませんか?人間において眉間には気配を察知する感覚が備わっていて、それが松果体の働きの名残だとも言われています。
古代から認知されていたく第三の目>
太古から松果体が重用されていた。
古代インドのシヴァやパールヴァティ、仏教の大仏の額にある『白毫』という装飾は第三の目と呼ばれ松果体を象徴している。
特に内面に宇宙を見出す東洋哲学に多く見られます。
すでに爬虫類には第三の目があると実証されており、水晶体や網膜とよく似た機能を持ち、光の強弱を感知して体内リズムを調整していると考えられています。
彼らにとってはこの第三の目が太陽の位置を測る羅針盤となっていて、イルカや蝙蝠は超音波で距離感や他の生物の存在をキャッチしている部位。
深海などの真っ暗闇に生息する魚なども、この松果体が周囲の状況を把握するための受信機になっていると考えられています。
松果体と右脳
松果体は、集合的無意識や潜在意識を司る右脳と関連深くなんらかの結びつきがあるのではないかと考えられます。
2020年ノーベル物理学賞受賞、イギリスの数理物理学者・数学者・科学哲学者であるロジャー・ペンローズは、意識は何らかの量子過程から生じてくると推測している。
この溶け込むような性質は、右脳の集合的無意識や潜在意識と関連深い働きです。
松果体が大きく、右脳優位だった古代人、自我を持たず無意識状態で生活を送っていたとされる二分心仮説からも、右脳と松果体は結びつきが強い器官なのではと考えます。
集合的無意識と松果体
魚の群れや集団で空を飛ぶ鳥に見られる一糸乱れぬ集団形成術は、各個体が周囲の個体との距離感を感知することで間隔を一定に保つことが出来るからだと考えられています。
このように松果体が機能している動物は、動物は一個体よりも複数体で一つという感覚を持っており、動物は集合的無意識が強いことが伺えます。
松果体は現在の人間が知覚できない領域をキャッチするアンテナだと考えられています。
故に松果体が目覚めると、第三の目といわれるイメージカやテレパシー能力、直感力、宇宙情報のインスピレーション、透視能力などの他者と繋がる働きが顕現すると云われます。
ルドルフシュタイナー松果体論
このような霊視、霊障、オーラやチャクラなどの見えない力こそがこの世界の本質であると提唱した人物、人間の神秘性を体系化し『霊学』として一つの学問としてまとめ上げようとしたルドルフ・シュタイナー。
シュタイナーは松果体についてこのように説明しています。
松果体は目が作るイメージに現実性を与える。
目も松果体もどちらも「見る」器官ではあるけれども、「実体」を見ているのは目ではなく、松果体だと解釈できると述べています。
つまり、目を通して知覚しているこの物質世界は、本質部分を知覚する過程の副産物的な現象に過ぎないという事です。
現在の人類は、松果体が減したことで、物質面(副産物)を本質だと勘違いしている。
実体を構成する本質部分が見えなくなっている、唯物論への傾倒を警告しました。
ただし存在というのは物質面に依存する部分が大きい。人間は個を識別するために存在していると。故に物質主義に傾倒するのは必然だとも言えます。
はりねずみ「のちに後述しますが、それらの流れが神話の中に見て取ることができます。」
超古代における言語
松果体は光を感知できる働きを持っており、光とは情報です。つまり情報のやり取り、コミュニケーションが遠隔で可能だったという説があります。
シュメール以前の超古代文明(ムーやレムリア、アトランティス)では松果体が大きかった故に、人類の霊性が優位であり、言語は言葉や文字を使わずに、テレパシーでコミュニケーションを取っていたいう説。
世界最古の遺跡であるギョベクリテペ(1万2千年前)から発掘された人類最古の人型の彫刻には口が彫られていません。
やはり古代人は、松果体を利用した超音波によるコミュニケーションが可能だったのでしょうか?
閃きや直感、第六感といった、目に見えない力を感知する力を持つ松果体。
これらの力は虫の知らせや阿吽の呼吸、空気を読む日本人に特出して残っていると言われています。
言葉や言語が無かった時代、超古代文明の子孫が縄文人であり、さらにその血を引くのが日本人であるという説があります。
縄文人においても、1万5千年もの間、争いが無く平和だった時代が続いたのは、テレパシーによって相手の気持ちを汲むことが出来たからなのでしょうか。
松果体と古代文明
松果体によく似た松ぼっくりは、各地の神話や宗教信仰のシンボルとして登場します。
中東ではレバノン杉(マツ科)という松ぼっくりに似た実をつける巨木があり、建築素材としても使用されていたと聖書に記されています。
バチカン美術館にある彫刻や、ローマ法王の杖、ギリシャ神話のソスという杖や、シュメールの神々が手に持っているのも松ぼっくりなのです。
松果体はしばしばスピリチュアルや宗教関連の題材として用いられてきました。
古代における松果体の役割
松果体は、紀元前300年頃アレキサンドリアのヘロフィロス(紀元前325-280)とエラシストラトス(紀元前310-250)により発見されたとされる。
その後2世紀にガレノス(西暦130-200)が松果体という名称とその位置を初めて記述したとされる。
古代ギリシア(紀元前5~4世紀)時代、松果体は『思念の世界』と私たちを結ぶ器官であると言じられていました。
デカルト(西暦1596~1650)は松果体を『魂の鎮座』と呼びました。
しかしながら、それよりはるか昔のシュメールや古代エジプト、ギリシア、インダス、どの文明においても松果体を象徴としたシンボルが多数残されています。
また、ギザの大ピラミッド内部構造が人間の脳を表しており、王の間が松果体と位置に該当する。という説もあります。
古代エジプトにおける松果体
古代エジプトでは全てを見通す目であるホルス神の右目(ラーの目)は脳内を断面で見たときの松果体を表していると考えられています。
つまり松果体を全てを見通す力の象徴として扱っている。すでにこの時代に松果体の機能や意味を理解していたものと思われます。
右目、ラーの目は『潜在意識や不可視を見通す力』の象徴で、左目、ウジャトの目(蛇)は知恵を意味し『エゴ・自我』の象徴である。
また左目のウジャトは蛇の姿をしており人間をそそのかし知恵を与えた、エデンの園に登場する蛇と重なります。
これは、人間に自我とエゴが侵入したことで左脳優位となり、その結果、松果体が減衰し、唯物論(物質主義)へ傾倒するきっかけを与えた。と読み取ることが出来ます。ここ重要なポイント。
古代エジプト人は夜目だった?
ところで彼らはピラミッドや王墓、地下墓地などの建設時、どのように視界を確保していたのでしょうか。内部は光源が無いため真っ暗なはずです。
にもかかわらず当時、建設後に壁や天井への装飾を完璧に仕上げている。当時光源と言えば松明くらいしかないはずで、酸素不足で長時間居ることは出来なかったはず。
松果体は光を感知できる機能があると先に述べました。蝙蝠のように暗闇でも空間や物体を感知でしたり、集団を形成できる能力は、周囲の赤外線や電磁波をキャッチしているためだと考えられています。
だとすれば松果体が発達していた古代人は、現代人と比較して、夜目が利いていた可能性はありそうです。
その推論の材料として、古代エジプトでは、オス猫は太陽神ラーの象徴、メス猫は、女神バステトの象徴とされ、猫自体が神とされてきたこと。
オス猫は太陽神ラーの象徴=ラーの目は全てを見通す力がある・・・と関連付けると、古代エジプト人は夜でも目が利く猫の目を全てを見通す力の対象、そのように考えていたのです。
加えてラーの右目が松果体を表していることを考えると・・・やっぱり古代エジプト人の中で、夜目が利く集団がいた。
彼らが完成したピラミッド内部に装飾を加えた凄腕集団だったり・・・だから鮮やかな極彩色なのかも・・・と想像を掻き立てられます。
事実、古代人と現代人とでは『可視光』の範囲が若干ちがっていたと言う説もあります。これは光を感知する松果体の大きさに由来するかもしれません。
現代では幻視と言われる霊障も、彼らには普段の景色として映っていたのかもしれないのです。
神の声の象徴
冒頭に紹介したジュリアンジェインズ著『神々の沈黙』によると、古代人(紀元前1000年以前)は内観する意識を持たず、脳内に導く神々の声に従って行動していた、と言われています。
「遠い昔、人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていた」この二分心仮説は、右脳が幻聴を引き起こし、神の声として認識されていたと結論づけています。
なぜ古代人は右脳優位だったのか?
右脳は外部からの感覚や映像、音をそのまま受け取り、左脳が受け取った情報に意味付けします。古代は、全て体験から経験が蓄積し、感じたままを本能に刻んで学習し生きる知恵としていたため右脳が相対的に優位となった。
その知恵は異文化交流の過程で共有する(文字、言語化)必要が生じ、文字という新たなツールが物語化(比喩による想像と、過去や未来という時間的概念)を生み、人に意識が誕生した。
文明が発展、異文化の交易増加によってコミュニケーション、記録、約束が重要視されていくとともに、文字が単純な記号ではなく、意味を読み取るツールに変わった。
そのために最初は右脳優位(体験)→左脳優位(伝える)に変化していったのです。
文字を読むようになったことで人間の心に物語化が発生し意識が誕生した。というジェインズの仮説は、人間の脳の働きが左脳優位になっていくとともに、右脳の機能が相対的に低下したことを意味する。
その結果、右脳と関連深い松果体も小さくなっていった。と考えられます。
まとめると、文字という知識が、松果体を含む右脳の機能を減衰させた(これが神々の消失)という事実が→松果体が減衰した代わりに人類に知識が顕現した。
故に神々が知識に成り代わった=神が知識を与えた。というように神話化したのではないか。(見えていたものが見えなくなった→当時松果体が減したと判断された)
冒頭の言葉通り松果体は、人々に知識(文字)を与えたと同時に神々を駆逐した存在でもあると言えます。
はりねずみ「古代文明の遺跡にそのヒントが残されていました。」
壁画や石に残る謎のシンボル
現在最古の文明と言われているシュメールの人々が描いたアヌンナキ(神々の集団)は、松ぼっくりのようなものを持った状態で描かれている姿が数多く残っている。
何かに翳すように持っているこの松ぼっくりのようなものが、今回考察テーマの松果体の象徴そのものです。
一説によると、松ぼっくりを持つ者は宇宙人(アヌンナキー監視者)であり、人間の中に魂を封じ込められてしまった仲間を探しているシーンだと言います。
ここからは<個人的考察>個人的な印象ですが、この松ぼっくりを翳しているように見えるシーンは、かごのような物を持ち、逆に摘み取っているようにも見えます。
つまり神がヒトから松果体を取り上げている(摘出)シーンのようにも見えるのです。
ジュリアンジェインズが提唱した二分心仮説と関連付けるならば、松果体を取り上げる(減衰)ことでヒトは脳がブリッジ(結合)し意識が顕現した。
つまり松果体の減衰が、ヒトに意識を与え思考する動物へと変化させるきっかけとなった。
松果体は言語能力(左脳)を抑圧していた。神が松果体を摘出(減衰)したことで言話能力が開花した。つまり知恵や知識を与えた神の象徴へと成り代わったのです。
神話が意味すること
神話ではヘビが人類に入れ知恵をした。知恵を獲得したことで神々が消失した失楽園。想像と創造の苦しみ。これを人類に与えた。
ヘビとは何者なのか。そして意図は何なのか。ヘビは人類を神から切り離している。つまり人を自立させ思考し行動し繁栄できるようにした。
それには人類に思考する力が必要だった。その扉を開けるためのかんぬきが松果体だったのです。
その象徴的なシーンがシュメール文明アヌンナキの松果体を摘出する場面ではないでしょうか。
蛇とライトワーカー
ヘビはシリウスやプレアデスから移住するためにやってきた龍神の象徴だと言われます。また彼らは地球を見守る存在ライトワーカーともいわれます。
そんなライトワーカー(ヘビ)が未熟な人類に文字を与え知識を与えた、と。
人類はいつか命とは何かを悟る。本当に命を極限まで悟ったのであればその力は地球自身を守る力になる。
ライトワーカーは人類に地球を守らせるために文字を与えた神だったのかもしれません。
アナスタシアはライトワーカー?徹底考察▼
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