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あれ?コロナ禍が始まってからもう4年半?光陰矢の如しすぎて怖い

あれ?今、2024年夏。

新型コロナ禍が始まったのが2020年1月。ちょうど子どもが高校3年生で、センター試験(当時)が終わった頃だったと思う。1月半ばにあったセンター試験では、コロナや感染症対策なんてことは特に言われていなかった。

例年通り、インフルエンザが怖いという子はマスクを付けていたが、子どもをセンター試験の会場に送っていったらマスクを付けずに試験会場に向かう子もたくさんいた。

それが、1月下旬にダイヤモンド・プリンセス号の集団感染がわかって、あれよあれよという間に、訳の分からない感染症の恐怖が世間に満ち溢れていった。

そして感染症の不安の中で、第一志望だった国立大学の前期試験は子どもを送り出した。

それから、滑り止めにしていた後期試験がコロナの影響で2次試験中止のセンター判断となった。後期はセンターではC判定だったものの、2次試験が得意科目だけだったので、2次試験での逆転にかけての出願だった。

センター判断でC判定。かなり微妙な線だ。前期の2次試験を大失敗したと言っていた子どもの浪人の可能性が出てきた。

コロナでの学校閉鎖が始まり、もしも浪人したらどうしたらいいのか、私は自分が大学受験したときよりも緊張して、前期の合格発表を待った。子どもがネットで合格発表を確認して「合格した」と言ったときには、思わずバンザイをしてしまった。

ところが、いざ合格したはずなのに、新型コロナ禍で入学式中止。授業もいつ始まるかわからない。合格したら早速スーツを新調しなければ、と思っていたのに、お店も緊急事態宣言で閉まってしまった。

幸いなことに、大学は下宿ではなく自宅通学の予定だったので、引っ越しを迷わずにすめたことだけが良かった。でも、大学生活がどうなるのか不安な中で始まった子どもの新生活。

結局テレワークで5月に入ってから授業が始まって、ほとんど通信教育で終わった学部生活。

考えてみたら、幼稚園に入ってから、長期休み以外は昼間、ずっと家にいることがなかった子どもが、四六時中家にいる。私も在宅仕事をしているから、なんだか調子が狂う。

部屋はいくつもあるのに、なんだかお互いにイライラする生活から始まった。それが2020年の春だった。

考えてみれば、遠い昔のようでいて、もうあれから4年もたったんだ、とちょっと時間の流れについていけていない自分もいる。

子どもの大学3年生の秋くらいから通常授業に戻っていったが、すでに3年生では授業の数も少なく、先生によってはオンライン授業を続けた人も多かったようで、ほとんど大学に通うことなく大学生活を終えてしまった。

そして、貴重な大学での友だち作りもほとんどできないままに、大学院へ進学して下宿を始めたのだ。

でも、なんだか、子どもが大学を卒業して、家を出たのに、なんだか私の頭の中の時間感覚はアップデートされていないような、ちょっとおかしな感じもしている。

2023年の5月に新型コロナが感染症法上の5類に移行したことで、世間は完全にマスクを外して生活している人もいる。

私はできるだけマスクをして外出するようにしているけど、ウォーキングの途中でコンビニに寄るときなどはマスクをせずにお店に入ってしまう。もともと、コロナ禍でもウォーキングのときには誰も会わないからマスクはしていなかった。

それでも、おばあちゃんが入っている病院や施設ではマスクは必須だ。マスクなしでは建物の中に入れない。

なんだか、一部のコロナ感染を絶対に防がなければいけないところでは、おそらく働いている人たちも家族からもらったりしないように、極力気をつけて生活しているんだろうな、と感じる。

世間の大多数がコロナ禍はもう過ぎ去ったものとしている一方で、相変わらずマスクとアルコール消毒必須のところもある。

なんだか、あっちとこっちを頻繁に行き来していると、自分がどっちに生きているのか、ちょっとわけがわからなくなってくるような、2020年のコロナ禍が始まった頃の恐ろしさからまだ抜け出せていないような、ちょっと分けの分からない感覚になってくる。

おまけに、もう家にいないはずの子どもが、今何年生なのか、意識していないとまだ大学の学部生のような気もしてしまう。

物理的な時間は確実に過ぎているのに、自分の感覚はまだずっと後ろに取り残されたままのような感じ。光陰矢の如し、ってこんな感じのことなんだろうか?と、世間が回る速さにちょっと目が回るような感覚を覚える今日このごろの、世間から思い切りズレている感じがするアラフィフおばさんの戯言。


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