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人生はいずれ閉じるのだから、とは思っても。。。

家族の老いと家の片付け」という記事で、以前、同居の義母が施設に入ったことをきっかけに、家の中の片付けを徐々に進めている、という話を書いた。

その後、少しずつだけど片付けを進めて、40Lのゴミ袋をもう20袋くらい出しただろうか。一見するとまだまだごちゃごちゃしているけど、それでもものを減らしていった効果は目に見えて上がって、少しずつ家の中がスッキリとしてきた。

私が片付けていいものかどうか迷ったものに、義母の仕事道具と趣味の道具があった。どちらもかなりかさばる。しまっておける場所があればいいのだが、今後、介護用品を家の中に入れるとなると、少しでも家の中を広くしておきたい。

そこで、義母の洗濯物を取りに施設へ行った時に、思い切って義母に処分してもいいか聞いてみた。

施設に入る以前は、絶対に手を付けるな、と厳しい顔をして言っていた義母だったが、一度、寝たきりになり、完全介護が必要な状態にまでなってしまったことで、とうとう覚悟がついたようだ。

もう仕事も趣味もできないから処分していい、と言ってくれた。

そこで申し訳ないと思いつつ、思い切って全部処分させてもらった。かなり部屋の中はすっきりとした。

仕事も趣味も高いレベルで頑張ってきた義母だったが、今は90歳を過ぎて人生を閉じる方向へと向かっている。自分の現実と向き合った時に、今後の私たちの生活を送りやすい方向に片付けさせてくれたことに感謝だ。

でも、本当に全部処分してしまっても良かったのだろうか?なんだか、義母の今までの人生を否定するようなことをしていないだろうか?という気持ちも少しある。

今まで築いてきた彼女の歴史と、今後、要介護状態で家にもどってくるだろうという現実。一人の女性の歴史を切り捨てて、自分の現実を快適にすることを選んでいるようで申し訳ない。

でも、今後も続く現実生活を優先しなければ、介護生活を送っていくことは難しいだろう。申し訳なさと冷徹に考える現実とのはざま。私はやっぱりこれからも、現実を優先させていくだろう。

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