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【無料】仏教入門ノート04 宗教ってなに?④ お釈迦様以前のインド


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前回までは宗教全般についてのアレコレを書いてきましたが、今回のテーマは、
お釈迦様が登場される前のインドのアレコレについて
です。

ドラヴィダ人とアーリア人

さて、インドという土地は人類最古の文明が発生した土地の一つです。
インドの北にあるインダス川の周りでインダス文明(ハラッパー文明)が栄えました。

文明が出来るということは、そこが恵まれた土地であったということです。
作物が育つ肥沃な土地だったんですね。

腹ペコじゃ定住なんかできませんし、文明なんか作ってる余裕はありません。

この肥沃な土地に定住し文明を築いたのがドラヴィダ人という人たちでした。

ドラヴィダ人はめちゃくちゃ頑張ったんですが、
「あそこは土地が肥えていて文明もあって良い所らしいぞ!!」
という噂が広まり、今度はそれを聞いて
「良いところなら欲しいな!!」
となっちゃう人がでてきます。

その、欲しくなっちゃった人たちがアーリヤ人です。

アーリヤ人はインドから見て北東、中央アジアらへんからインドに攻め込みました。
そして、北インドの支配者となったのです。

それによって、多くのドラヴィダ人は南へと追いやられてしまいます。

ですから、今でもインドの北の方の諸民族はアーリア人の子孫が多く、南の方の人はドラヴィダ人が多いのです。

バラモン教の成立

そして、北インドの支配者となったアーリア人たちは
「もともと、自分たちが持っていた信仰」や、
「その土地にあった土着の信仰」や、
「ドラヴィダ人たちを支配するための理由付け」などなど、
そういった色々なものを混ざり合わせていき、その過程でバラモン教という宗教を紡ぎ出していったのでした。

バラモン教と聞くと聞き馴染みがないかもしれませんが、ヒンドゥー教なら聞いたことありますよね?

実は、バラモン教がさらに様々なものを取り込みながら現代にまで続いているのがヒンドゥー教なんです。

本格的なインドカレー屋さんに行くとめっちゃ派手な極彩色の神さまの絵が飾られてたりしますよね。
頭が象さんの神さまとか、顔とか手がめっちゃ多い神さまとか。
あの神様たちがヒンドゥー教の神様です。

バラモン教とヒンドゥー教というのは、明確に「スパーンッ!」と別けられるものではありません。
「ここからヒンドゥー教になりました!」というものはなく、つながっています。

そもそも、バラモン教とかヒンドゥー教という呼び名も西洋の人が分類して決めたものなんです。

ですから、
「バラモン教はめっちゃ昔のヒンドゥー教」くらいに思ってもらってオッケーだと思います。

このバラモン教という宗教の土壌で、お釈迦様は生まれ、おさとりを開かれ、教えを説かれたのでした。

お釈迦様のおさとりの内容はバラモン教の内容とは違います。
しかし、お釈迦様が教えを説かれた人たちは当然バラモン教の土壌で生まれ育った人たちですし、お釈迦さま自身もその文化の中で生きたかたですから、仏教にはバラモン教の言葉が入り込んでいます。

バラモン教を学ぶと仏教の言葉の源流を知ることができます。


では、そのバラモン教はどのような宗教だったのでしょうか?

バラモン教の教え

バラモン教はアーリア人が持ち込んだそのまんまの宗教ではなく、アーリア人とドラヴィダ人とが出あい、支配被支配の関係性を作ったり、婚姻などの交流、文化的な融合をしていく課程で成立していきました。

バラモン教では生まれによって身分が決まっていました。
これを四姓制度(ヴァルナ)といいます。

具体的には、

①司祭階級(宗教者)バラモン
②王族階級 (武士)クシャトリア
③庶民階級 (平民)ヴァイシャ
④隷民階級 (奴隷)シュードラ

の四つです。
上にいくほど高い身分です。

そして、この四つにすら入れられていない人々がいます。不可触民(ダリット)と呼ばれる人たちです。
現在、インドには仏教徒が1%くらいしかいないと前に書きましたが、消滅しかかっていた仏教を復興させた人の多くはダリット出身の人たちです。

ヴァルナはジャーティ(職業や婚姻について別ける制度)と合わさって、現在にまで続いているカーストになりました。

インドでは1950年にアンベードカル草案をもとに定められた憲法によってカースト差別については禁止されましたが、カーストそのものは今でも根強く残っています。

この身分制度のトップであるバラモンが、儀式を司ったり教えを説いたりしていました。

やがて、インド社会の発展に伴って生活が豊かになり、上層階級の人々に余裕が出来るようになると、宗教哲学(ウパニシャッド哲学)が深まりを見せるようになり教えが整理されていきます。

バラモンの衰退

さらに時代が進むと、今度は貨幣経済の発達によってインド社会で資産家が生まれて力を持つようになります。
彼らはそれまでの支配者だったバラモンやクシャトリヤ(貴族)を軽んじるような、自由で享楽的な雰囲気を醸し出していきました。
まさに、栄枯盛衰、驕れる者久しからずというやつですね。

バラモンの力が弱まった時代、それまでのバラモン教を否定するような自由な思想家たちがたくさん登場してきます。

この自由思想家の中にお釈迦さまが居たのです。

バラモン教の輪廻と梵我一如

ここからはバラモン教の教えそのものを少しだけ解説します。

まず、バラモン教では、人間は肉体と魂に別けられると考えます。
肉体はすぐに滅びますが、魂はずっと滅びません

この滅びない魂を「我(アートマン)」といいます。

人間が死ぬと、この「我」は肉体から離れ、また新たな命として生まれ変わると考えます。

その生まれ変わる先は生きている間の行為によるとし、その行為を「業(カルマ)」というのです。

めちゃくちゃ簡単に言うと、
善いことしてたら来世は良い人生、
悪いことしてたら来世は悪い人生、
になるってことです。

でも、どんなに良い人生でも、生まれては死んでをズーーーーーーーーーーとグルグルグルグルグルグルグル繰り返し続けるのは結局は苦しみを受け続けていくということです。
バラモン教では、この輪廻から抜け出す(解脱)ことを目指していきます。

では、どうやったら解脱できるのかというと、

それは、宇宙の根本、中心生命、支配原理である「梵(ブラフマン)」と、「我」が実は同一であるということが本当にわかると、梵と我が一つになって永遠の幸福に到達し、輪廻から解脱できる、と説かれます。

この到達点のことを、
「宇宙の真理=梵」と「個人の中心=我」が一つになるということで「梵我一如」といいます。

仏教にも、「輪廻」「我」「業」などが説かれますが、その意味はバラモン教の解釈とは違ったり、批判的に使われていたりします。

六師外道と六十二見

このようなバラモン教へのカウターとしてあらわれたのが自由思想家であり、その中の一人がお釈迦様でした、と言いましたが、お釈迦様以外の自由思想家でも有名な人が6人おり、この6人のことを六師外道と呼びます。

ドラマなんかで、酷いことをする人に
「この外道が!」
と言ったりしますが正確に言うと、
「この、仏教以外の思想家が!」
と言っているということになるんですね。

また、仏教以外の見解が六二種類あるということで、その見解を六十二見といいます。

今は詳しく解説しませんが、こういう仏教以外の思想がなぜ仏教の思想と違うのか、ということを考えていくと、より一層仏教への理解が深まるかもしれません。
この連載を読んで興味が出た人は調べてみてくださいね。

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