【仏教】自死・自殺について

自死・自殺について、二つのお話を紹介します。

【ヴァッカリの自死】

長者ヴァッカリは病にかかり、絶え間ない痛みと苦しみの中にいました。

ヴァッカリはお釈迦様に来て欲しいと願いました。

お釈迦様はヴァッカリの願いに応え、病床に訪れました。

「ヴァッカリ、体の具合はどうだ?苦しいか?」
「お釈迦様。本当に苦しいです。とても、この私にはしんぼうができないほど苦しいのです。痛みは増すばかりです。」

お釈迦様は、ヴァッカリに教えを説き、無常についてヴァッカリと話しました。ヴァッカリはお釈迦のお話を聞き、少しの安らぎを得ることが出来ました。

そうしてお釈迦様はヴァッカリの家を去りました。

その夜、鬼神がお釈迦様の前にあらわれ、お釈迦様に告げました。

「お釈迦様、ヴァッカリは自らの手で命を絶ち、涅槃へと入ろうとしています。」

翌朝、お釈迦様は弟子たちを集め、こう言います。

「弟子達よ。ヴァッカリのもとへ行きなさい。そして、彼にこのように伝えなさい。

『ヴァッカリよ。おそれなくてもよい。お前の死は、罪に汚れてはいない。罪なくして、この世の命を終える』

と。」

弟子達は、ヴァッカリにお釈迦様の言葉を伝えます。

するとヴァッカリは

「お釈迦様に『私はあなたを全く疑いません』と、このように伝えてください。」

と弟子達に頼みます。

弟子たちは

「善き友ヴァッカリよ、必ずそう伝えよう」

と返事をし、弟子達はお釈迦様のもとへ帰りました。

その後、ヴァッカリは刃物により、自らの命を絶ちます。

ヴァッカリの死を知ったお釈迦様は

「善き友であるヴァッカリは、完全な涅槃に入った」

と弟子たちに告げました。

『バラモン教典・原始仏典』中央公論社 p456 抜粋意訳


【悪い死に方は無い】

自ら命を絶つことを、悪いこと、罪がある死に方、とする意見がありますが、このお話から伺える限りにおいては、仏さまは自死という死に方について悪い死に方であるとは言っていないようです。

仏教は苦しみに焦点を結ぶ教えです。自らこの人生を終わらせたいほどの苦しみがそこにあったなら、その苦しみを仏様が放っておけるでしょうか。悪いことだと責め立てるでしょうか。憐れみ悲しまれることでしょう。

お釈迦さまは苦しみのために法を説かれました。そして、阿弥陀さまはお浄土(涅槃の世界、さとりの世界)へとお迎えくださることでしょう。

もう一つのお話を紹介します。

鈴木章子さんは、北海道のお寺の坊守さんです。乳癌になられ、死の間際まで書き続けた素直な詩の数々には胸を打たれます。その中からご紹介します。

※専門用語解説

如来様(にょらいさま)=仏さまのこと

摂取不捨(せっしゅふしゃ)=逃げるものすらも追いかけて救う仏の心、はたらき

宿業(しゅくごう)=今の結果を導いた、私すらも知らない過去世の行い。ご縁


画像1



【最後に】

私は自死や自殺をすすめはしません。しかし、それを悪いことだと否定もしないのが仏教だと思っています。すすめるのと、否定しないのは全く違う立場です。死にたいと思ってしまう苦しみを、仏さまだけは知り尽くし、共に泣き、あわれみ、救おうとされている。と私は味わっています。




おあずかりさせていただきましたご懇志は、必ず仏法相続のために使わせていただきます。合掌