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【法話原稿】倶会一処 会っているのに会えない寂しさと生きる

「浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべ し」

倶会一処【くえいっしょ】という言葉があります。離れ離れになった人とも、いつかともに同じ所で会うことができるという利益です。
同じ所とは、すなわちお浄土のことです。今日はこの言葉を味あわせていただきたいと思います。

私たちは愛別離苦【あいべつりく】の人生をたまわりました。愛する人とも生き別れ、死に別れしていかねばなりません。もし、人生が死で終わるもので、その先には何もないとすれば、私たちは離れ離れになって終わっていくしかありません。

日本には「会うは別れのはじめ」という諺があります。英語でも、We never meet without a parting.(別れのない出会いは無い)という言葉があります。おそらく、世界中に似たような言葉があるのでしょう。全ての時代において、全ての国の人々が、愛別離苦の苦しみを嘆き続けてきたのです。
 
仏は自らの苦を解決し、他の苦しみを安んずる存在ですから、これほどに普遍的で深い苦しみ、悲しみを放っておけるはずがありません。阿弥陀さまは放っておけませんでした。放っておけない仏を阿弥陀というのかも知れません。
 
生死【しょうじ】を繰り返し、その度に愛別離苦に苦しみ続けるこの私を全て見通していた法蔵菩薩【ほうぞうぼさつ・阿弥陀仏になる前の菩薩=修行者】は、この私を救うために果てしなく考え、果てしなく修行し、決してお別れのない世界、さよならのない世界を作り上げたのです。

それが西方極楽浄土【さいほうごくらくじょうど】、お浄土です。

お経には遠く西の果てに建立された世界だと説かれています。阿弥陀仏の利他力【りたりき=本願力】によって、故人はお浄土で仏さまに成り、今ここに還って来られています。この還ってくる働きを還相回向【げんそうえこう】といいます。

還相回向された方は、私にお念仏させるはたらきとして居られます。ですから、故人を偲びお念仏もうさせていただくということは、そのはたらきが私に届いているという証拠であり、私がさよならのない世界を今ここで恵まれているということです。

しかし、こう言うと、
「たとえ、そんなお浄土があったとして、故人が仏さまのはたらきとなって還ってきていたとしても、今の私には故人を感覚として感じられない。やはり人として会えなくなるという別れがあるし、死んでからしか会えないことには変わらないじゃないか。私は別れたあの人と、今、ここで、あの日と同じように会いたいんです。」
と思われる方もいるかもしれません。

そのお気持ち、わたしも良くわかります。
私も死に別れた家族と会いたいという気持ちがあります。「会う」ということと「知る」ということは違います。はたらきとして居る、と聞かされて、なるほどそうかと、今ここに仏さまになられて居られるんだなあ、と聞いて知っても、凡夫の私は、やはり今この手に触れ、声を聞き、見つめ合いたいと思ってしまう。凡夫である私にとって「会う」ということは、そういうことでしょう。

感覚的にお互いを感じ合いたい。存在を感覚として感じたい。そうやって合いたいんです。

沢山の言葉や慰めよりも、もう一度ただ抱きしめてほしい。あなたを人間同士として感じ合いたいんだ、と思ってしまいます。

お念仏をいただいたからといって、そういう会い方が今ここに実現して会えているのか? お互いを感じ合うことができているのか? と言うと、残念ながら私の側からはそうではありません。仏の側からはそうなのでしょうけど。

親鸞聖人は、素直に「会いたい」という気持ちをお手紙で表現しておられます。
「かならずかならず一つところへまゐりあふべく候ふ」
「浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし」

これは「今会っている」ではなく「いつか会う」という確信の言葉です。

お念仏もうさせていただくから、
故人の往生を確信して居るから、
全てが満たされているのか?
今まさに会っていると感じられるのか?
というと、もしかしたらそういう人も居るかもしれないけど、必ずしもみんながみんな、そうではないだろうと思います。

私たちは浄土で会えることを知らされ、その証拠である南無阿弥陀仏を聞きながら、仏さま同士として会うことを心待ちにしつつ、会うまでの人生をお念仏いただきながら生きるのです。
それは寂しくなくなる生き方ではありません。
仏さまに照らされた寂しさを抱いて生きるということです。

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私の身近な家族のお話をいたします。


私の妻の実家は長野県の阿智村というところです。
日本で一番星が綺麗に見える村ということで村おこしをして成功しています。
そこに、妻の両親と祖母が暮らしています。私の息子からすると、じいじ、ばあば、おおばあば、ですね。

私たち家族は今大阪の高槻に暮らしておりますので、なかなか気軽には会いにいける距離ではありません。また、こういう御時世ですから、簡単にいくことは難しいのです。

しかし、今は便利な時代ですから、ばあばからLINEでビデオ通話がかかってきます。
息子たちは大喜びで、ばあばとお話するわけです。

4歳になる二男は、「ばあば、次いつ会えるの~」と何度も繰り返しながら、画面上のばあばとお話しています。
しばらく通話すると、満足したのか、「ばあば、またね、会いにいくからね~」とLINEを閉じるのです。

それからは、
「ばあば、会いにいきたいよね~」
と息子たちが言います。

「次、阿智いつ行くの? はやく会いたい」
とせかします。

そして、勉強や運動などを頑張ったときには、「ばあばに会ったとき見せるんだ~」と阿智村にいくことを心待ちにしながら過ごすのです。

必ず行ける場所がある。
そこには会いたい人がいる。

という気持ちが、息子たちにとっての、今ここ、を華やかにさせるのです。

子どもなので、しばらくするとまたあまり話題に出なくなりますが、それはばあばの方も知っているのか、良いタイミングでまたLINEをかけてくれます。
するとまた「あ、ばあばだ!」と、息子たちの心は阿智村に遊ぶのです。

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会える場所があると聞いた、そこにあの人が居ることを知っている。あの人の声がとどいている。だからこそ、会うことを待つことができる。会うということの影響を受けながら、会うまでの人生を生きることができる。

お念仏を聞きながら、亡き人を偲び、この世を生きるということに似ているように思います。

必ず必ず会える浄土があるよと聞いた、そこには亡き人が仏となって居る。今も、あの人のはたらきによって南無阿弥陀仏がとどいている。だからこそ、会うことを待つことができる。浄土で会うという未来(当来)の影響を受けながら、必ず浄土に生まれ会うと定まった今(現世)を、寂しさを抱きつつ生きていく。
 
息子たちは、ばあばからLINEがかかってくるとばあばを思い出して会いたい会いたいと言いますが、ばあばはそれもお見通しで、いつも息子たちを思いながら心をかけてくれているのでしょう。息子たちからは思い出したときに思う阿智村。ばあばからすれば、ずっと思い続ける孫です。
 
私も、ずっとお浄土や阿弥陀様をばかり思っているのではありません。でも、阿弥陀様の側はずっと私たちを思い続けてくださっています。孫の忘れっぽさを知っているばあばのように、忘れさせんぞ、私がいるぞ、と南無阿弥陀仏と喚び続けてくださっています。忘れかけていた時に不意にお念仏が出て、もしくは誰かのお念仏を聞いて「ああ、南無阿弥陀仏だなあ」と思い出すことがあります。

阿智村でない大阪に、ばあばの声がひびきます。
お浄土でないこの娑婆に、阿弥陀の声がひびきます。

私たちは、寂しさを捨てるのではなく、寂しいままに声を聞いて、会える日をおもいながら生きていくんじゃないでしょうか。

お念仏いただけば、寂しさがなくなるんだという人ももしかしたら居るかも知れません。

でも、私にとっての寂しさは、私にお念仏もうさせるご縁でもあります。ですから、私の寂しさは、南無阿弥陀仏によって大切な寂しさになったのです。私は大切な寂しさを抱いて、お念仏いただきながらこれからも生きていきます。
 
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
 
またご縁があれば娑婆で、そうでなくてもお浄土でまたお会いしましょう。
肝要は拝読の御文章にていただきます。

【ご文章拝読】

夫 人間ノ浮生ナル相ヲツラツラ觀スルニ オホヨソハカナキモノハ コノ世ノ始中終 マホロシノコトクナル一期ナリ

サレハ イマタ万歳ノ人身ヲウケタリトイフ事ヲキカス 一生スキヤスシ イマニイタリテ タレカ百年ノ形躰ヲタモツヘキヤ 我ヤサキ 人ヤサキ ケフトモシラス アストモシラス ヲクレサキタツ人ハ モトノシツク スヱノ露ヨリモシケシトイヘリ

サレハ 朝ニハ紅顔アリテ夕ニハ白骨トナレル身ナリ ステニ无常ノ風キタリヌレハ スナハチフタツノマナコ タチマチニトチ ヒトツノイキ ナカクタエヌレハ 紅顔ムナシク變シテ 桃李ノヨソホヒヲウシナヒヌルトキハ 六親眷屬アツマリテナケキカナシメトモ 更ニソノ甲斐アルヘカラス

サテシモアルヘキ事ナラネハトテ 野外ニヲクリテ夜半ノケフリトナシハテヌレハ タヽ白骨ノミソノコレリ アハレトイフモ中々ヲロカナリ サレハ 人間ノハカナキ事ハ 老少不定ノサカヒナレハ タレノ人モハヤク後生ノ一大事ヲ心ニカケテ 阿彌陀佛ヲフカクタノミマイラセテ 念佛マウスヘキモノナリ アナカシコ アナカシコ

おあずかりさせていただきましたご懇志は、必ず仏法相続のために使わせていただきます。合掌