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やればできる子はできない子

「やればできる子」とお子さんだったり、自分自身のことを思う大人は多いだろう。しかし、自分で勉強したいとイメージする量を実際に学習できる人は少ない。

理解力は学力の「要素の一つ」であって、理解力があっても、定着まで努力できない人は、結果学力を身に着けることはできない。
一方、理解力がイマイチであっても、量を学習できる人は結果的にかなりの学力を獲得することができる。つまり「学習できる力も学力の要素の一つ」であり、結果は理解したこと×学習量の掛け算だ。

だから、理解力があって、「やればできるのになあ」と思ってやらない人は結局、能力が不足しているに等しい。

特に外国語学習は学習量に結果が正比例するので、極論で言えば、自分の母語のレベルまでは伸びる余地があり、到達レベルは勉強したかしないかの結果だ。なので、私は翻訳学校時代、「翻訳のレベルを上げるには母語のレベルを上げよ」とよく言われた。
まあ、それは現時点では別の問題である。なぜなら、筆者とその生徒さんの外国語のレベルは母語レベルに遠く及んでいないからだ。

以上、これは自分の家庭教師の生徒さんの成長を見て学んだことで、まるで非常に誰かを批判しているように聞こえたかもしれないが、実は自分について言っている。
結論、だから、私の中国語レベルを上げるには学習量を確保しなければならない。

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