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道徳次元5を設定しない理由

数年前に縁あって鄭雄一先生の研究室を訪問した時に、道徳に関する先生の研究について直接お話をお伺いしたことがある。



当時、残念ながら私はその研究の意味や射程について十分に理解することができず、「へー」というくらいの反応しかできなかった。

しかし、その後、データサイエンティストとの協働で立ち上げた「産業僧」事業を通じ、クライアント企業の社員に提供する僧侶対話を経験する中で、改めて鄭雄一先生の著書を再読し、道徳次元の考え方の重要性に気が付いた。

「産業僧」事業は、多くの経営者の方々に経営判断に資する材料を提供するために実施しているため、たくさんの経営者の方と話をする機会があるのだが、実は、皆さんが悩んでおられること(そして多くの場合、論理が混乱していること)について、道徳次元の考え方によって整理できるのではないかと、ようやく気づいたのだ。

そんな私の気づきを鄭雄一先生にメールで報告したところ、お忙しい中、すぐにお返事をいただいた。著書を出版された後の、鄭雄一先生の道徳次元に関する問題意識のアップデートもおありだったようなので、このnoteでシェアしたい。

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やりとりの中で、鄭雄一先生は、著書を出された後も研究を重ねて来られたと仰っていた。道徳の原理と構造については、さまざまな事例にあたりつつ、その妥当性を調べて来られたが、「これまでのところ大きな破綻はなく、おそらく本質は捉えられていると思う」と言われていた。その上で、鄭先生が危惧されているのは、世間で話題のウェルビーイングなどの議論において、しばしば幸福の「階層性」を無視して丸っと議論されている点だと、指摘されていた。

この危惧には、私も賛同する。人間が集まって、組織となり、社会となり、国家となり、宗教となる。そこには、同じ人間同士の話であるとはいえ、共感し合える仲間意識の範囲において「階層性」が存在している。私が、鄭先生の道徳理論は、人間の組織や社会における極度に単純化された二元論を乗り越える、誰もが理解できるツールとして機能し得るのではないかと考えるのも、そうした人間同士の関係性における「階層性」をしっかりと捉えていると思うからだ。それがひいては、社会から戦争を無くしていくことにも繋がるはず。

道徳次元について3点、自分なりの洞察がある。

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