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空き家問題は、グリーフの問題である。

かつて多くのお寺は、広大な土地を有する地主だった。


荘園制の時代から、時代毎に領地を失っていき、戦後の農地改革によって寺社領の解体は決定的となった。


農地以外の土地を有していた一部の寺社は、今でも地主としての顔を多少は残しているものの、それとてかつてとは比べ物にならない。



しかし、ここへきて、潮目が変わりつつあるかもしれない。まだ数字の調査をしていないので確定的なことは何も言えないが、いろんなお坊さんと話している中で、なんとなく聞くことが増えたと感じられる話題があるのだ。それは、近隣の土地や建物を取得する、という話題だ。

「檀家さんが亡くなって、境内地に隣接している土地を、格安で購入することになった」

「宿坊にしたいと思って隣地の空き家を買ったら、それを見た近所の人たちから”こっちも買わないか”という話がたくさん来るようになった」

「成年後見制度でサポートしていた方が亡くなり、”子どもに渡すよりも、お寺さんに”と、住まいの土地と建物を譲り受けた」

というような話を、よく聞くようになった。「死者の民主化」(2021/8/30で取り上げたように、遺贈先としてのお寺に興味を持っている、自分のアンテナのせいかもしれない。

そういえば、かつてインタビューした釈徹宗さんのグループホーム「むつみ庵」も、元はといえば如来寺の檀家さんが「この家をお寺に役立ててほしい」と寄付されたところからスタートしたのだった。


それにしても、多少なりともそうした事例が今後増えていくであろうことは、この「人口減少」という局面、つまり、国土面積を人口で割った面積が増え続けていく時代に入ったことからも、数字を見ずとも想像はつくところではある。

実際、「2018年に総務省が行った平成30年住宅・土地統計調査によると、全国の空き家数は846万戸で、空き家率は13.6%といずれも過去最高」という。

きっと、「空き家問題」は、これからのお寺が取り組むべき社会課題の一つに違いない。



そんな予感を持って、空き家活用のベンチャー企業を立ち上げて活躍する友人に、久しぶりに会って話を聞いてみた。予感は的中、と言って良さそうな内容のお話を聞かせてもらえた。

いくつかポイントがある。

まず、空き家問題の大きな特徴として、一度空き家になってしまうと、どこに空き家があるのか誰にもわからない、ということがあるらしい。もちろん、行政で把握できている部分もあるのだけれど、自治体によってはほとんど把握できていないところもあるし、把握できていたとしても個人情報の壁によって民間がアクセスできない。なので、空き家になる前に、空き家になる可能性のある家を見つけて、その家の行先について良い道筋をつけてあげることが大事だ。その点、お寺はお葬式という人生の節目に関わるし、地域の多くの人々と生前から付き合いを重ねていて、家の状況も把握しているので、何かと役立てる機会は多そうではある。

しかし、それ以上に大きいなと思ったのが、「感情」のケアだ。

空き家問題とは、グリーフの問題である。

そう言い切ってもいいくらい、にっちもさっちも行かない空き家が日本中に増えている背景には、死者にまつわる感情の問題と、イエやサトの意識をめぐる感情の問題が横たわっている。

お金の相続は、ある意味、簡単だ。ルールにしたがってドライに分ければそれで済む。多少揉めたとしても(金額が多ければ多いほど揉める)、だからといって遺産が手付かずのまま放置されるということは、なかなか考えにくい。

しかし、土地や建物の場合は、そうは行かない。「実家」「ふるさと」「本家」「分家」といった、一筋縄ではいかないさまざまな感情がそこに紐付き、そしてまた「思い出」とも分かち難く結びついているため、解決不能な問題として「蓋をする」形で放置されるケースが、とても多いというのだ。

例えば、とある田舎で、本家筋のイエの当主が亡くなり、その子どもの兄弟姉妹3名で、その実家を相続することになったとしよう。兄弟姉妹はすでに都会に出てバラバラに独立しており、誰も実家に帰るような将来プランもない。しかし、兄弟姉妹にとっては思い出のある実家だし、それを手放すことは、ふるさとを失うことのような気がして、なかなか踏ん切りがつかない。そしてまた、実家の田舎の近隣にいくつかある分家筋からすると、本家があまりみっともないことをされても困るというから、売却も賃貸もできない。

結果、誰も住まない立派な屋敷が、ただただ放置されることになる。人の住まなくなった家は、傷むのも早い。「本家」とはいえすでにそれほどの財力を持たない相続人たちの力では、メンテナンスが十分になされることなく、どんどん朽ちていく。都会に暮らす相続人たちにとって、朽ちていく実家の存在は心に刺さったトゲのようになり、考えること自体、嫌になる・・・

この、こんがらがった糸を解く鍵はどこにあるのか。

それは「先祖に顔向けができるか」という問いだと、友人は言った。

みんな、このままではいけないとわかっている。
そして、みんな、答えは自分の中に持っている。
でも、一歩踏み出すことが、どうしてもできない。

これは、死者との関係の問題であり、グリーフケアを担う僧侶やお寺の出番ではないだろうか。

「その役目は、不動産屋さんには、決してできないんです」と、僕の友人は言った。

ステークホルダー(関係者)が皆「これなら、ご先祖に顔向けができる」と安心・納得できる方向性へ導くことのできる立ち位置にある人は、貴重な存在なのだ。



『グッド・アンセスター』では、わたしたちは「よき祖先」となれるか、を問うている。


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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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