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愚者から生まれるイノベーション

人がヒエラルキーの中に配置され、決まったラインのうえで、効率よく作業し生産を繰り返す。そんな時代は終わりつつある。

同質性や量よりも、質や中身を求められるようになり、企業や組織もその構造やあり方を模索している。

うまくいかないことも含めて、実験を繰り返しながら創造していくイノベーションこそ必要と言われるなかで、イノベーションが起こる「余地」をつくるためにも、一人ひとりの主体性に任せようと、組織自身が内部に自治性を求めるようになっている。

同時に、個人の主体性に任せた結果、秩序が乱れ、組織としてのまとまりを失って、ともすると、人や業務を管理で縛る、かつてのあり方に戻ろうとする力もはたらいたりする。

新たなあり方への移行期にあたる今、私たちの足元の基盤をつくるうえで大事になるのは、一人ひとりの「愚者の自覚」ではないか。「愚者」とは、親鸞が自らを「愚かな私」と捉える自己認識の表現。

これは、決して、自分を卑下するものの見方ではない。私に見えている世界は一部であって、未知なるものや無知なこと、見えないものや、わからなさに溢れた世界を生きているということ。たとえ、最先端をゆく科学者であっても、わからない。どこまでいってもわからないのだから、もはやコントロールするなど不可能であるーー。そうした自覚をもって、人やものごとを捉えることが大切なように思う。

「私は愚者である」ことに気が付かずにいる愚かさと、いったん気付いたつもりになっても、またしてもわかったつもりになってしまう、更なる愚かさ。そんな無明の愚かさと共に揺れうごく愚者の私は、縁さえあれば(状況や条件が揃えば)どんなことをしてしまうかわからない。私とは、そいういう存在なんだと受け入れることから、はじめたい。

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