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ダボスにて@世界経済フォーラム 2022

2022年の世界経済フォーラム(ダボス会議)のテーマは、「歴史的転換期における、政策とビジネス戦略のゆくえ」。コロナにより2年ぶりの開催となった本総会に、世界各国から約2500人のリーダーや専門家らが集まっている。


これまで、世界経済の活性化や気候変動など、世界規模の課題解決に向け、主に第4次産業革命の取り組みをめぐる議論が展開されてきたが、今回の会合は、今、最もタイムリーな「ウクライナ問題」に焦点が当てられているのが印象的だ。

世界経済フォーラム(WEF)は今から50年前、スイスの山間部(ダボス)に設立されたことが意味するように、中立性を創設以来の礎として、これまで特定の「政治的スタンス」を取らずにきた。しかし、今回の開催にあたってWEFは、「ロシアの参加を認めない」とはじめて政治的スタンスを表明、実行するに至った。テーマに掲げるように、まさに「歴史的転換期」を迎えている。

ウクライナは、本会合へ外相を含む代表団を派遣、ゼレンスキー大統領もオンライン講演のかたちで参加した。同国デジタル大臣はYoung Global Leadersにも選出されており、今、WEFにおけるウクライナのプレゼンスは非常に高い。会場では、前回までロシア代表団が使用してきた施設 "ロシアハウス" が "ロシア戦争犯罪ハウス" に改装され、ウクライナの惨状を世界に訴えている。

こうして、中立をうたう国際的な舞台においても、ロシアは排除される構造のなか、いよいよ「対話の機会」は失われている。設立趣旨に中立性を掲げているとはいえ、(西欧諸国ベースの)地政学的な背景からは逃れることができないのだろう。同時に、『世界経済フォーラム』はクラウス・シュワブが長年かけて作り上げた "作品" のようでもあって、そこにある意図や趣旨に照らせば、ロシアの残虐的な侵略行為は「許せない」という意思表明とも言えるだろう。

こうした世界の潮流を肌身で感じ、ロシアのウクライナ侵攻が西欧諸国に与えているインパクトの大きさを、あらためて思い知っている。

会合は折り返し地点を迎えた(5月24日現在)。この3日間、僧侶の格好をして会場を歩いていると、様々な人から声を掛けられる。なかでも、ウクライナ派遣団のメンバー、特に若いウクライナ人の方と話をする機会が多い。彼らは突如、「当事者」として国際情勢の注目の焦点に立ち、世界のリーダーが集う場で高いプレゼンスを与えられた。そんな自らの立ち位置を、個人として消化し切れていない様子も伺える。「仏教がみる平和とは?」そう僧侶に問いかけながら、(正義や善悪、正解の)わからなさのなか、当事者としての振る舞いを探っているのかもしれない。

そして、西洋諸国ベースの場において、地政学的にも距離のある日本という国の、さらには、利害関係のない僧侶の自分に、立場を明確にしなくともゆるされる「居場所」を求めているのかもしれない。

問いの答えになっているかはわからないが、私なりに、親鸞の教えに照らしてこの事態をどうみているかを伝えている。それは、「縁さえあれば、そうなり得る(I'm responsible for it.)=私はそこに関わっている」ということだ。内にこもりがちなところがあって、内的世界を大切にするというウクライナの人々に、何か伝わるものがあるだろうか。

今回、こうして会合の焦点が「ウクライナ問題」に当てられていることは当然とも言えるが、一方で、短期思考に偏りがちであることも確かだろう。危機迫る目の前のテーマに集中するすることも大切だが、そこに長期思考の視点を取り込む必要性も感じている。

政治、経済、その他様々な分野の社会的リーダーたちが集うこの場の空気を肌身で感じ、いよいよ、「How can we become better ancestors?(わたしたちはいかにして、「よりよき祖先」となれるか)」という "問い" の重要性を再認識する。このバラバラになりがちな世界において、互いに異なるリーダーらが「共有すべき問い」として相応しいと直感する。

それは、「死」を含む諸行無常の視座をもつということでもある。いずれ訪れる死や喪失の恐れ、そして、死を迎えた時にはすべてを手放すことになる現実。そうした、"Everything is changing. Everything is impermanent(諸行無常)" の世を生きるという認識は、「私の人生」に閉じずにこの世を捉えることであり、それは「希望」となるだろう。受け取った恵みをもって、いかに今を生き、いかに次なる世代へ渡していくか。この問いを続けるうちに、恐れる「喪失」は、いずれ「喪失」でなくなっていくだろう。

死を含んでこの世を捉えることは、この世の無常を思い出させる。

「アンセスター(祖先)」は、無常を受け入れた長期思考へとわたしたちを誘う。



How can we become better ancestors?
わたしたちはいかにして、「よりよき祖先」となれるか


その問いが意味するもの、こたえ方、見出す回答は、問う者によってバラバラでいい。大事なことは、議論の前提となる土壌に、この問いがあるということだ。自らに問いかけるテーマとして、それぞれに「アンセスター(祖先)」と共にありたい。死を扱ってきた日本仏教は、世界に「アンセスター」を呼び起こす役割を担っているのではないか。

WEFのサブタイトルに綴られる "Committed to improving the state of the world. " 。それはいったい、どういうことか。 "How can we become better ancestors? " と共に、問い続けたい。


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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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