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挨拶できる範囲

産業僧の事業を始めるにあたり、立ち上げた法人の名前をInterbeingとした。ベトナム出身の偉大な大乗仏教僧、故・ティクナットハン師の「人間(Human-being)は、関係性によって表れる存在(Inter-being)である」という言葉からいただいたもので、大乗仏教の根本思想である縁起・空の世界観を表している。

「産業僧」という文字が表す通り、この事業の主な対象は「働く人」を想定している。しかし、なぜ、働く人なのか。あらゆる人間があらゆる場所においてInterbeing的に成り立っているのだから、たとえば学生でも、例えばスポーツチームでも、はたまた地域コミュニティでも、どんな人でも対象になるのではないか。なぜ、自分は「働く人」にこだわっているのだろうか。

そんなことを考えてみた。

思ったのは、自分はおそらく企業組織における数字の面に興味があるというよりも、そこで働いている一人ひとりが人生の大切な時間をその事業に投入しながら、生きがいと働きがいをもってself-cultivationを仲間と一緒に深めることができる、そういうことに貢献したいのだと思う。

その時、大事になるのは、規模感だ。社員10人の小規模事業者も、社員10万人の大企業も、同じ企業は企業だ。とはいえ、その規模によって組織のあり方は当然違う。しかし、私の関心は、その違いにあるのではなく、共通項にある。10万人の会社と言っても、毎日、社員の一人ひとりが、他の99,999人の社員に挨拶するかというと、そんなことはないだろう。それどころか、それくらいの規模になれば、入社してから一度も接することなく終わってしまう社員のほうが大半だろう。

では、日々どんな枠の中で仕事をしているかといえば、チーム単位だったり、部署単位だったり、いわば「挨拶する人数の範囲」は、せいぜい5人〜50人くらいに収まるのではないか。もし最大の数を取ったとしても「人がつながりを持てるのは150人まで」としたダンバー数が、限界だろう。


ふと、各種スポーツにおけるチーム人数を調べてみた。チーム競技でも、選手は3人〜15人くらい。コーチや補欠選手やスタッフを入れても、やはり「挨拶できる範囲」くらいに収まるだろう。


思えば、日本の小中学校のクラスは40名が最大定員で、それでも先生は把握できるギリギリの線(またはそれを超えてしまっている)くらいだ。

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