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南無阿弥陀仏という真言
法然・親鸞・一遍を祖師とする、念仏系宗派(浄土宗・浄土真宗・時宗)では、「南無阿弥陀仏」の念仏を称えることを最も大切な行としている。
読み方は、それぞれの宗派で微妙に違う。
浄土真宗は、「なまんだぶ」とか「なんまんだぶ」とか、ちょっと訛る傾向にある。
浄土宗は、「なーむあーみだーぶ」と割とはっきり言う。
時宗は、あまり親しむ機会がないので詳しく知らないのだけれど、記憶にあるかぎり、突拍子もない発音をしていた印象はないので、それらの中におおよそ収まるだろうと思う。
読み方はそれぞれ微妙に違うけれど、表したい音には共通性もある。「あ」の音が強調されているのだ。以前から感じているのだけれど、「念仏の身体性」などを考えると、南無阿弥陀仏を繰り返し称えることは、真言を唱えることにも似ている。
そんなことを、尊敬する真言宗のお坊さんに話してみたところ、こんなコメントをいただいた。
真言を唱えるのは基本「微音」でして、アーという響きに言葉を乗せる感じで、1つの真言を数百から数万唱え続けます。
吐く息に切れ目なく「なんまんだーなんまんだー」とお唱えするのと同じです。
そうすることにより、言語を崩壊させます。始めもなく終わりもなく……最終的には「あ〜うん」に繋げていきます。それが体感できると「因果」を超えることが出来るという教えです。
南無阿弥陀仏はある意味、日本人に合った真言としての大発明です、文字列の真ん中に「阿」を置くのですから
なまんだぶ、にせよ、なむあみだぶ、にせよ、繰り返し読むと、フランス語のリエゾンみたいに前後の子音がつながって、「なァーンまァーンだァーンなァーンまァーンだァーン」というふうに、「ア」から「ン」につながる音の連続になる。
これは、「オーム」という、かつて宗教団体が起こした事件によって、すっかり悪印象がついてしまったけれど、元々インド由来の聖音として東洋の宗教で大切にされてきた音であり、日本では「阿吽(あうん)」に表される音だ。
浄土真宗では「南無阿弥陀仏の真言性」という話はあまり聞かないけれど、実践レベルでは間違いなくそのようなはたらきをしていると思う。だからこそ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という漢字六字を、口で称える時には「なァーンまァーンだァーンなァーンまァーンだァーン」とすることが暗黙の習わしとなってきたのだと思う。
経文には、音、または波、としてのはたらきがある。
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