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お寺を超えて、仏の智恵を-掲載記事より-

昨年、アメリカ西海岸バークレーにある「浄土真宗センター(Buddhist Churches of America)」で開かれた僧侶向け研修会で、講演のご縁をいただいた。

研修に参加されていたKen Yamadaさんから後日取材依頼をいただいて、先日「Higashi Honganji Buddhist Temples」に記事が公開されたので紹介したい。

今回、取材・執筆下さったKenさんは、浄土真宗東本願寺の教育・出版部門「Shinshu Center of America(真宗センター)」の編集者だが、かつてはバークレーにある東本願寺のご住職、それ以前は米国の新聞記者でいらしたという。記事の冒頭、異色の僧侶(a different kind of Jodo Shinshu priest)と自分のことを紹介いただいたけれど、Kenさんご自身も異色の僧侶のお一人だろう。

原文は英語のため、許可をいただき日本語訳をつけさせてもらった。


▼「Reaching Beyond Temples to Teach Buddhism」
(取材・英文執筆:Rev. Ken Yamada )




お寺を超えて、仏の智恵を
Reaching Beyond Temples to Teach Buddhism

 
松本紹圭師は、異色の浄土真宗僧侶である。伝統的な聖職者というより起業家であり、仏の智恵を "お寺" を超えて人々に届ける新たな道を試みている。
彼の活動は数々あるが、ビジネスパーソンに向けて仏教の教えを伝えることを目的に、株式会社インタービーイングを起業した。過去には "お寺カフェ" やオンライン仏教寺院「higan.net」を立ち上げる他、MBA取得後、住職向けの寺院経営講座を開発。全国各地、ご縁をいただく集いの場では、若者たちと人生について語り合う。著書は、18ヶ国語に翻訳され今も多くの人に読まれている『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』など複数。

私が松本師に初めて会ったのは、昨年の秋、カリフォルニア州バークレーにある浄土真宗センターで、彼が講演をした時だった。講演のテーマ「becoming "good ancestors":(私たちが)"よき祖先" になってゆく」とは、ローマン・クルツナリック氏の著書『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』から引用されたものだが、松本師は本書に深く惹かれ、日本語版出版にあたり翻訳を行っている。

先日、オンラインで松本師の活動について本人からお話を伺った。

「大乗仏教の僧侶の役割は、人々の "interbeing (インタービーイング)"の感覚を養うこと」と松本師は言う。「"私自身" から "私たち自身 "へと、より広い領域で自己をみることです」。(interbeingとは、万物におけるつながりと相互依存関係を表現した言葉で、高僧ティク・ナット・ハン師によって広められた。)

"よき祖先" というコンセプトには普遍性があり、長期思考へと誘う。「いかにして、私たちは未来世代にとっての "よき先祖" になれるか」。そう問うことから、他者や環境、万物とのつながりに目を向けた行動や思考、企業や行政においては方針や政策が形成されてゆく。「こうした理解は、よきリーダーであるために、ビジネス界や政府などあらゆる場面において不可欠です」と語る。

松本師は幼い頃、祖父が住職を勤める地元北海道の寺(東本願寺派)をよく訪れていた。報恩講(親鸞聖人の命日に行われる浄土真宗の法要)などのお勤めや老師による法話会に身を置きながら、西洋では浄土をどう説明するのかと疑問を抱いていたという。「私には、(仏教の話は)とても迷信的に聞こえました」。

それでもなお仏教に惹かれた背景には、彼の心にほどばしる、ある不安があった。「私は、死への大きな恐れがありました。人生が終わる時、人は、すべてに別れを告げてこの世を去らなくてはならない。最後は死ぬ運命にあるならば、私はどうやって生きればいいのかとー」

東京大学では西洋哲学を専攻。卒業後、友人の紹介で東京神谷町 光明寺(西本願寺派)の門を叩き得度するも、従来のお寺の枠組みや役割を超え、日頃、仏教に接することのない人々に向けて仏教を伝える道を追求する。「娑婆(苦悩の世界)とブッダの世界(悟りの世界)の架け橋になりたかった」という。

僧侶として仏教の言葉や概念には慣れ親しんでいたものの、ビジネス界や世俗の考え方を学びたいと、その後、インドの大学へ留学。それは、僧侶の身でインドに暮らす夢が叶うことでもあった。MBAを取得後、帰国。住職向けの経営塾「未来の住職塾」を立ち上げ、以来、12年間で800人以上の卒業生を輩出している。

今、活動のベクトルは、ビジネスの発想を仏教界へと取り継ぐことから、今度は仏教の教えをビジネス界や行政に伝えることへと転換し、株式会社インタービーイングを設立した。同社は、僧侶と企業経営者や幹部層(*)との1on1の対話を通して、より広い視野から世界や未来世代と関わりについて理解を深めるサポートを行う。そうして、長期的視点での計画立案や、生態系や社会福祉に配慮した企業責任について認識を深めることを目指す。

* 日本語訳追記
Interbeing社の1on1は、状況に応じて企業経営者や幹部層の他、雇用形態や職種を超えてあらゆる働く人との産業僧対話を行っている。

 

松本師は次のように語る。「(私たちの事業について)ビジネスパーソン、特に組織や事業を率いるリーダーの立場にある方々から関心を寄せていただきます。今、ビジネス界には "パーパス・ドリブン・マネジメント(purpose-driven management:目的を起点とする経営)" のトレンドがあって、 最近の才能豊かな若い人たちは、お金を稼ぐことよりも、ビジネスを通じて有意義な目的を追求することに関心がある傾向にあります」。

松本師の社会的影響力は、著書によるものが大きいだろう。これまで書かれた5冊のうち2冊は英語に訳され、『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』("A Monk's Guide to a Clean House and Mind")は英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、韓国語、モンゴル語、ヘブライ語を含む18ヶ国語で翻訳出版されている。基本的な仏教の智慧とその実践におけるコツやヒントを伝える本書は、私にとって、こんまり(片付けコンサルタント 近藤麻理恵)の読みやすいガイドのような衝撃があった。私の「掃除」の概念を恐るべき雑務から、精神的修養や瞑想的実践の一つの型へと変えてくれた一冊だ。なにしろ、仏教僧は欠かすことのできない大切な修行の型の一つとして、寺や僧堂の掃除に多くの時間を掛ける。それゆえ、僧侶は袈裟を纏って掃除を行っている。

 

"もし機会があれば、境内で掃除するお坊さんの姿を眺めてください。作務衣を着たお坊さんたちが、それぞれの持ち場で黙々と作業(作務)に励んでいることでしょう。みんな、いきいきとしたいい顔をしているはずです。

「面倒だし、なるべくやりたくないから、何かのついでにささっと終わらせてしまおう」。掃除はそういうものではありません。お釈迦様の仏弟子のひとりは、「ちりを払い、垢を除かん」と唱えながらひたすらほうきで掃き続けたことにより、悟りを得たと言われます。

掃除とは、汚れたからするのではなく、こころを磨く「修行」なのです。"

『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』より


もう一冊の本『こころの静寂を手に入れる37の方法』(”A Quiet Mind: Buddhist Ways to Calm the Noise in Your Head”)では、人間関係、お金、個人的な欲望、テレビやインターネットの使い方といった日常生活について、仏教の教えを用いて実践的な提案をする。ここでも、わかりやすくやさしい文体で綴られている。

https://www.amazon.co.jp/-/en/Shoukei-Matsumoto/dp/1787395804


"幸か不幸か、今という時代に居合わせた私たちは、とても目まぐるしい日々を送っています。

テレビやインターネットなどさまざまな情報メディアの発達、そして携帯電話やモバ イルコンピュータなどの情報伝達ツールの登場によって、一人の人間が巻き込まれる人 間関係や情報の範囲が格段に広がりました。新しい情報があまりにも多すぎて整理する ヒマもないほど、毎日を忙しく過ごしています。

私は、これはけっこう危険な状態ではないかと思います。人間はさまざまな経験を通じて、心を落ち着けてじっくりと考えることによって、世界を理解して少しずつ成長することができるはずです。しかし、もし雑音から解放された穏やかな時間を持つことができなければ、精神的に成長するヒマもないでしょう。

いくら寿命が長くても、一生のうちにどれほど多くの情報処理をこなしたとしても、 それを消化して身につけることができなければ、元も子もありません。

このように、かつてないほど雑音だらけの時代だからこそ、心穏やかに冷静に、物事 を見つめ、自分を見つめる目が必要ではないでしょうか。そして、世界や自分というものの現実に「気づき」を深めていくことが大切です。 "

『こころの静寂を手に入れる37の方法』より


これらの本は、一般的な仏教の教えを伝えている一方で、浄土真宗や親鸞聖人の教えの視点が欠けているようにも感じられ、その点について尋ねてみた。

松本師は、親鸞聖人が説く、自らの弱さや無知を認める謙虚な姿勢(凡夫である自覚)の大切さをますます感じているという。「私たちは愚かでもあり、すべてを知っているわけではありません。ですから謙虚ではなくてはならない」と。

そのことを松本師は、最近執筆を終えたばかりの新たな書籍で表現している。本書は間もなく出版される予定だが(*)、とある山寺を舞台に、老師とビジネスパーソンの会話形式で綴られている。老師は、あるときは親鸞のように、あるときは法然のように、またあるときは他の僧侶、そして松本師自身のように語る。

* 日本語訳追記:
2024年5月現在、日本語版の出版は未定

「いかにして未来世代のために "よき祖先" になれるか」という問いへの応答として、「それは、"未来世代に、より多くの選択肢を残す" ということでしょう」という台湾の元デジタル担当大臣オードリー・タンの発言を松本師は引用する。自分はよくわかっている、そんな自覚から取られる行動は、未来の選択肢を狭める危うさを伴う。

私たちが、すべてを知ることのないわからなさを受け入れ、事実、多くにおいて無知な自らを見つめることができたなら、私たちは、未来へ謙虚に歩める、と松本師は言う。それは、未来世代に選択の自由を約束することであり、それこそが「よき先祖」となる道であろうと。


-東本願寺アメリカ真宗センター Rev. Ken Yamada(英語・原文)
 
 

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関連記事:2023年バークレー訪問時の報告はこちら(2023年6月)
-『開教か、追教か』https://note.com/shoukei/n/n1af386bb2b2b
-『AWEのいしずえ』 https://note.com/shoukei/n/nf4b7e891d9b8


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