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「私たちが育つ」社会

先日、とあるビジネス誌の取材で「人を育てる」をテーマにおしゃべりしました。その時お話しした内容を、振り返ってみました。

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「誰かを育てる」から「私たちが育っていく」へ


仏教的「人を育てる」とは

最近、企業人事・人事開発といった分野でお声がけをいただく機会が多くなりました。コロナの影響も後押しをして、従来の講義や登壇といった場の他に、社員の方々との One-on-one の対話などかたちは様々。「Monk Manager(モンクマネジャー)」や「(産業医ならぬ)産業僧」と呼ばれることもありますが、組織の内側に身を置いても、人事査定や評価とは関係のない "ナナメのところ" にいられるのが "お坊さん" という存在です。

「開発」という言葉は、元々仏教用語で読み方は「かいほつ」という。何を開発するかというと、菩提心(悟りを求め、仏になろうと願う心)を開発する。

タイやミャンマーなど上座部仏教の世界には「開発僧」という僧侶がいて、彼らは地方の農村に入っていって、農業指導など人々の生活基盤を整える開発を行いながら、同時に仏法を説いて菩提心を開発(かいほつ)します。心を開発するにおいては、そうした心を「起こさせよう」として生じるものは菩提心になりません。心は「起こってくる」もの、自ずと生じてくるものです。

「人を育てる」に関しても、視線は、どうやったら「自ら育つ」が起こりやすくなるかということです。開発とは、そこに「起こってくる」ものをいかにアシストするかということ。せいぜい出来るとしたら、そういうことだと思います。能力を上げさせようと、意図してはたらきかけることではありません。芽が出る条件を整えながら、見守り、芽吹きの時を待つ。

企業の方からは、いかに社員のパフォーマンスやエンゲージメントを上げるかといったご相談をいただきますが、見ているところが根本的に違うのではないかと感じます。

最近の企業人事は、KPI(重要業績評価指標)など定石となった指標を用いて社員一人一人を測定し、その結果に応じて、不足を補うための研修やカウンセリングが導入されるというのが主流です。これは、そもそも謝った見方で人を捉えたところに、更にピントの外れたソリューションを課しているようなものーー これでは、人は病んでいくばかりではないでしょうか。

こうした現状を打開する試みとして、データサイエンティストの友人と、人を「interbeing(関係性)にみる」仏教的視点から働く人にまつわる抜苦与楽をしようと、人事を含む企業課題に取り組んでいます。

interbeingという言葉は、マインドフルネスを世界に広めた源流でもあるベトナムの僧侶ティクナット・ハンが人間の存在を表すに用いた言葉で、「人間」という漢字の意味するところそのものです。

大乗仏教でいう「縁起」「空」とは、あらゆるものは関係性のなかに立ち現れてくるというものの見方で、人を「個」としてみている限り、捉えても捉え切れないものがあります。個人に物差しを当てているだけでは、誤った認識をしてしまうわけです。仕事のパフォーマンスを捉えるにも、例えばチームワークというのは個人のスペックによる足し算・掛け算の結果ではなく、心理状態を含めたその関係性に生じる集合的な現象です。

更には、課題解決のための施作が個人に集中し過ぎると、「個」の内側に苦のスパイラルが渦巻いて、そこから抜けられなくなってしまうということもあるのではないでしょうか。「人を育てる」から、「私たちが育っていく」という見方に転換していく必要があるのです。「私たち」が主語となる人と人の間のinterbeingにこそ、開かれていく道はあるのでしょう。

これからの宗教界を担うのは


宗教者に欠かせないのは「現代倫理」だろうと思います。

人間の技術発展は止むことがなく、放っておけば社会はどんどん短期思考に寄っていく。私たちは答えのない課題を抱えながら、変わりゆく社会を生きています。そこで、2500年という経験を背後にした仏教は、圧倒的な長期的視点の参照先の一つとして、そして、社会の重石として機能する必要がある。私たち仏教の担い手が、「いにしへの叡智」をもって、時代の議論の俎上に乗せ得るオルタナティブな見解を提示できる存在であるには、視野の広さ、リーダーシップなどが総合的に育つ環境が必要です。信仰や教義にこもらずに、社会へ関与してく開かれた機会も求められます。社会と繋がり、自らの価値を自覚して自信をもって参画していきたいと思います。

Inter-beingに共に育つ


働き方が多様化する中、人が育つほど、離職・独立していくというジレンマがあると思います。それは決してマイナスなことではなく、たとえ通り過ぎていくように見える人であっても、むしろ形態にかかわらず、よいご縁で繋がっていけるのがこれからの時代です。

「ウチの社員」か否か、そんな、所属の概念から生まれる囲い込みの発想や、人を固定的に見ることから離れる必要があります。縁の形は自由自在で、どんな形であれ、関係性は生じていくもの。「その人がどうか」ということより、interbeingに人を捉えることからはじまります。

そうして世界をみてみると、「私たち」という発想は自然と生まれてきます。


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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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