対機説法

産業僧では、「なぜ僧侶なのか?」ということが、しばしば問われる。
コーチングでもなく、カウンセリングでもないという僧侶対話は、いったい他と何が違うのか?と。

そんなとき僕は、僧侶の「Perfect Stranger(完璧な見知らぬ他人)」としての稀有な存在感のことを話す。

というのも最近、この「見知らぬ他人」とのおしゃべりの効能が、あちこちで注目されるようになってきているからだ。

『クーリエ・ジャポン』の記事が参考になるだろうか。

見知らぬ人と話をすることで、私たちがより幸福になり、社会との結びつきが強まり、頭が冴え、健康になり、孤独感が薄れ、人を信頼できるようになり、楽観的になることが研究によって繰り返し証明された。

引用:「「見知らぬ人」との会話が幸せを呼ぶ──疑い深いこの世の中で、他人と繋がることの大きな効能」(2021.9.24)より

『クーリエ・ジャポン』



また、僕が購読している『Lobsterr』というメルマガ(購読無料。おすすめ!)に先日「見知らぬ他人と話すことの効能」というタイトルの記事が載っていた。

見知らぬ他人とのインタラクションは不都合な存在ではなく、自分とコミュニティを繋いでくれて、共感を教えてくれたり、驚きを与えてくれたり、実は人生を豊かにする上で重要な役割を担っている。エセックス大学で長年、社会的ネットワーク上の最も遠い人たちの影響を研究してきたジリアン・サンドストロームは「見知らぬ人と話すことで生まれる小さな関係性が、社会的および精神的ウェルビーイングの重要な構成要素であることが証明されている」と言う。2021年に発表された論文によると、見知らぬ人と深く有意義な会話をすることは思ったより簡単で、そうすることで自己肯定感が高まるという研究結果が報告されている。

引用:「見知らぬ他人と話すことの効能」より

『Lobsterr Letter vol.167』 2022/6/20
Why Strangers Are Good for Us |The New York Times

ネタ元はこちらのNY Timesの記事だとか。


そのように「見知らぬ他人」という観点から見ると、僧侶という存在は、日常、ほぼ接することがなく、見るからにこれからの人生でも利害が交わることのなさそうな、いかにも「完璧な見知らぬ他人」という感じが満載なのが、いい。

とはいえ、「見知らぬ他人」だからこそ、難しさもある。

Lobsterrの記事には、こう続く。

テクノロジーの進化とパンデミックの影響で見知らぬ他人に対して恐怖心を抱く「Stranger Dangerバイアス」が助長されてしまったが、いままた見知らぬ他人との関わり方を再考しなければいけない。

そう。ただの「見知らぬ他人」であれば、だからこその危険性もあるし、対峙した時に恐怖心も湧くというもの。それももっともな話だ。

その点、僧侶には、もう一つ形容詞を付けられる利点がある。僧侶は「Trusted Perfect Stranger(信頼できる、完璧な見知らぬ他人)」として、相手の前に現れることができるのだ。

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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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