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念仏はソナー

浄土真宗の信仰構造について、自分なりに理解を深めている。

阿弥陀仏の「摂取不捨」は、やはり一つの大事なキーワードだ。SDGsのスローガンではないが、「誰一人取り残さない」という意味だ。

仏道には、色々な道がある。これまでにたくさんの祖師がいて、たくさんの宗派があり、たくさんの思想や実践が生まれてきた。それぞれ仏道であるかぎり、「私が仏になる」に通じているのだから、どの道を歩いてもいいだろう。自分に合わないなと感じたら、途中で道を変えることも自由だ。

しかし、張り切って歩き始めた道も、しばらく歩いても変化が感じられなかったり、行けども行けどもゴールが見えなければ、やはりどんな人でも不安になる。そうした不安もまた修行の一環であると言われても、不安なものは不安だ。果たして、本当にこの道で良いのだろうか。この先に確かにゴールはあるのだろうか。自分は間違った選択をしてしまったのではないのか・・・

そんな時に、念仏道が輝きだす。念仏という仏道は、つまるところ「仏になるための最後の手段は、どんな時にも、どこまで行っても、常に用意されている」と知らされることだ。成仏という山頂を目指す登山で、たとえ遭難しても、力尽きて倒れても、あるいは道半ばであきらめて山を下ることになっても、最後の最後は必ず不思議と山頂に着く道が、どこまで追い込まれても必ず用意されていると、知ることだ。

阿弥陀仏の「摂取不捨」を知ること、すなわち浄土真宗における「信」=疑いなき心が私の元にやってくるということは、どんな状況においても絶対に「成仏」から漏らさない完全無欠のパッチの仕組みが完成していると、知らされることだ。

ちなみに「摂取不捨」の完全性は、科学的には決して証明できない。何かのはたらきが「誰一人取り残さない」かどうかは、常に「仮にこれまでは漏れた事例が発見されていないとしても、今後新たに漏れが発見されるかもしれない」という反証可能性が残っているからだ。これまでの経験上、99.9999%は確率論的に確かだと言えるとしても、0.0001%が残る限り、決して「完成」とは似て非なるものになる。人間の実生活においては「99.9999%の精度ですから、実質的には100%完成されたと言って良いでしょう」という論理で成り立つものも、宗教の文脈ではそれではダメなのだ。

だから、最後は「信」ということになる。論理の飛躍とも言える、ジャンプが必要になる。親鸞が「信心」を「疑いなき心」と言ったのは、そういうことだろう。

親鸞は歎異抄(タンニショウ)の第九章で、そのことを語っている。弟子の唯円から「念仏を申しても、喜びの心は起こらないし、早く浄土に往生したいなという気持ちにもならないのは、どういうわけか」と問われた親鸞が、「私も同じだ」と答えている。念仏を称えたからといって、たちまち迷いが晴れたり、何が起こっても動揺しない泰然自若の境地になるわけではない。相変わらず人間である限り、私は迷い続けるし、まったく当てにならない。

しかし、それに親鸞は続けて、面白いことを言う。

「そのように、煩悩にまみれ、迷い続ける私だからこそ、ますます阿弥陀仏の摂取不捨が頼もしくなるのだ」

これはどういうことか。

「分人」という発想を補助線として借りてくると、分かりやすい。私という存在は、確固たる存在ではなく、縁によって何者にもなるし、関係性の中で顔を変え続けている存在であるというのが、「分人」的発想だ。親鸞は「凡夫」「悪人」「愚者」といった言葉で、「私という存在の当てにならなさ」を常に意識し続ける。それは言い換えると、私という存在が縁によってどんなものにでもなり得る、どんなことでもし得る、どのようにも転び得る、そうした、コントロールの効かない存在として、捉えることだ。

親鸞の「善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉も、ここから理解できる。この言葉がいわんとする、「善人でさえ往生できるのだから、悪人ならなおさら往生できる」とはどういうことか。悪人=当てにならない私だとすれば、悪人の自覚というのは、自分という存在の当てにならなさの自覚であり、自分の中にある数えきれないほどの分人の存在とその可能性への自覚である。

「南無阿弥陀仏」と口で称える念仏は、自分で称えるようでいて、それは阿弥陀仏のはたらきの表れである、と浄土真宗では受け止める。私には、念仏が「ソナー」的な行為に思える。

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