ダボスから、ローマンに会いにイギリスへ
ダボスでの会合を終え、スイスのチューリッヒから、イギリスはロンドンへ。二度目のイギリス。二度目というだけで、土地や駅の名に馴染みを感じ、心持ちは違う。
ロンドン・ヒースロー空港から向かう先は、『グッド・アンセスター』の著書、ローマンの暮らすオックスフォードだ。
空港から乗ったタクシーの運転手は、ちょっと感じが悪かった。「Credit Available(クレジットカード払いOK)」の表示していながら、現金での支払いを求められ、こちらがカードしか手持ちがないことを伝えると「入金が遅くなるじゃないか」と言い出した。街の生活感が一気に戻ってきた。
渋滞にも重なり、諸々のトラブルがありつつも、お昼ごろには無事オックスフォードに到着した。
ローマンは、駅までわざわざタクシーを使って迎えに来てくれていた。「もう自動車は手放した」という。普段、移動のほとんどは自転車で、どうしても車が必要なときは地域のコミュニティ・カーを使うのだそう。
ローマンの自宅に一旦荷物をおいて、贅沢にも、ローマンと歩きながら街を案内してもらう。前回、はじめてイギリスを訪問したのは、2018年、オックスフォード大学で開催されたYoung Global Leadersの研修に参加したときのことだった。ハリーポッターの世界さながらの、歴史あるこの街の趣には何度訪れても圧倒される。
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ローマンが共に暮らす家族は、パートナー(妻)のケイトに、中学生の息子さん、小学校高学年の娘さん、そしてアルフィーの人間4人+猫1匹。パートナーのケイト・ラワースは、新しい経済のあり方として「ドーナツ経済」を提唱する、世界的に注目されている経済学者だ。著書の『ドーナツ経済学が世界を救う』は多言語に翻訳され、多くの場で参照されている。
ローマンとの語り合いで、まず僕が彼に報告したのは、前日まで参加していた世界経済フォーラム(ダボス会議)で、「How can we become better Ancestors?」という問いのパワフルさを再確認したことだ。 本当に "inspiring" で "transformative" な(人々にインスピレーションと意識の変容を与える)問いだということを、会議の場で実感した。
ちなみに、この問いは、僕が『グッド・アンセスター』の翻訳出版を終えた頃、オードリー・タンとのオンラインMTGの場で「今、私たちに最も必要とされる問いはなんでしょう?」と画面越しに僕が投げかけた質問に、即座に返してくれた問いでもある。ローマンが『グッド・アンセスター』で綴った「How can we be a good ancestor?」を更新する問いとして、僕とローマンは共有している。
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さて、世界経済フォーラムのような場には、ざっくり分けると、主に2種類のタイプの人がいるように思う。
お金も地位も権力もあり、比較的エゴが強い人
お金も地位も権力もあるが、比較的エゴを手放している人(つまり、得たものを手中に収めず、世のために使うことを望む人)
2つのタイプをはっきりと線引きできるわけではないが、両者に響く共通の問いを持つことが大事だと思う。僕としては、タイプ1を必ずしも否定するものでもないと考えている。否定しても、分断が起きてしまうだけだし、場合によっては個人のエゴと世のためになる遺産が両立することだってある。(例えば、自分の名をその名に刻んだ「カーネギーホール」を建てた、鉄鋼王アンドリュー・カーネギー氏はどうだろう。)
大事なのは、共に議論し合い、共に考えることのできる問いがあるということだ。「How can we become better Ancestors?」という問いは、背景の異なる人が共有したとき、答えの深さは人によって様々かもしれないけれど、問いそのものが対立を生むことなく、異なる答えが導き出された奥にある感覚をお互い尊重しあい、その過程を通して全体としてエゴを手放す方へと導かれていく、そんな問いではないかと思う。
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夜は、ローマンのパートナーのケイト・ラワースが時間を共にしてくれた。超絶多忙な彼女だが、ちょうど大学の学生たちの試験が終わったタイミングということで、一緒に食卓を囲み、食後はゆっくり語り合った。娘さんの弾くギターに合わせて彼女が唄ってくれた。「ショウケイは何か楽器を弾かないのか」というので、僕は「戦場のメリークリスマス」をピアノで弾いてお返しした。
ケイトがシェアしてくれる「ドーナツ経済学」をめぐる最新の考察に、僕は仏教的世界観からフィードバックをした。社会構造の骨組みとなる従来のヒエラルキー的な人の繋がりは、有機的なものへと変わっていくという彼女の話に、インドラ・ネット(縁起を表現する「インドラの網」)の話をしたりした。
翌朝は、地元のビーガンレストランで朝食を取った。価格は適度で、とても美味しい。周りの人たちの様子を見ると、ここが地域の社交の場となっているのがわかる。街のあちらこちらに、生ゴミ処理のコンポストが設置されていて、短時間での堆肥化が可能だそうだ。市内で車が通行できるエリアはどんどん減ってきているそうだ(一部住民からは、その不便さから不満の声も上がっているのもまた、リアルだ)。
日本では、都市でエコな暮らしを求めると、ビーガン食やオーガニック食材はかえって高額だったり選択肢が少なかったりするけれど、この街では、普通の暮らしとして選択可能な環境が整っている。エコサイクルな要素が、無理なく生活の一部として機能している。ローマン一家の生活環境は、ロンドンからオックスフォードに移って大きく変わったようだ。ほどよい広さの住まいに暮らし、車に乗らず、長男を除いてはビーガン食を好んで選ぶ。富裕な友人からは「こんなに小さな家に暮らして!」と心配されることもあるそうだが、この街においては十分立派で、彼らが今、望む世界にとってはちょうどいい。
暮らす住人たち一人ひとりの意思によって、街のカルチャーや社会の仕組みが創生されているのを肌身で感じた。
例)Community Action Group Project
ケイトは、その信念と意思を強くもっていて、流されない。過去に世界経済フォーラムに招待されて参加した経験もあって、その時には「ここでの私の役割はなんだろうか?」と問うたという。ケイトが発信する経済のあり方は、従来型の経済学とは根本的に異なっていて、彼女は新たなあり方を生活実践と共に探っている。従来の経済システムに取り込まれることなく、その手元・足元から広がる、新しい世界をつくっている。
だからこそ、どんなに世界から注目を浴びても、「ドーナツ経済」がおかしな方向へ展開しないよう、慎重に歩みを進めている。取り扱うには数々の条件があり、実態がないままに「ドーナツ経済」がうたわれることのないように配慮している。これまで、多くの「エコ」や「環境配慮」といった言葉の数々が、グリーンウォッシングのなかで消耗されてきたように、「ドーナツ経済」が、ドーナツウォッシングで消耗してしまわぬように。
山ほどある仕事の依頼も、かなり選択しているそうだ。そうした一貫した姿に心から感銘を受けたし、僕自身、自らを省みる機会になった。
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世界経済フォーラムというクラウス・シュワブの"作品"は、一つの節目を迎えつつあるかもしれない。僕らの20世紀に大きな影響を与えてきた人々も、かなりの高齢となっている。僕自身は、ダボス会議の会場は、人生をかけて何かをやり遂げてきた人たち(アンセスター)の声を聴ける、大切な機会だと思っている。何がいいかはわからないが、いいものを受け継ぎ、反省すべきは反省をしていきたいと思う。
「How can we become better ancestors?」
フォーラムの会期中、僕は様々な人に声をかけ、この問いについて尋ねた。そこでいただいた答えの一部を紹介したい。
印象的だったのは、セールスフォースのCEOを務めるマーク・ベニオフだ。秘書を連れて忙しく駆け回る彼に声をかけ、その場では答えを得られなかったものの、同じ日の夕方、僕を見かけて向こうから声をかけてきてくれた。
これほど多様な背景のリーダーが集まるからこそ、既存カテゴリーの内に収まらないテーマの話し合いが大切だと思う。誰もが「考えたことのない大事なこと」たとえば、それぞれの失敗や苦しみを語り合うのはどうだろう。
「How can we become better ancestors?」を携えて、次回に向けてそんな大きな議題を提案してみたい。
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