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成功しても、失敗しても、停滞しても。

とても久しぶりに、大阪の(だけでなく日本を代表する)イノベーション寺院、應典院に呼んでいただき、これからのお寺、これからの應典院について、議論に参加する機会を得た。應典院の秋田光彦さんは、比類なき幼稚園の経営者でもあり、比類なきお寺の住職でもあり、その両方を成り立たせつつ、やはり、僧侶の原点も大切にされている。

秋田さんは、仏教界のアイデアマンであり、コピーライターであり、あらゆる変革派僧侶にとってのグッド・アンセスターだ。私も、秋田さんから学んだことがたくさんある。例えば、秋田さんがかつて打ち出した「私は、あなたに出会って、私になる。」というステートメントは、なんという強度だろう。お寺界のエポックの舞台となってきたのが應典院であり、そこがまた楽しみな胎動を始めている。そういうタイミングに、ご縁を頂けたのは、とても嬉しい。

さて、グッド・アンセスターというテーマを「大阪」という文脈に持って行った時に、自然に浮かんできたのが「笑い」という切り口だった。グッド・アンセスターというと、何か、「後世の人のために素晴らしいことをしてくれた人」というイメージが強いかもしれない。しかし、私が思うに、そうした成功者の顕彰もグッド・アンセスターのテーマだと思いつつ、実はそれ以上に重要なのが「失敗した先人たち」なのではないかということだ。成功よりも失敗が、学びのよき題材になることも多い。

グッド・アンセスター、よき祖先になる、ということを真剣に考えてみると、実は、全方位的に「グッド」と言われるような人のあり方など、あり得ないということがわかる。同時代に顔を合わせた人たちの間でさえ、毀誉褒貶があるように、世代や時代を超えればなおさらのこと、人の評価など変わりうる。たとえばアインシュタインという人物を、相対性理論と原子力爆弾、どちらで見るかによっても、全く違う評価が出てきうるのだ。

そのようなことを考えると、グッド・アンセスターの話は、実は「成功と失敗」という二元論を無効化する考え方としても、成立するのではないかと思う。多くの人からいわゆる「成功」と称賛されることを成し遂げた人は、それはそれで良いだろう。一方、多くの人が当面「失敗」と捉えるようなことをしでかした人も、グッド・アンセスター思考からすると、「あなたたちは私みたいな失敗をしないでね」と、次世代の人たちにいわゆる「しくじり先生」的な語りをすることにより、失敗者がグッド・アンセスターとして「成仏」するのだ。

そういう視点に立てば、実は、世界には成功も失敗もない。挑戦するかしないか、それだけだ。

これはこれで、グッド・アンセスター視点から語れることの一つなのだけれど、私としてはさらにもう一歩、先に行きたい。グッド・アンセスター視点からすれば、「世界には成功も失敗もない。挑戦するかしないか、それだけだ」は確かにそうかもしれない。しかし、そう言われても、人生には、挑戦したくてもできない、あるいは、挑戦しようという気持ちが湧かない、停滞期があるものだ。そういう停滞期には、「挑戦するか、しないか」の選択を突きつけられても、しんどい。でも、長期思考としてのグッド・アンセスター視点からすると、人生の停滞期も、救われる。人生の中には、色々な時あるからだ。もっと言えば、「いや、自分の人生、むしろ全体的に停滞期ですけど」という人も、大丈夫。「私」という個人で終わらない人生を、「私たち」は生きている。というのが、世代を超えて人生を捉えるグッド・アンセスター思考でもある。

ここでふと、思い出すのが、仏教の悟りにおける二種のアプローチだ。

頓悟(とんご)と漸悟(ぜんご)。

「竹箒で掃除をしていた時に跳ねた小石が竹に当たってカーンと鳴った瞬間、悟りました」みたいなドラスティックな悟りと、「仏法のお話を聴きながら、でも人生色々と悩みながら歩んできて、そう言えば気づいたらすっかり感覚が変わっていました」みたいな静かな悟りと、2種類があるというのだ。

しかし、本屋の自己啓発本のコーナーに行けば、そこに踊っているのは大抵「人生が劇的に変わるxxx」といった、頓悟系のメッセージだ。無理もない。私たちには、手っ取り早く、簡単で、楽に、効果が得られるものを求めようとする性質があるからだ。それを仏教では執着と呼んでいる。そして、執着があるからこそ、そのことに問題意識を持った人は、「執着をすぐに手放せる方法」へ執着してしまうというわけで、これはなかなか根深い問題だ。

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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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