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開教か、追教か

前回に続いて、アメリカの西海岸 バークレーと、旅の最後に立ち寄ったカナダ バンクーバー訪問を振り返りたい。

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浄土真宗本願寺派には、世界各地で教えをひらく「開教地/開教区」と呼ばれる支部があり、そこに身をおく僧侶のことを「開教使」という。アメリカ大陸ではカナダ、北米、ハワイ、南米とそれぞれに本部が置かれ、各地に広がる拠点の中心として機能している。

今回の旅では、バークレーで北米開教区本部のマービン・ハラダ総長に、バンクーバーではカナダ開教区本部の青木龍也総長にお会いした。

バークレーでは、マービン先生に会うため「浄土真宗センター」を訪問。ここは、浄土真宗本願寺派の伝道振興のためにBCA(Buddhist Churches of America)によって建てられた立派な建物で、完成は2006年と、まだ新しい。 Temples(寺院)ではなくChurches(教会)と名乗る背景は、後述の「北米開教区のこれまで」で触れている。

▼ 浄土真宗センター|Buddhist Churches of America


マービン・ハラダ先生は、オレゴン州で農業を営む日系移民の家庭に生まれた、日系3世だ。熱心にBuddhist Churchへ通うご両親のもと、幼い頃からアメリカの地で浄土真宗に親しまれてきた。浄土真宗といっても、その教学は保守的なものから革新的なものまで解釈は様々だけれど、マービン先生は、とりわけ異色と言える信楽峻麿(しがらき たかまろ)先生の門下生で、だいぶ革新的な流れを汲んでおられる。

▼ 北米開教区 マービン・ハラダ総長

▼ 信楽峻麿先生


浄土真宗の教えは、端的には「念仏を唱えれば救われる、南無阿弥陀仏によって極楽往生が約束される」ーーと語られることも多い。これだけ聞くと、「あの世(死後)」のための宗教のようにも聞こえるけれど、同じ言葉を「(死や死者を扱いながらも、)いまここにある私が、今、いかに救われようか」と "現在" に焦点を当てて説くこともある。こうした解釈は、「いかに生きるか」という哲学の問いから出発した私の仏縁とも近しい。現代を生きる多くの人にとっては一般的かもしれないが、宗派の中で、それは "革新的" とも言われてきた。

カナダ開教区の青木龍也先生は、北海道に生まれ育ち、浄土真宗を学ばれるなか、縁あってカナダに渡り開教使になられた。彼もまた、柔らかな発想で教えをよみ、異なる土地に仏教をひらく工夫をされてこられた方だ。これだけ「若い総長」は異例なことだが、若い世代を求める檀家のみなさんの声に応える動きのなかで就任された。組織の力より、檀家の声に力がある開教区らしい展開だけれど、そうした縁に在ることが、青木先生の革新さを物語っている。

▼ カナダ開教区 青木龍也総長



上記の通り、浄土真宗では世界各地へ渡り信仰を広めることを「開教」と呼ぶ。世界の開教区のなかでも、特にアメリカ大陸は、多くの日本人が海を渡り新たな土地での暮らしを開拓してきた歴史があって、開教使らもまた、日系移民の一人として苦難を味わい、日系コミュニティの支えのなかで過ごしてきた。今、仏教があらためて、国や宗教を超えて必要とされる時代を迎えてこそ、「開教」という言葉をめぐっては、「開教か、追教か」というテーマが立ち上がる。

ここで簡単に、浄土真宗の開教区が、近代アメリカの土地でどのように開教にあたってきたかをシェアしたい。

北米開教区のこれまで
アメリカ本土において浄土真宗が正式に伝道活動を開始したのは1899年。サンフランシスコを拠点に組織された仏教会は、「Buddhist Mission of North America(北米仏教教団)」として各地にひろがり、日本からアメリカに渡った日本人やアメリカ国籍をもつ在米日系人が2万人を超えるなか、人々の居場所としても機能していた。

第二次大戦を迎える頃には、日本人や日系人は「敵性外国人」としての収容所生活を余儀なくされる。各地の開教使らも同様で、収容先に本部を移して活動を続けたという。

終戦を迎える頃、「Buddhist Mission of North America(北米仏教教団)」は「Buddhist Churches of America(米国仏教団)」と名称を変更。"Church"と名乗ることで、地元に根付く文化や信仰を尊重する姿勢を示し、人々の警戒心をやわらげた。

こうして、仏教をひらき育む場としての役割のみならず、アメリカ大陸に渡った多くの日本人や日系人が寄り合う場、安らぎを覚える場としてのお寺(Buddhist Churches)は各地で必要とされ、2023年現在、アメリカ本土においては45名の開教使が59ヶ所のお寺に身をおき活動されている。

*参考:浄土真宗本願寺派 国際センター
https://international.hongwanji.or.jp/jp/html/category2.html


こうして、アメリカ大陸における仏教は、日系移民の求めに応えるように、むしろ、彼らを "追う" ようにして居場所を設けてきたところがある。母国を離れた人々のアイデンティティを保つ器として、民族と信心を手がかりに集う場があって、それこそが、悲しみや苦しみのなかにある人々の孤独をやわらげ、「いま生きること」を支えてきたとも言えるだろう。

そうして開教区が担ってきた役割は、今、転換の時を迎えているのかもしれない。"追う" ようにあったこれまでの「開教」は、教えをひらくというよりも、むしろ「追教」だったのではないかとマービン先生はおっしゃった。

世代が変わっていくなかで、今、Buddhist Churchに集う人のなかには、日本語を話すことのないアメリカ国籍の人々も増えている。マインドフルネスや仏教思想に関心を持つ多様なバックグラウンドの人々ーーつまり、日系移民のルーツをもたない多くの人が、仏教を学び、体験する実践の場としてBuddhist Churchに関心を寄せている。こうして国籍や文化が混ざり合い、宗教としての仏教表現も変わりゆくなか、Buddhist Churchは民族的なアイデンティティをホールドする場ではなくなりつつある。これまでそれに支えられてきた人々にとっては、新たな動きや展開に不安を覚えるのは当然で、ときに排他的な空気が生じてしまうのも自然なことだろう。

異国で暮らすということは、母国にあるのとは比べようもないほどに、アイデンティティを問い、問われる機会が多い。身をおく社会に安心できる居場所があることは、生きるうえでのウェルビーイングに直結している。国籍や民族というルーツの繋がりを大切にする人々の居場所でありながら、一方で、ルーツに依ることなく、多様な人々に仏教をひらく場も、今、求められている。


何より念仏を大切にする浄土真宗ではあるけれど(時に坐禅を受け入れない場合もある)、マインドフルネスを入り口に仏教に出逢う人の多い土地においては、"閑かにすわる" 時間を設けることがあっていいだろう。各地、その土地の人々に相応しいひらき方を、開教使の方々は模索してこられた。今という時代と、それぞれの風土や文化風習のコンテクストに沿うように、仏教の再解釈を含めた翻訳があらためて必要とされている。

自分も、異なる背景を超えて仏教をひらくことに携わっていきたいと思ってきた。そうした想いを、バークレーとバンクーバーのお二人にポジティブに受けとめていただいて、今、アメリカにひとつ、カナダにひとつ、自分の居場所ができたような気持ちだ。各地で開教に携わる人々と、今後、協力し合えることがありそうだ。


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