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意志を継ぐ

PHP総研の大岩央さんとご縁をいただき、大岩さんがプログラム・オフィサーとして立ち上げた「日本のナラティブ・パワー」研究会から出された提言報告書「日本のナラティブ・パワー『2025』とその先への戦略」を読んだ。今、日本/Japanに関わる文脈から世界へ何かを発信していきたい人には、ぜひ読んでいただきたい内容だ。


「ナラティブ流通において「信頼」は重要な要素であり、日本発のナラティブが受け入れられやすい土壌はある。文化や生活哲学、各分野での知的蓄積等のナラティブ資源は日本社会に豊富に存在しており、今後期待できる要素は多い。」

私自身、日本のナラティブ・パワーに貢献することを願って活動してきた者として、まさにその通りだと思うし、自分のテーマに惹きつけていえば、それを集約するのが「グッド・アンセスター」ナラティブだ。

では、なぜこれまで日本の「グッド・アンセスター」ナラティブが、日本の中に閉じ、日本人にも意識的に省みられることなく打ち捨てられつつあるのかといえば、それが「過去に生きた先祖を敬う」ことに留まっていたからだと、私は思う。日本仏教は、仏教そのもの以上に「先祖教」を維持する装置として大事な機能を果たしてきたけれど、「先祖」という「血縁の家族」のニュアンスを強調してきたため、半ばイコール「家族教」として機能してしまった。それは浄土真宗をはじめとする世襲文化を維持するには都合が良かったのかもしれないが、人の生き方や家族のあり方が多様化した現代においては、もたらす弊害が大きいと同時に、ナラティブとしてのパワーがかなり弱まってしまっている。

それを乗り越える工夫として、私は訳書『グッド・アンセスター』において、「アンセスター」の語を、「祖先」と翻訳した。自分なりにその意図をはっきりと定義づけるならば、血筋のニュアンス色濃い「先祖」という語に対し、「祖先」は血縁によらない継承の系譜という、古くて新しい概念として新鮮さを出したつもりだ。

私は、この「祖先」という概念は、今、日本発で世界に向けて発信しうるナラティブ形成に不可欠な、数少ない貴重な概念だと考えている。血筋に関わらず、自分の中でつながりが感じられているのであれば、誰もが誰をも自分の祖先として持てる自由がある。また、つながりが感じられるのであれば、直接の子どもや孫がいてもいなくても、誰もがこれから生まれる未来の人々にとっての祖先になることができる。この感覚は、これからの人類にとって不可欠なものであると同時に、私の中ではほとんど約束されたと言ってもいいような確かさで、これからの人類が自ずとcultivateしていく種類のものだと思う。

幕末期のアイヌを描いた「ゴールデンカムイ」という漫画がある。私はあまり漫画を読まないけれど(嫌いなのではなくて時間が足りてない)、たまたま少し余裕のある時期に無料読み放題になっていたので、ふるさと北海道の話ということもあり、ある時期、一気読みした(まだ最後までは読めていないけれど)。ストーリーの中で思ったのは、いろんな背景を持った登場人物たちが出てくるのだけど、ことごとく、すでに死んだ誰かのために自分の命をかけて生きているということだ。物語全体の美しさを支えているのは、ほとんどすべての登場人物が誰かの「遺志」を背景に生きているところにあるのではないかと感じた。

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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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