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写文集『いんえいさん』草稿その2: 桿体は、魔法使いの杖だ

世界は自分とまったく無関係に存在する。自分はいてもいなくてもまったく世界には関係ない。それでいて世界は、自分の感覚器官と神経系を通してしか認識できない。自分は世界の中心ではないのに、世界は自分を中心にしか認識することができないのだ。

『獲物山 服部文祥のサバイバルガイド』 SAKURA MOOK 93 Fielder 別冊

前回は「暗い部分の多い画像にやたらと惹かれるのは、古代人の感受性をいまも反映しているからかも」というような話だった。そんな画像を編集する行為に、「いんえいさん」と名付けた。

「いんえいさん」を狩猟してきて、あらためて収集した画像を振り返る。すると、古代の祖先たちの感受性が、脳の深い部分で反応しているような気になってくる。

「脳の深い部分」という曖昧な表現を、もう少し踏み込んで考えてみる。

人間が外の世界を把握できるのは、外界の情報を感覚器官が受け取って、届けてくれるからだ。見たり聞いたり触ったりした情報は、電気信号に変換して、脳に届けられている。

その感覚器官の中でも、視覚は圧倒的だ。

その視覚は、大きく2つの視細胞で占められている。明るいところで感度が高い錐体と、暗いところで感度が高い桿体だ。

錐体(すいたい)と桿体(かんたい)の名前の由来は、それぞれの見た目から。英語にしたほうがわかりやすいかも知れない。錐体はCone cellsといって、とんがり頭。桿体はRod cellsといって、魔法使いの杖みたいな印象がある。

現代の人間の生活は、圧倒的に明るいところで過ごしていることが多い。だから視細胞も、明るいところではたらく錐体が多いと考えるのが自然だ。

でも実際は違う。

人間の片目には、明るい所での感度が高い錐体が約700万個ある。それに対して、暗い所で感度の高い桿体は、約1億3000万個もあるという。

錐体は、約700万個。
桿体は、約1億3000万個。

視細胞は圧倒的に、暗いところで働く桿体が多い。1億個以上も多い。単純な数の差だけが、細胞の役割の大きさを決めるわけじゃないだろう。それにしても、この桁違いの差には驚く。

この差はなにを意味しているのだろう。

暗い部分が多い画像に桿体が反応するのは、自然なことじゃないだろうかと思ってしまう。それこそ桿体という魔法使いの杖が振られて、見えないものを見ようとする力が働くとでもいうような。

古代では暗いところが重要視されていたのではないか。

だから暗い部分の多い写真を見ると、「いつもより時間がとまったような気」にさせる、魔法のようなものが発生しているのではないか。


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