ツィゴイネルワイゼン 【ジャンププラス原作大賞応募作品】(第一話)

「 ドイツから来た少女 」

かつて、天才的な演奏で観客を虜にしたヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニ。人間離れした超絶技巧から繰り出される音楽で、失神する者が相次いだという。彼を知る者は、後にこう言った。「悪魔に魂を売った男」と…。

パガニーニがこの世を去って、およそ180年。現代の東京。

とあるコンサートホールで今宵、クラシックの演奏会が開かれている。曲は今まさに、フィナーレを迎えていた。
髪を振り乱し、情熱的にタクトを振る指揮者。その指揮に必死で追いつき、巧みな演奏を披露するオーケストラ。そしてじっと聴き入る観客。やがて、力強い音楽が終わりを告げた。次の瞬間、会場は万雷の拍手に包まれる。

額から汗を流す指揮者が台から降り、お辞儀をした。その手にマイクが渡される。
「皆様、本日はお越しいただき、誠にありがとうございます。本日の演奏会は大成功と言えるかと思います。ですがーー」
指揮者は言葉を区切る。
「もうひとつ、我々からプレゼントがございます」

そして、おもむろに台の脇からヘッドホンを出してつけた。それを待っていたかのように、オーケストラから三人の楽団員が立ち上がった。
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ。
他の楽団員は不思議そうな顔をしている。指揮者はタクトを振り上げると、一転して不気味な笑顔となり、言い放つ。
「それでは皆様、どうぞ殺し合ってください」 

次の瞬間、立ち上がった三人の楽団員が、かまびすしい曲を演奏しはじめた。観客は怪訝そうな表情を浮かべている。
突如、客席にいた一人の女性が、奇声を上げながら立ち上がった。すると会場のあちこちで苦しみ、あるいは奇声を上げる観客の姿が。演奏をしている以外の楽団員たちも、苦悶の表情を浮かべる。
やがてひとりの女性楽団員が奇声を上げた。その眼は爬虫類のようにあさっての方向を向き、舌もダランと垂れ下がっている。そして隣にいた男性を押し倒すと、ヴァイオリンの絃で首をおさえはじめた。倒された男性もまた、発狂したように奇声を上げる。

異変を感じた観客たちが出口に殺到するが、なぜか扉が開かない。その間にも、次々と発狂していく。彼らは互いに殴り合い、首を絞め合う。指揮者は台の下から大量のナイフを取り出し、会場にばらまきはじめた。それを使って、お互いを刺していく人々。
終始笑顔だった指揮者も、やがて、自分が配ったナイフによって刺された。三人の楽団員はなおも演奏をやめない。会場は奇声と悲鳴が入り交じり、死体ばかりが増えていった…。

一夜明けたテレビのニュース。キャスターがコンサートホールの前から中継している。
「昨夜、こちらのコンサート会場で起きた大量殺人事件。この半年間、世界各地で起きている『音による殺人=音殺(おんさつ)』ではないかと言われています。その手口は、ある特殊な方法により楽器を演奏すると、聴いた者の精神を錯乱させ、無差別に人を襲うようにしてしまうというもの。警察が突入したとき、会場で生存していた十数名も事件中の記憶がまったくなく、何が起こったのかわからないとのことです」

そのテレビを、多くの刑事たちが眺めている。
「音殺ねえ…」
「やがて日本でも起きると言われてたが、まさかこんなに早いとは…」 
一人の刑事がタバコの灰を捨てた、その先で捜査資料を差し出す男性。灰が資料の上に落ちる。
「ど、どうぞ…」
「バカ野郎!! 資料が汚れちまっただろ!」
「すみません!」
謝った男性は、まだ20代前半。名前は、渚日和(なぎさ ひより)。

この若さで刑事に抜擢されるのだから優秀ではあろうが、やらされることと言ったら、コピー取りや資料配り…ようは雑用だ。
「俺、いつになったら捜査させてもらえるんだろう…」
そこに、年配の刑事が声をかける。
「ひよっこ、仕事だ!」
「ハ、ハイッ! 喜んで!!」
つい居酒屋のようなかけ声が出てしまう。今度は何だろう? 資料のコピーか? お茶くみか? 
ところが、なんと捜査に加わらさせてもらえるという。
「ほ、本当ですか!?」
降ってわいた話に、日和は喜びをあらわにする。
「これから、よろしくお願いします!!」
「なに勘違いしてるんだ? コンビを組むのは俺じゃない」
「え???」

「こいつが、今日からお前の相棒だ」 
そう言って紹介されたのは、小柄な女性。緋色の瞳に肩を超えて伸びるブロンドの髪の毛。顔は幼さを感じさせるものの、無表情で、まるで感情が読み取れない。
だが日和はそのあまりの美しさに、しばし見とれてしまった。
(ハッ! いけない。挨拶しないと!)
「あの~、よろしくお願いします」
しかし彼女は、日和の脇を通り過ぎていった。
(か、完全スルー…)
戸惑う日和。そこに、別の女性が話しかけてきた。黒髪ショートにメガネ、スーツ姿の美人だ。
名前は、堀切川響(ほっきりがわ ひびき)。
「私から、説明します」

金髪の彼女の名は「晴香(はるか)・メンデルスゾーン」。
ドイツで法学を学ぶ学生で、今回の事件の捜査のため、警視庁に招へいされて来たという。
「警視庁が、学生を招へい!?」
響の話によると、晴香の一族はドイツでは名門で、ドイツ警察とも関係が深く、彼女も日本の警察制度に興味があって勉強したいと言っているようだ。
(ハハア、読めてきたぞ…)
きっとお嬢様の気まぐれで、事件の捜査がしたいと言い出した。ドイツ警察に顔がきく一族だから、警視庁も無下にできない。だけど、正直やっかい者だ。そこで、自分がお守役を頼まれた。そういうことだろう。
「せっかく捜査できると思ったのに…」 
落ち込む日和。ひとまず話しかけてみるが、やはり何も答えない。
(あ、ひょっとして、日本語がわからないのか?)
「え~と、マイ・ネーム・イズ、ヒヨリ・ナギサ…」
すると付き添いの女性・響が晴香の横に立ち、両手を動かしはじめた。晴香はその仕草をじっと見つめる。日和は警察の研修の際、似たような姿を見たことがある。これは、手話通訳だ。
響が、口を開く。
「言い忘れました。晴香さんは耳が聞こえないんです」

日和が運転する車。後部座席には晴香と響が座っている。会話は、日和が話した内容を響が手話で晴香に伝え、晴香は自分の意思をまた手話で伝える。それを響が声に出す。なので、晴香は一言も発しないで進める。

「私は、音殺による事件を捜査するためにやって来ました」

そう言った晴香は、日和に今回の「音殺事件」の捜査状況について尋ねた。
「犠牲者の人数は?」
「知りません…」
「実行犯の目星は?」
「知りません…」
「日本で過去に似たような事件が起きたことは?」
「わかりません…」
「…本当に刑事なんですか?」
とうとう、晴香から呆れられてしまった。
「すみません…」
何しろ捜査に加わらせてもらえないのだから、仕方ない。またもや落ち込む日和。
「それにしても…」
(こんな大学生の女の子が捜査するなんて、無茶じゃ…)
すると晴香が「今、こんな女の子が捜査するなんて…って思いましたね」と手話で伝えた。
「えっ!?」(なんでわかった!?)
「わかりやす過ぎです…」
ハハ、と苦笑いをする日和。
「…だけど、俺」
日和が言う。
「正直、半信半疑です。音で人を操って殺すなんて…」

しかし晴香は「あなたが信じようと信じまいと、これは現実なんです」と告げる。晴香によれば、今回の事件の背景には、音殺をおこなうテロ組織の『コンツェルト』がいるという。

『コンツェルト』はドイツを中心に活動。「音殺」という技術を開発して、テロ活動をおこなっている。特に音楽関係者が加わっており、今回の事件の実行犯も、彼らの思想に共鳴していることは間違いないという。
「なんのために、そんなことを?」
「犯行声明では、貧富の差の解消などを求めているようです。ですがドイツ警察が独自に入手した情報によれば、彼らの最終目的は『究極殺人兵器』を演奏すること。その名は……『ツィゴイネルワイゼン』。
その調べを聞いたものは一瞬で精神が崩壊し、自らの命が尽きるまで目の前の人間を殺し続ける、狂気の殺人マシーンとなる。もし東京中に流れれば、東京そのものが丸ごと殺人都市になります」
日和は、思わず息をのんだ。
「俺、やっぱり捜査おりよっかな…」と、ひよる。

晴香と響の、日本での滞在先に到着した。日和でも聞いたことがある超一流ホテルだ。
「さすが、お嬢様…」
日和はチェックインのためフロントへ、響はお手洗いへ行く。その間、晴香はロビーのソファーで待っていることになった。
すると、晴香の前をヴァイオリンケースを下げた男性が通り過ぎる。妙に気になり、晴香は男性を目で追った。男性はエレベーターのボタンを押した後、ゆっくり横を向く。晴香と目が合った。
そのとき、眼鏡の奥から覗くその視線のあまりの冷たさに、晴香は戦慄を覚えた。

やがて響が帰ってくる。すると、晴香が何者かに腕をつかまれ、もめているのを発見する。
「晴香さん!!」
あわてて駆け寄る。しかしそのとき、響の横を風のように駆け抜けていく姿があった。日和だ。
「何してんだ、お前えええええ!!」
日和は鬼の形相で男性の腕をつかむと、ひねり上げた。さっきまでと違う意外な姿に、晴香は思わず目を見張り、頬を染める。

声をかけてきたのは、さっき晴香と目が合った眼鏡の男性ではない。どうやらただのナンパだったようだ。落ち着きを取り戻した晴香に、日和が、響を通して声をかけた。
「もう大丈夫ですか?」
うなずく晴香。
「よかった。俺、妹がいて、よくいじめっ子からかばってたから、ああいう奴は許せないんですよね!」
その言葉を聞いて、晴香は少し見直したように、日和を見つめるのだった。

「あ、そうだ。思い出したんですけど…」 
日和はスマホを取り出した。耳のマークのアプリを、晴香に指し示す。音声認識アプリ『zukin』。しゃべった言葉を文字にしてくれる。外国語にも対応していて、外国人の犯罪者も多いので、日和は先輩から薦められて使っている。
「さっきみたいなことがあったら、困るんじゃないですか?」 
笑顔を見せる日和。(これで彼女も、少しは心を開いてくれるか…?)
晴香が手話で、響に意思を伝えた。
「そういったものは使いません。面倒ですし、手話の方が速いので!」
晴香はキッパリと、手のひらを前に出す。
(なんで俺、ハマらないんだろう…)
またもや落ち込む日和だった。

三人で部屋に移動することになり、ベルボーイの案内でエレベーターまで向かう。その途中、晴香がロビーのとあるポスターに目を止めた。
「これは…」
「クラシックのコンサートですね」
演奏者四人によっておこなわれる、ブランチ・コンサート。今日これから、最上階のホールで行われるらしい。
次の瞬間だ。晴香が、急に血相を変えた。そして急いでエレベーターに乗り込むと、最上階のボタンを押した。あわてて後を追う、日和と響。
「どうしたんですか、晴香さん!?」

エレベーターが上昇する間、晴香が説明する。
さっき見かけたヴァイオリンケースを下げた男性は、コンサートの出演者。ポスターに顔が出ていた。しかし、妙なことがあると言う。

「ポスターに書かれた開始時間から考えれば、間もなく音合わせがあるはずです。オーケストラの音合わせは演奏者全員が揃ってないと意味がありません。だから遅刻は絶対厳禁。一時間以上前に来るのが普通です。なのにギリギリの時間で、あんなにのんびりしている訳がありません! つまり音合わせなど、どうでもいいということ」
「それって、つまり…」

「テロを起こすつもりかも知れません。すでに会場の下見に行ってるのかも!」

日和と響にも、一気に緊張が走る。

最上階に着いてホールへと向かう。しかし、そこには誰の姿もなく、椅子が並べてあるだけだった。
「いったい、どこに…?」
すると晴香がなぜか、かがんで床に両手をつくと、目を閉じた。日和がいぶかしむ。
「晴香さん…?」
響が「しっ!」と、唇の前に指を立てた。
突然、晴香が何かを感じ取ったかのように目をパッチリと見開く。
次の瞬間、駆けだした。日和があわてて後を追う。一緒についてきた響が説明する。

「晴香さんは、振動の記憶を感じ取ることができるんです」
「振動の記憶???」
「人が動くと必ず振動が起こります。それを後から感じ取れるんです。そこから、その場所に何人ぐらいいたか、どこへ向かったかなどの情報がわかります。彼女の一族にはこの能力が代々遺伝していて、容疑者の足取りを追うことなどで、警察の捜査に協力してきたんです」
「捜査に協力!?」
「言ったじゃないですか? 一族は、ドイツ警察と関係が深いって」 
笑みを浮かべる響。
晴香は、廊下の角を曲がった。二人も続いて曲がる。だが、晴香は曲がり角のところに立ちすくんでいた。日和はもう少しで、ぶつかるところだった。

男性は、廊下の奥にいた。焦りや恐怖のためか、顔がひきつっている。
「く、来るな!!」
「落ち着いて!」
日和が言う。しかし男性は、開いたケースからヴァイオリンを取り出した。弦をかまえる。

「まずいです! 耳をふさいで!」 響が叫んだ。

「え??」 訳がわからない日和。
男性が、ヴァイオリンを奏でだした。
とたんに、日和と響が苦しみだす。
(な、なんだ!? 脳がかき回されてるような、不快な感覚…)

すると日和の隣にいた響が奇声を上げ、錯乱状態に陥った。その目は爬虫類のようにあさっての方を向き、舌がダランと垂れ下がっている。口元からはよだれも垂れていた。
「ひっ!」
さっきまでの彼女とのあまりのギャップに、日和は思わず声を上げる。

そのとき、晴香が男性に向かって、歩みを進めた。男性は演奏にさらに力を込める。
一方錯乱した響は、日和を押し倒してその首を絞めだした。
(うう…)

その間も晴香は、真っすぐ前を見つめたまま、男性に近づいていく。男性は演奏を止めない。
(な、なぜだ……。なぜ、こいつは平気なんだ!?)

やがて、首を絞められている日和も錯乱状態に…。
「ウケケケケェェェェェ!!」

そのとき、晴香が演奏する男性の腕を止めた。とたんに、響と日和が正気を取り戻す。
「ハッ!」
「俺、いったい…?」

廊下の奥では、晴香に腕をつかまれた男性が、恐怖と困惑の混じった表情を浮かべている。
「ど、どうして…?」
晴香は相手の目を真っすぐ見つめ、キッパリと、自分自身の声で言い放った。

「私には通じない。聞こえないから!!」

それは、日和が初めて聞く、晴香の声でもあった。

窮鼠猫を嚙む。追い詰められた男性は、ヴァイオリンを投げ捨てた。
「チ、チクショー!!」
抑えられていない方の手で、晴香の顔面めがけて拳を振り上げる。晴香は腕を抑えており、とっさに身を守れない。
(まずい、このままじゃ…!!)
晴香は目を閉じた。
(やられる…!!)

しかし、その拳が晴香に当たることはなかった。
寸前で受け止める手が…。

「そこまでだ…」

表情こそボロボロだったものの、姫を守る騎士・日和の姿がそこにあった。思わずまた頬を赤らめ、見とれる晴香。
日和は即座に男性の腕に自分の腕をかけると、ひねり上げた。床に倒される男性。その腕に、手錠をかけるのだった。

「ふう…怪我ないですか?」
彼女の耳が聞こえないことも忘れ、尋ねる日和。無論晴香には聞き取れないのだが、その表情だけで何を言いたいかはわかったようだ。
晴香は、笑顔を返す。しかし日和が、その笑顔を目にすることはなかった。そのときにはすでに、彼は手錠をかけた犯人の方に夢中になっていたのだから。

一時間後……。

警察車両が何台もホテルの前に停まっている。あれから、ホテル中が大騒ぎになった。一階のロビー。向こうの方で、刑事と響が話をしている。

晴香はタオルケットを肩にかけ、ソファーに腰かけている。そこに日和が「どちらかどうぞ」と言って、飲み物を差し出した。晴香はココアを取り、軽く会釈をした。日和が、晴香の隣に腰かける。
「すみません、事情聴取ばっかりで。お疲れのところなのに…。あ、さっきはありがとうございました」 
日和はそこまで言って、晴香の耳が聞こえないことを思い出した。「あ、すみません…」と赤面する。
それから苦笑して、言った。

「これじゃ完全に俺の独り言ですよね…。独り言ついでに言いますと、俺正直疑ってました。音で人を操るってことも、晴香さんが警視庁に呼ばれて来たってことも。だけど、今日のことでわかりました。その若さでそんな恐ろしいのと戦ってる晴香さんのこと、ものすごく尊敬します」

日和は少し言葉を切ると、持っていた缶をぎゅっと握り、唇をかみしめた。

「俺、妹がいるって言ったじゃないですか? 実は、事故で亡くしてるんですよね。俺が警察官になったその日に、トラックにはねられて…」
周囲の喧騒の中、日和は静かに話を続ける。

「俺、すっごい悔やんで。せっかく警察官になれたのに、妹一人守ってやれないのかって…だから、もう俺の前から誰かいなくなるのは嫌なんです」
そして意を決したように顔を上げ、言った。

「俺も一緒に戦おうと思います。だから…」
日和は晴香の方を向いて、その目を力強く見つめる。

「俺に、あなたを守らせてください!!」

きょとんとする晴香。日和はと言えば、これまでにないほど顔を赤らめて、ちぢこまった。
「ハズいセリフ言っちまった~。まあ聞こえてないんだし、今のは俺自身の宣言みたいなもんだし…」

すると、晴香がうつむく。その手の中にはスマホが握られていて、耳のマークのアプリが…。音声認識アプリ『zukin』が作動していた。いつの間にか晴香はインストールしていたらしい。たった今、日和の話した内容が全て、文字になって出ていた。

日和はようやく気がつき、「あ、そ、それ…」と焦りだす。晴香が日和の方を向いて、頬をゆるめる。
それは、晴香が初めて日和にちゃんと見せる、笑顔だった。

「ダンケ シェーン(ありがとう)」

晴香がそう口にすると、日和は顔を真っ赤にした。

あわてる日和。クスクス笑う晴香。
ほほえましい二人の様子を、眺める一人の人物がいた。と言っても、直接ではない。ロビーにある監視カメラの映像をジャックして、自宅のパソコンから見ているようだ。

その人物が、不敵に笑った……。

                        (第一話 おわり)




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