見出し画像

アビスの手術(オペ)【ジャンププラス原作大賞応募作品】

雨が激しく木や岩を叩きつける。昼でさえ薄暗い森の中、ましてとっくに日は落ちている。数歩先も見通せない暗闇を、ランプを下げて走ってくる者がいた。荒く吐き出された息が白くにごり、ぼんやりした光と混じる。
「ごめんください! ごめんください!」
おとぎ話の魔女の家かと見まがう一軒家の戸を、勢いよく叩く。訪問者は雨除けのコートを着て、フードを目深にかぶっていた。
扉が開く。目線を下げると、幼児のように小柄で赤い頭巾をかぶった少女がいた。だが人形のように無表情だ。名を、ルミナという。
「何か?」
訪問者はフードをとった。まだ幼さの残る金髪の少年。名を、ハシといった。
「アビス先生はいますか?」
「…先生に何か用ですか?」 
「俺の親友を助けてください! 死にそうなんです!」 
「先生は、飛び込みの患者はご覧になりません。他の方に診てもらってください」
「診てもらいました! 町医者から大学の教授まで。だけど、誰も原因不明だって…。アビス先生は、そういう病気をいくつも治してきたと聞いて…」
「…お引き取りください」
ルミナは扉を閉めようとした。ハシはその場に土下座する。
「お願いします! もうアビス先生しか頼る人がいないんです!」
その靴は険しい森の中で泥にまみれ、爪先が開きかけていた。
その時だ。

グニッ!

ハシの後頭部は、ニーハイの厚底ブーツに思いっきり踏みつけられた。
「!!?」
あわてて顔を上げる。踏みつけた張本人はすでに部屋の中に入っていて、
コートを脱ぐところだった。ハシの前にいたのは修道女の服に身を包み、肩までの黒髪を持つ若い女性。見とれる程の美しさだが、どこか冷たい印象だ。
「あ、あの…」
すると、ルミナが口を開いた。
「先生に診てもらいたい患者がいるそうで」
「え! じゃあ、この人が!?」

「はい。アビス・ド・クロッケンウーア先生です」

ハシは、再び地面に顔をこすりつけた。
「お願いします! 親友を助けたいんです!」
ルミナがため息をつく。
「ですから…」
「待て!」
アビスは、ハシの前にかがみこんだ。そのあごを持ち正面を向かせる。
「親友といったな? なら、君と同級生か?」
「は、はい…」
「年齢は?」
「14です」
「髪の色は?」
「淡い栗色です」
それを聞いたアビスは、あからさまな舌舐めずりをした。「それを早くいってよ♡」と、顔を赤らめる。

一時間ばかり後、ハシ、アビス、ルミナの一行が、一軒の民家の門をくぐった。ルミナは体に似合わない大きなリュックをかついでいる。
「おばさん! アビス先生がきてくれたよ!」
「ああ! 先生、こちらです!」
患者の母という太めの女性の案内で、部屋に通された。ベッドの上で淡い栗色の髪の少年が、苦悶の表情を浮かべている。
「もう一度聞くが、症状は腹痛、下痢、嘔吐。そうだな?」
「はい。一週間前から激しく苦しんで、何を食べても戻してしまい…」
「よし。すぐに服を脱がせろ」
アビスの指示でルミナは、少年をすばやく下着姿にする。

するとアビスは、シスターの服を剥ぎ取った。下に身につけていたのは、胸元もあらわなへそ出しのボンテージに、漆黒のミニスカート。
ハシは照れて目をそらしたが、次に視線を向けた時、信じがたい光景を目にした。
アビスは少年の腹部に顔を近づけ、いきなり舌を出すと股関節の辺りに密着させた。

「ええええ!!?」

そのまま舌を滑らせ、へその横までひと舐めする。舌先から垂れた唾液が、生まれたての蜜のような粘度を保ったまま、柔肌の上に広がった。
母親はパニック状態だ。
「いったい、何をしているの!?」
「黙れ。うるさくすると出てってもらうぞ」
しかし母親の怒りは収まらない。アビスの腕を強くつかむ。
「息子から離れなさい!」
アビスはルミナに命じ、叫び続ける母親を強引に外へ出した。
その直後だった。少年の白い腹の上に、濁った紫色のあざが浮かんできた。やがて、あざに目と口のような空洞ができ、奇声さえ上げはじめた。

「キエエエエ!」

あまりのおぞましさに、ハシはやや吐き気を覚えた。
「いったいこれは…」
アビスは冷静にいい放つ。
「これが病の正体。世にいう悪魔だ」
ハシも聞き覚えがあった。原因不明の死の病の幾例かは、悪魔の仕業だと。

「私の唾液は聖水と同じ成分を含む。舐めれば悪いところが全部丸見え♡」

するとルミナが、ひと抱えもある瓶の中の液体を少年に無理やり飲ませる。
「はい、麻酔」
「ぐげえっ!」
(えええ、本当に大丈夫なのか…?)
そして手の中に収まる程の十字架を二本出し、アビスに渡す。彼女がそれを指先でクルクルッと回転させると、十字の先端から鋭いメスが出てきた。それを悪魔の顔の両端から当てる。
「父と子と聖霊の御名において…」

アビスの瞳孔が開く。メスが赤く発光し煙が上がった。

「 患・部・聖・開 !! 」

「キエエエエエッ!」

断末魔のような叫びとともに、あざが少年の肌から剝がされていった。完全に分離されると、悪魔の声はかすかにしか聞こえなくなった。アビスはそれを、ルミナが持参した壺の中に放り込む。
「終わったぞ」

帰りしな、母親は何度もアビスにお礼をいっていた。
「礼などいらん、今日はな。50万でいいぞ。明日取りにくるからな」
「……」

すでに雨も上がっていた。アビスが、ルミナと共に街を去ろうとした時だ。
「待ってください!」
呼び止めたのは、ハシだった。今夜三度目で頭を下げた。

「折り入ってお願いがあります!!」

ハシは、アビスのあとをついて歩いていた。
「お願いします! 俺の母さんを蘇らせてほしいんです!」
「断る」
「お願いします! 埋葬されてもう1か月です。早くしないと腐ってしまいます!」
「死者の蘇生はできない」
「アビス先生ならできます!」
しかしアビスは聞く耳を持たず、家の中に入ってしまった。

翌朝。
ルミナが扉を開けると、ハシはまだ家の前に座っていた。頬を赤くし、鼻水をたらしている。マントが少し湿っているのは、たたんで用を足したからだろう。

ルミナはアビスに報告すると、しばらくして中に通された。暖かいスープを提供される。

「だ・か・ら、死者を生き返らせるのは不可能だ!」
「いえ、そういう術があると聞いたことがあります」
「デタラメだ」
「お願いします! 掃除・洗濯・炊事、何でもやりますので!」
「間に合ってる」
気がつくとルミナが、ハシをすごい目つきでにらんでいる。
「じゃ、じゃあ何をすればいいですか? お金はないですけど、俺にできることなら…」
「あんたしつこいわよ!」
ルミナがいきなりハシにコップの水をぶっかけた。
金髪から水滴がしたたり、肌着が透けて見える。アビスはハッとして頬を赤く染め、目を輝かせた。
「しょうがないな〜。ウチのお風呂に入るんなら、考えてやってもいいが…」
「え? え!?」
「せ、先生!?」

それからハシは、アビスの家で住み込みの家政婦のようになった。大体の仕事はルミナがやっていたが、要領のよいハシはすぐに家事の流れを覚え、上手くアシストをするようになった。生来の性格もあってか、程なくしてアビスたちの生活に打ち解けた。出会った頃より生き生きしているようにも見えた。

だが、ハシにとって困ったこともあった。
アビスが一糸まとわぬ姿で風呂場から出てきて、ハシの目の前を通り過ぎていくのだ。
「タオル、タオル」
「わあああ!」
ハシはあわてて向こうを向いた。
「タ、タオルなら俺が持っていきますから!」
「風呂場まで持ってきてくれるのか?」
「……」

また、酔っぱらったアビスがハシの寝床に入ろうとしたこともあった。ルミナが止め、事なきを得たが。
すると、寝入るハシの目に光るものがあった。寝言で母を呼んでいる。アビスは、物悲しげな表情を隠せなかった。


ある日のこと。ハシは表で、洗濯物のボンテージやミニスカートを干していた。同じものをいくつも持っているらしい。
一方、ルミナは頬を膨らませご機嫌斜めだ。
「ハシが手伝ってくれるのはありがたいけど、少し働き過ぎです。おかげで私の出る幕が、少なくなってしまいました」
アビスは微笑ましく眺めながら、普段は鍵のかかった棚から小さな壺を取り出した。中にピンセットを入れ、何かを摘まみ上げる。女体の姿をした根菜の干物だ。ルミナが気づいて、目を丸くする。

「そ、それは、マンドラゴラ!」

「ああ、そうだ」
「どうしてそれを!? 死者の蘇生は、禁忌(タブー)ですよ!」

「…心に刺さった串と書いて、患い。私は患いを治すのが仕事だ」
アビスは何かの決意を宿したような瞳を見せ、笑って見せた。
「患者を救うのに、禁忌(タブー)なんてないだろ?」


数日後。
掘り起こした棺の周囲に必要なものを全て配置し、アビスは聖書の最後の章を開いた。
ヨハネの黙示録。その一節を唱える。

棺が霧に包まれたかと思うと蓋が開き、中の女性が体を起こす。ゆっくりと目を開いた。ハシの表情が変わる。

「母さん!!」

母親もすぐにハシを認め、大粒の涙を流した。
「ハシ…」
ハシは母の膝にすがりつき、声を上げ泣いた。それは大人びたしっかり者の少年が、初めて見せた子供の姿だった。親子の再会に、アビスも瞳を潤ませる。それを悟られたくないのか、きびすを返し立ち去った。

――しかし、他にも理由があった。

アビスは、古びて廃墟同然になった教会に足を踏み入れた。
「…さあ、始めようか」
祭壇に姿を現したのは、巨大な茎が幾重にも巻きつき組成されたつる薔薇の塔。その中心部には家程もある薔薇の花が咲き、山羊のような角を持つおぞましい頭骨が出現した。

「あれが、ベルゼブル…死者蘇生の代償…」

アビスは圧倒的な瘴気に気圧されまいと、必死に自我を保っていた。
「…む、無茶です!!」
ルミナが、震えながら声を上げた。
「ベルゼブルは最強の悪魔! 強すぎるが故に人間など相手にしない。逆に人間によって呼び出された時、その怒りは測り知れない!!」
不気味な顔が沈黙を破り、地獄の底から響くような声を出す。
「術を使ったのは、貴様だな…?」
「ああ」
「せせせ先生、逃げてください! 蟻がドラゴンと闘うようなものです!」
しかしアビスは一歩も引かない。十字架型のメスを両手に持って構えた。

「病と一緒だ。どこにも逃げ場なんてない、医者は闘うだけだ」

ベルゼブルの体から槍状のつるが伸び、アビス目がけ飛んできた。サッと空中に避ける。ペッと唾を吐いた。当たった場所が煙を上げ溶けていく。聖水の成分を含む唾液は、悪魔にとって劇薬と同じだ。
さらに怒り心頭に発したベルゼブルは、禍々しい顔を伸ばしてきた。アビスはメスを握る手に力を込め、強大な悪魔に向かっていく。

――数分後。

アビスはベルゼブルのつるで壁に吊るされていた。右足をもぎ取られ、片目を潰され、腹から肋骨が覗いている。
「…やっぱ、小説みたいにはいかねえな」
凄惨な光景に、ルミナはさっきから何度も気を失いかけていた。
「…やはり理解できません! なぜ他人のためにそこまで!?」
悔しさから、拳を強く握り唇を噛みしめる。
「そう、私は愚か者だ…」
アビスは突然笑みを浮かべた。
(きっと、兄も……)
まるで走馬灯のように、子供の頃を思い出していた。

アビスの兄は、いつも聖書を読んでいるもの静かな少年だった。兄が14歳の時、故郷で死の病が流行り、兄の友人もかかった。親すらも怖がって近づこうとしない中、兄はすすんで看病をした。そして、自らも病に倒れた。

(私も、お兄ちゃんに近づけたかな…)

つるがアビスの心臓に狙いを定め、弾丸の速さで一直線に向かってきた。


……しかし、当たることはなかった。ベルゼブルは跡形もなく消えていた。床に落とされたアビスは、あっけにとられる。

光のさす方を見ると、ハシがこれまでで最も意志の強い目をして、扉の前に立っていた。その手には、マンドラゴラの解説書が握られている。
「別れてきました…」
教会の外では棺が閉じられ、蓋の上にたおやかな花が供えられていた。

ルミナは力が抜けへたりこんだ。アビスは目を閉じ、穏やかに笑う。
「…愚か者が、もう一人いた」


――しばらく経ち、

母の墓に手を合わせるハシの姿があった。そこに、義足と眼帯をつけたアビスがくる。横にはルミナもいた。
「さあ、診察にいくぞ」
「ハイッ!」
力強く答えるハシ。重そうなリュックをかつぐルミナに、「持とうか?」と声をかける。
「これは私の仕事!」とむくれるルミナ。

家族のような三人は、街で待つ患者のもとへ歩を進めていった。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?