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ツィゴイネルワイゼン 【ジャンププラス原作大賞応募作品】(第三話)

「 マイ・ベートーヴェン(後編) 」

間もなく開演の時間だ。会場には、続々と観客が集まってきている。日和は、新海教授の姿がないか周囲を警戒していた。

すると、響が爪を噛んで不安そうにしているのを発見する。
「堀切川さん、大丈夫ですか?」
「ああ、すみません。平気です」
「気分が悪いようなら、ここは俺にまかせて…」
「いえ、本当に大丈夫です。ただ…」
響はうつむいた。
「この前、ホテルの廊下でテロリストに遭遇した時、私は何もできませんでした。それどころか、渚さんに襲いかかってしまいました」
「それは、仕方ないですよ。操られてたんだから」
「私はメンデルスゾーン家の当主から、晴香さんの身の安全を守るよう仰せつかっているんです。なのに、このままじゃ…」
響は目にうっすら涙を浮かべ、悔しそうに唇を噛んだ。
すると日和が、響の頭にヘッドホンをかぶせた。驚いて日和を見る響。
「あの会場の生存者の話によると、音殺が起こる前、指揮者がヘッドホンをつけたそうなんです。だから、これなら音を防げるかも知れません」
日和は自分の分のヘッドホンを見せ、笑顔になる。
「あんまり一人で抱え込まないで、不安があれば言ってくださいね」
意外そうな顔で日和の顔を見る響。しかし、すぐに不愛想に変わる。
「何を言ってるのか、全然聞こえません」
「あ…(そりゃそうか)」
「だけど…ありがとうございます」
恥ずかしそうに、そうつぶやいた。
「それから…私のことは『響』と呼んでいただけませんか?」
響は日和の顔を見ず、若干顔を赤らめながら言った。
「え?」
「好きじゃないんです、自分の名字が」
「あ、はい…」

二人の下に、晴香が近づいてきた。
「晴香さん、教授は?」
日和が尋ねる。響の通訳を見て、晴香は首を横に振った。
「ですが、気になることがあるんです」
晴香は、スマホを日和に渡した。今日のコンサートのプログラムが表示されている。
「今日のプログラムは、オール・ベートーヴェン。なのに、ヴァイオリンソナタがありません」
「ヴァイオリンソナタって…」
日和たちが京子に初めて会ったとき、弾いていた曲だ。
「予定にないのになぜ、この曲を弾いていたのか…」

そのとき、フロア全体に低音のブザーが鳴り響いた。開演の合図だ。
会場の喧騒が静まり、拍手の音が聞こえてくる。
「始まりましたね」
日和と響の顔に、緊張が走る。しかしブザーの音に気づかない晴香は、下を向いたまま考え込んでいた。
その様子を、柱の陰から見つめる新海教授の姿があった…。

一方、ステージには出演者たちが続々と姿を現した。ところが京子はステージ袖の椅子に腰かけたまま、ロケットペンダントの中に入った父親の写真をじっと眺めている。
友人が「京子、行くよ」と声をかけた。
「あ、ごめん」
京子はロケットの蓋を閉じると、あわててヴァイオリンを手にした。

ステージ上に出演者が全員揃うと、指揮を務める学生が台の上に立った。これから始まる曲に聴き入ろうと、会場が静寂に包まれる。

ところが、ステージ袖にいる人物だけは違っていた。息を潜めていた新海教授がダッと飛び出した。観客の視線が集中する。教授は真っすぐ、指揮者の真横に座る京子に向かっていった。彼女が気がつく。
「教授!」
驚きと困惑の表情を浮かべる京子に、教授は飛びかかろうとする。その手が彼女をとらえようとした瞬間、もう一人の人物が教授の背後から、腰のあたりに飛びかかった。日和だ。

「うおおおおお!!」

そのまま、日和は教授を床に押し倒す。教授が鈍いうめき声を上げた。すかさず、両腕を後ろでひねり上げる。
「おとなしくしろ!!」
教授が目を開いて、京子を見つめる。
「天音くん…」
京子は顔をゆがめ、椅子から立ち上がって後ずさった。
「京子さん、怪我は!?」

その時だった。
晴香が、観客席の方から自分の声で叫んだ。

「京子さんを止めて!!」

「え…?」
日和は、何のことだかわからない。
その間に京子は正面を向くと、ヴァイオリンを構えた。たった一人で演奏を始める。そのメロディーは、クラシックにうとい日和でも聴き覚えがある。

ベートーヴェン『交響曲第九番 第四楽章 歓喜の歌』

とたんに、観客たちが頭を抱えて苦しみ出す。ステージ上の出演者たち、そして新海教授と日和も同じだった。

京子は目を閉じた。演奏はさらに激しさを増す。

(パパ、聞こえる? もうすぐパパを馬鹿にした連中に、目にもの見せてやるからね…!!)

日和は、あらかじめ首にかけておいたヘッドホンをつけた。頭の中の不快な感覚が消えていく。

「ウキャアアアアア!」

体の下で教授が奇声を上げる。その目は既におかしくなっていた。
会場でも常軌を逸した表情の人々が、お互いに取っ組み合ったり、首を絞めたりしている。

(京子さんを止めないと!!)

日和が立ち上がって、京子の方に向かったときだ。後ろから学生に楽器で殴られた。
「うっ…!」
クラっとして、よろける日和。
その時ステージの下から、晴香が京子の両脚を抱え込んでつかんだ。とっさのことにバランスを崩す京子。背後に倒れこんでいく。
その体をガシッと受け止めたのは、日和の腕だった。
「ふう…」

次の瞬間、会場にいた人々は我に返り、唖然とした。

特殊な演奏で人間を操るテロリストにとって、天敵とも言える存在。それは、耳の聞こえない晴香だ。

幸いにも対応が速かったため、大きな怪我をした人間はいなかった。観客や他の出演者を全員避難させた後、ステージ上には晴香たち三人、そして新海教授と天音京子がいた。教授は手錠で拘束されている。

「私は、大きな勘違いをしていました」
晴香が、響の通訳を通じて話しはじめた。

「ヴァイオリンソナタ第一番。てっきり、コンサートのために練習してるのだと思ってました。ですが、違いました。京子さんは、新海教授に捧げるために弾いてたんです」
「それって…」
「あれは、ベートーヴェンが先生のサリエリに捧げた曲です。サリエリは、モーツァルトを毒殺した犯人とも言われてます。世間からは悪人扱いされる先生…。つまり、新海教授と同じです」
京子は思いつめたような目をして、唇を震わせた。
「あなたは、教授を支持してたんですね?」

すると京子が、堰を切ったように話しはじめた。

「私のパパはヴァイオリニストでした。でもまったく評価されず、音楽の教師の仕事をして私たち母娘を育ててくれました。そんなある日、パパが有名な音楽コンクールで優勝したんです。本当に嬉しそうでした。これで名前も売れる。そう思った矢先です」

京子は一層つらそうな目をして、先を続けた。

「パパの耳が突然聞こえにくくなったんです。治療も上手くいかず、結局、ヴァイオリニストの夢も絶たれました。教師の仕事も失って…」
そこまで聞いて、日和はあることに気がついた。
「まさか…お父さんの死因って…」
「世間では事故死となってますが、自分から車に飛び込んだんです…!」
京子の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「せめて、もっと早く世の中がパパの才能を認めていれば、結果は違ったはず…! だから決めたんです。いつか音楽の世界に復讐するって!」
京子の目は、これまでの穏やかだった様子からは想像もできない程、怒りに満ちていた。

「パパは優勝したとき、私に約束してくれました。『ベートーヴェンみたいな有名な音楽家になってやるからな』って…それなのに、自ら命を…」

京子の全身が、悔しそうに打ち震えた。

「それは違う!」

新海教授が叫んだ。
「君は勘違いをしてる。天音君の死は、間違いなく事故だった!」
「…嘘です!」
「嘘じゃない! 私は直後の現場に通りかかったんだ。彼は、道路に飛び出した子供を助けようとして犠牲になったんだ!」
京子の目が驚きに変わる。
「そんな…」
がく然として、崩れ落ちた。
「君は、『音殺』のやり方を教えてほしいと頼んできた。私は断った。しかし君は、どうやってか私の仲間と連絡を取った。それに気づいたから、今日君を止めるために来たんだ!」

晴香が口を開き、自分の言葉で語る。

「ベートーヴェンは耳がまったく聞こえなくなった後、第九を作曲しました。あなたのお父さんも、まだあきらめてはいませんでした。あなたに約束したように、『ベートーヴェン』のようになろうとしてたんです。なのに、あなたこそ自分の耳をふさいで、周りの声を聞けなかったのではないですか…!」

京子はもう何も言わず、ただすすり泣くばかりだった。

「音楽は、人の命を奪う道具ではありません…」

そう言った晴香の瞳は涙で濡れているように、日和には見えた。

京子と教授がパトカーに乗り、連行されていく。
ところが、晴香はうかない表情をしている。
「すみません。私がもう少し早く気がついていたら…」
「とんでもない! 一人の犠牲者も出さなかったのは、晴香さんのおかげです!」
日和が言った。
「教授を捕まえられたのだって、そうです! 晴香さんの振動の記憶を感じ取れる能力。おかげで、教授が舞台裏からステージの方へ行ったことがわかったんですから。本当にすごい力です!」
「いいえ、私の能力も万能ではありません。今回だって、教授の通った場所がわかったのは開演した後です。大勢の人間が近くを歩いている状況では、特定の振動だけを感じ取ることが難しいんです」

晴香は先に行ってしまった。日和が言う。
「晴香さんって、責任感が強いんですね」
響は、日和の方を見た。
「そう言えば、晴香さんってなんでコンツェルトを捕まえようとしてるんですか?」
「それは…私は知りません!」
不満そうな顔でその場を後にする響。日和は、首を傾げるのだった。

ー7年前、ドイツー 

華やかなパーティーの会場。華麗な衣装の男女が談笑する中、小さいながらもオーラを放つ金髪の女の子がいた。

「Haruka!」と呼ばれて、振り返った美少女…。

『晴香・メンデルスゾーン 12歳』

                       (第三話 おわり)


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