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ハッピーシュガーな依存と愛🍬

🍩🍭【このnoteはアニメ「ハッピーシュガーライフ」のネタバレを含みます。ネタバレがあることを考慮して読んでください】🍰🍮

「ハッピーシュガーライフ」ってアニメ知ってますか?最近知り合いに教えてもらい一気見しました。めちゃおもろでした。アニメは12話で終わるのでぜひ観てみてください。このアニメを観て考えた依存と愛について語ろうと思います。

では!まずはこのアニメの簡単な紹介から。
⚠️ここからネタバレしながら語ります!

【主人公のさとう。過去の母親とのあれこれからトラウマになり、エゴのための愛に嫌悪を示す。そんな愛の皮を被った擬似愛からは当然、愛を受け取ることができず、愛がどんなものかわからないまま生きる。空っぽのまま。
そんな中で出会ったのがエゴで愛を示してこないしおちゃん。純粋な愛に触れたさとうはしおの愛は本物だ、そして自分のしおへの愛も本物だと感じる。しおはさとうの家でほぼ監禁状態で、「2人だけのお城」なんて言って愛を与え合っている。愛に飢えたさとうはしおとの生活が脅かされないように、しおの監禁を知るやつが現れたら殺す。邪魔するやつが現れたら徹底して潰す。
そんなこんなあり、最後は2人でビルから飛び降りる。そして地面につく瞬間、さとうはさらに深い愛に気づき、しおを抱きしめてガード。自分だけ死ぬ】

大まかにはこんなことをし続けるさとうさんなんですが、俺が気になったのは愛のために人を殺すところ。邪魔するやつは指先一つでダウンさ〜って。「これは愛です」と言われるとしっくりこない。しっくりこないのはそれがイビツに感じるからです。純粋な愛になんか乗っかってるよね〜と。この感覚を紐解いていこうというわけです。

強く感じたのは依存。これは依存と愛で説明できるんじゃないかと。

まず依存とはなにかを考えると、「何かに頼って成立させること」と言える。
例えば、人は空気に依存してる。それなくして生きていけない。これは人体の都合上仕方ないし、そうすることで自分の生をまっとうすることができる。
依存でよく言われるのがアルコール依存、性依存とか。これは、本来なら嗜んだりするものを、それなしでは自分が保てなくなることで起こる。生きるためにそれを使ってるか、使われているかの違い。もう少し具体的に言うと、よくないと言われる依存は「自分の基準を他の何かの基準にすげ換えること」だと思います。タバコを例にするなら、「嗜むだけ」と主導権が自分にある状態、「嗜む」という基準を自分の中に設けられてる状態は依存してない。でも依存すると、「それがないとダメ」になる。「それ」が自分の機嫌や、思考を左右する。基準が自分の中からタバコ(それ)に移ったから。パートナー関係で、あの人はこれができない、あれができない、なんでこんなにできないの!みたいに怒鳴り散らす。こんなのがよくない依存だと思います。
よくない依存もよい依存も、二つの物事で片方が成り立たないと片方も成り立たなくなる。これが「依存関係にある」と言える。なので「何かに頼って成立させること」。

そして愛とは「存在することを信じていること」。これが「生きることの承認」に繋がる。生きる力を引き出してくれる。
許すことが愛と言われたりしますが、許すことそれ自体が愛なんじゃなく、愛があるから許せる。セックスやボディータッチなんかも、存在していることをお互いが承認してない(信じていない)とできない。触れるって、その時点で相手が存在することを認めているから。愛があるからこそ厳しいというのも、生きられるように(生きる力を育てるように)ですよね。生きて欲しいから厳しくする。現実に対処するには対応できるようになる必要がある。そのための厳しさですよね。優しさも愛が生む。優しい人って、こんな考え方もあると認めてくれるとか、何か手を貸してくれるとかそういう人に言ったりしますよね。つまりそれは「生きることに力を貸してくれる人」だと思います。色んな在り方を認められるから、色んな可能性を頭の中に持ってる。生きていく中で辛い経験をすることや、苦しんで感情的に発言してしまうこともあると想像できるから。だから優しい。

さて。ここまで長かったですが、ようやく依存と愛が出揃いました。それでは依存と愛の城を建築します!

承認の不足から自分自身の想いに自信がなくなる。すると自分を出さないようにする。承認されなかった自分はもう使えない(出しても承認されないことが見えてるから)ので、他の何かを頼ることで自分の代わりにする。そして自ら依存先に支配される。それで満たされようとする。でもこれは依存先の基準を使っているだけで、自分の基準が満たされるわけではない。なので心から満たされることがない。
でもこの根源は自分の基準に対する承認の不足なわけで。だとしたら、ちゃんと愛を感じるには自分の基準で何かを表出する必要がある。さとうの場合、愛を今まで受け取れなかったのだから、絶対に手放すわけにはいかない。なので何があっても、どんな手段を取ってでもこの依存関係を継続したい。そしてしおに嫌われないために、しおにも自分を誤魔化す。そうして依存を継続する。

面白いのはここから!

自分が相手の愛に依存していても相手がエゴではない愛で接してくれる場合、それは生きることの承認を得ることになる。どういうことかと言うと、自分が依存心で向かっていたにも関わらず、依存的な自分も、自分を見失った自分も、それを隠したい自分も、全部を受け止めてくれる存在=愛を感じ、「本当にこの愛は裏切らない愛なんだ」と理解すると、つまり信頼が生まれると、その依存が必要なくなる。なんせ本来の自分を受け止めてくれるんだからわざわざ依存する必要ない。相手に対して信頼があるなら、依存した仮の自分を見せるより、素の自分を見せた方が楽。どのみち受け止めてくれることは目に見えてるから。このことにより依存がなくなっていく。つまりエゴではない愛が依存を破ることができるということです。
そしてアニメで言うと、最後の飛び降りているさとうの中でそれが起こった。だからさとうはしおがくれた愛を今度はしおに与えるために守った。しおが生きることを願った。

以上がこのアニメを観て考えたことでした。
なのですごく面白かったなぁと思ったわけです。

番外編ですが、よくない依存が「自分の基準を他の何かの基準にすげ換えること」だとすれば、逆に自立とは「自身の基準を元に何かを頼って生きること」だと言える。「依存先を増やすこと」とよく言われますが、それだと悪い依存も含まれるので注意が必要だと思います。この言葉は基準が自分にあることが前提となっている。そこを間違えなければ合っているかなとも思います。まぁどんな言葉でもいいんですが、自分の基準があり、その上で他人を頼ることができればそれは自立だということです。
でも自立のためには自信が必要で。そのためには承認が必要で。そのためには愛が必要で。
なので、そのようなイビツなエゴを生まないためにも、人を無視したり己のエゴにのまれたりしないように自分を自覚する必要があるということです。

おしまい🍫

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