見出し画像

芸術大学で生成AIの特別授業をしてきた

ハイライト:特別授業のアンケート結果

授業満足度:96.8%(非常に満足、満足と回答した割合)

生成AIに対する印象変化 :70.9% が良くなったと回答

生成AIの利用意向変化 74.3%がより利用したいと回答

特別講義レポート:生成AIとデザインの共生 - 創造性を拡張する実践と学び -


不安と興奮が渦巻く教室。2024年6月1日、私は関西にある芸大の成安造形大学の壇上に立っていた。主に情報デザインを学ぶ学生さんに向けた特別講義である。「生成AIとデザインの共生」をテーマに、彼らと共に生成AI時代のデザインや学びを探索する約2時間半が始まろうとしていた。

今回の講義には、学生だけでなく、多くの先生方も参加していた。今回ご依頼いただいた先生方にヒヤリングした際に引き出された課題意識は、まさに生成AI時代の教育における大きな問いだった。

・学びと生成AIのバランス: AIを活用しながら、学生の学びを促進するにはどうすればいいのか?

生成AI時代の倫理観: 著作権、倫理、社会への影響など、生成AIに関わる倫理的な問題をどのように教えるのか?

急速に進化する技術への対応: 生成AIは過渡期にあり、数年後には全く違う技術になっている可能性もある。この流動性とリスクにどのように対応すればいいのか?

将来必要とされるスキル: 生成AI時代において、デザイナーに求められるスキルはどのように変化するのか?企業はどのような人材を求めているのか?学生が社会に出るときのために真剣に考えたい。

AI生成物の評価: 学生がAIで制作した作品を提出した場合、どのように評価するのか?どこまでを許容するのか?



などなど…

もちろん、学生がどんなことを考えているのか私なりに予想していった

・私不要論:生成AIがやってくれるなら、私必要なくない?

・無に返すディストピア思考:今やっていることが将来役に立たなくなるんじゃ?

ということで、講座の最後に以下のスライドを用意して答えていくことにした。



この授業を通じて感じている想いを徒然なるままに以下の記事に分けて記している。生成AIは学生の自己アイデンティティや創造性に与える影響や、その影響が教育現場や倫理的課題に強く関わっている。




生成AIは「悪」? 「希望」?学生たちの率直な声が集まる

講義冒頭、私は学生たちに問いかけた。「生成AIと聞いて、どんな印象や想いが浮かび上がりますか?」スライドに映し出された回答は、彼らの率直な気持ちを映し出していた。


「将来私たちの存在が不必要になるのではないか…」
「正直不気味。パッと見た時違和感を感じてしまう。」
「人の仕事がなくなる」
「権利関係などが難しそう...」
「ちょっと気持ち悪い絵がでてくる」

リアルタイムアンケートを取りながらインタラクティブに進行した

予想通り、不安や懸念の声が多数を占めた。ニュースなどで頻繁に目にする「AI脅威論」の影響もあるのだろう。

しかし、同時に「上手く使えば強い味方になる」「制作の効率化につながる」「たのしそう」「絵が描ける」といった期待や好奇心もちょっとばかり垣間見えた。

特に印象的だったのは、「正直不気味」「ちょっと怖い」といった言葉だ。未知のテクノロジーに対する漠然とした恐怖心、そしてそれが社会にもたらす影響への懸念が、学生たちの率直な言葉から伝わってきた。


まさに、生成AIは、私たちに希望と不安、両方の感情を抱かせる存在なのだ。

私自身も、この新しい技術の持つ計り知れないパワーに日々葛藤している。

生成AIと聞いて否定的な感情を持つことは、むしろ自然なこと」、「正直、毎日不安です」と、つい自分の本音を学生たちに明かした。

重要なのは、その感情とどう向き合い、AIとどのように共生していくかを考えることだと強調し、講義をスタートすることにした。


この率直な言葉が、学生・教師たちの心を動かしたのかもしれない。硬かった表情が徐々に解け始め、教室の雰囲気が少しだけ温かくなった気がした。彼らは、AIに対して複雑な感情を抱きながらも、その可能性を探求しようと、この講義に集まってくれたのだ。

生成AIはどこまで来ているか:デジタルヒューマン、ロボット…


生成AIの可能性や現状どこまできているのか知ってもらうために、私は様々な事例を紹介した。

教室の後ろには先生方も多いようだった

一般的にここまでできると思っている人は少ない。
XやSNSを見ていると感覚がおかしくなる。

教室の空気が変わった。驚きと興奮と不安が増した独特の空気感をつくりあげていた。

そもそも、デザインとは何か?

今回は、情報デザインを学ぶ学生さんが多く、また学年にもばらつきがあるので「デザイン」とはなにか簡単に説明する必要があった。


そもそもデザインとはいったい何なのだろうか?


これにはあらゆる定義や説がある。ただ、私の中にあるいくつかの定義のうち好きなものを紹介したのだ。

「デザインとは、複雑な現実を解きほぐし、単純化して形にしていくプロセス。またユーザー体験を通じて、新しい文化や価値を形成し、未来を作り出す能力を持っている」と。

デザインプロセスを「なぜ作るのか(WHY)」「何を作るのか(WHAT)」「どのように作るのか(HOW)」の3つの段階に分けて補足した。

生成AIの台頭により、HOWの部分は大きく変化しつつあるが、WHYとWHATの部分、つまり「なぜそれを作るのか、どんなユーザーの課題を解決するのか、どんな社会を作りたいのか」といった部分がより重要なっていると感じている。

デザインプロセスへの応用:実践、そして学生たちの「?」


「一般業務やデザイン業務にどのように生成AIが活用できるか?」

幸いなことに、色々な人に聞かれる。

ここでもデザインの営みの中でどこまで実際に組み込むことができるのかそれを実感してもらうべく、フレームワークを示しそれらを補足する形で具体的な事例を交えながら解説を進めた。

詳細は割愛するので興味があれば本フレームワークについて記事を別に書いたので参考にどうぞ👇


これらの事例を通じて、生成AIがデザイナーにとって脅威ではなく、創造性を拡張するための強力なパートナーとなりうることを少しは感じ始めてくれたのではないかと、学生たちの頷きから感じていた。


しかし、学生・教師たちの頭には、新たな疑問が浮かんでいただろう。

「AIに頼りすぎて、自分のスキルが衰えないか?」

「著作権の問題は大丈夫なのか?」

「本当に将来、デザイナーの仕事は無くならないのか?」


AIに仕事を奪われるの? AI との「共生」の未来


講義の中で、学生から多くの関心事に「AIに仕事を奪われるのではないか」というものがあった。

私自身も、生成AIの進化によって、自身の仕事やスキルが陳腐化してしまうのではないかという不安を感じたことがあった。

しかし、AIと向き合い、活用していく中で、「AIが現在の人間の仕事を一定数奪うことは否定しない。ただその中で、むしろ人間の創造性を拡張し、新たな可能性を切り開くパートナーとして向き合う。」と話した。


とくにデザイン文脈においてAIと共存していくためには、


1.まずは「人間中心デザイン」の本来の意味を見直し、「人類至上主義」的な考え方から脱却することが必要だ。「人間中心設計」は本来、技術やビジネス主導の設計に対して、人間の視点を取り入れることを重視する考え方である。

しかし、その言葉が誤解され、行き過ぎた解釈をされることで、気づけば「人類至上主義」に陥ってしまうこともある。(だからこそ、私は「人間中心設計」という言葉の安易な使用には慎重であるべきだと考えている。)

2.そして生成AIの登場によって、デザインの前提そのものが大きく変化しつつある。従来の「人間中心デザイン」の枠組みでは、AIの可能性を十分に引き出すことが難しくなってきていると感じる。

むしろ、AIを中心に据えて設計することが、結果的により良い人間体験につながるというパラドックスがあるのかもしれない。

AIを単なるツールとしてではなく、人間と対等な創造のパートナーやある種の運命共同体として捉えるならば、「人間中心」という言葉自体が上手くカバーしきれていないかもしれない。

AIがより良く機能するために、人間がAIに合わせたデータや学習方法を提供するといった、従来の考え方とは逆転の発想が必要となる


少なくともAIは人間の創造活動の養分となり、人間のアイデンティティの一部となることも近い。



ただ一つ残酷な昨今の現実を突きつけると、

生成AIを使いこなす能力は、結局のところ、自身の能力に比例することだ

「生成AIを使いこなす能力は、結局のところ、あなた自身の能力に比例します。AIの特性を理解し、その可能性を最大限に引き出すために必要なのは、あなた自身の創造性、問題解決能力、そして、学び続ける姿勢なのです。」


とメッセージを彼らに残したが、これは常にブーメランである。


ガイドラインは?倫理や著作権は?


昨年末、慶應義塾大学のとあるゼミに向けて生成AIとサービスデザインについて話をしてきた時のことだ。学生が私に投げかけたのはAI倫理やアライメントに関する問いであった


私の専門ではないが知っていることや考えを自分なりに話したつもりだ。学生時代から生成AIの倫理的・社会的影響について問題意識を持っているのは、将来に向けて重要な視点であろう。


生成AIを利用する文脈においてもきっと学生・教師が関心を抱いていると思い、説明した。

支援先であるトヨタコネクティッドで作成した、従業員が業務で活用するうえでの生成AIガイドラインに加えて、

著作権:著作権の考え方、LoRAなどの追加学習の是非、コンテンツ認証の動き その他
倫理:死んだ人をデジタルに蘇らせる是非 その他

トヨタコネクティッド 生成AI活用ガイドライン
LoRAデータを共有する某サイト
AIで死者をデジタル復活させるサービス

など、ホットトピックについても触れた。
これらは、多くの創作者が向き合う可能性がものだからこそ、知っておいてほしかった。


「人類の英知」を押し上げられるかも:だから、私は仕事を辞めた


最後に私は、前職7年間勤めた楽天を退職した理由の1つを話すことにした。

恥ずかしいので割愛するが、ざっくりいうと生成AI界隈に片足身を投じた理由は「今まで以上に多くの人が、人類の英知を押し上げることにちょっと貢献できるかも」と調子にのったからだ。

気になる人は、Matt教授の「人類の英知の円」の話を読んでみてくれ。


AIによる自己否定(AI アイデンティティ・クライシス)を繰り返しながらも、でも「楽しそう」という好奇心を持ち、必要以上に恐れずに触れ、学び、実践していくことを伝えたかった


5. 生成AI時代を生き抜く:共生、そして学び続ける姿勢

講義の最後には、生成AIと人間の「共生」について、私の考えを学生たちに伝えた。

「私たちは、AIを支配するのではなく、共に進化していく道を選ぶべきなのかもしれません。AIを理解し、その可能性を最大限に引き出しながら、倫理的な課題にも向き合っていく必要があります。」

テーマであった「Symbiosis」とは、ギリシャ語の「Syn」(一緒に)と「biosis」(生活)に由来しており、異なる種の生物が互いに利益をもたらし合いながら共に生活する関係を指すのだ

つまり、「人間のためのAI」というコンセプトよりも相互に利益をもたらしあいながら生活する関係性をコンセプトとしている。

結果的に人間のためになるのだろうが、このニュアンスの違いが大切なのだ。


終わりに

まとめると約90分の講義を通じて、以下4つのことが達成できたなら私は嬉しい。

1.デザイナーとしての価値をレバレッジ
これから“”デザイン“”の領域で、既存のデザインスキルを活かす方法を理解する。

2.生成AIの共生してくための現実・知識・マインドを知る
AIに関する基礎的な仕組み、社会的な論点を理解すること。また、生成AIを単なる素材生成ツールではなく、自分の思考能力や五感を拡張する存在としてのマインドを知る。

3.今日から付き合っていくためにまずは触れる
生成AIを肌で理解するために、まずは触って自分ごと化する。

4.生成AI時代の学びのあり方をアップデートする

とはいえ、もっと簡単にいうと….

ここだけ切り取るとひんしゅくを買う恐れもあるが、こんな生成AIがある人生も楽しそうかもしれないと前向きな気持ちになって貰えたら良かったのだ。

講義を終え、そのあとは生成AIを活用したストーリーボード作成のワークショップを行った


ワークショップの様子

また、終了後は直接学生さんからの質問を受けたり、先生方に囲まれながら授業の振り返りやディスカッションに花を咲かせた。




果たして、私は彼ら心になにか残すことができたのだろうか


探索と世の中にアウトプットし続けるために私は正社員やめたのに、
今の自分は十分と言えるのだろうか


来年もしも機会があったときに、
恥ずかしさなくまた葛藤もありながらも
楽しそうに学生の前で目を輝かせて授業ができるだろうか


帰り道に琵琶湖を横目で眺めながら、そんな自問自答を繰り返していた。


奥に見えるのが琵琶湖だ


この授業を通じて見えてきた課題やチャンスについて徒然なるままにまとめたので、ぜひこちらもご覧あれ。





いただいたサポートは、記事を書くモチベーションをあげるためのグミの購入に使わせていただきます!