都市平泉の日常生活|No.148
こんにちは、なべしょーです。
11月13日(金)の振り返りをします。
セラミックス協会の招待講演を傍聴しました。そのメモをいかに示して本日はおしまいにします。
平安時代と平泉
奥州藤原氏が4代にわたって12世紀発展させてきた都市。実はこの時代の東北は戦乱の時代であり、それを制したのが奥州藤原氏である。北方の王者と京都などから認識されていたのだそう。
平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群ー」という名前で2011年世界遺産登録されています。
中尊寺金色堂は1124年に完成、安部氏清原氏ら4家の合作である。中には藤原清衡から4代のご遺体がお治められている。5.4m四方の外観と、実は小さい。
石英の中に砂金が入っていてそれを発掘、加工してようやく緊迫が得られた。画像を見る限り、骨の折れる作業である。
文化の日に春日大社万葉植物園で浮いている島で催し物が行われる。
かつて10~15万人住んていた。構成員は、奥州藤原氏とその家族、あるいは今日下りの下級役人とその家族
家臣団とその家族、一般庶民
承認、僧侶
高野山興福寺比叡山延暦寺、宗徒が3000人ずつくらいいた。
平泉滅亡
西国:平氏、鎌倉:源氏、奥羽:藤原氏の三国志状態。1189年に滅亡。
高館、源義経が滞在したところ。
庭園内は中島を囲むように池が整備されている。
p.s.
ポケモンが好きです。絵を書くのが好きです。が下手です。なので写します。
noteを毎日更新するためにポケモンを書きます。
本日はNo.148『』。
読んでいただきありがとうございました。
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