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同じ障害でも、人間いろいろ

先日、知り合いの方とのお話で、「障害は、君と同じ脳性まひだけれど
ヘルパーさんは、自分が要求する時間つけて欲しい。ただ、街中で知らない人に「困っていることはありませんか」、「お手伝いしましょうか」と声をかけられることは、嫌に思っているとのことだった。この苦しみをわかって欲しいと、その方は講演活動もしているという。

その知り合いの方は、「街の人に声をかけて欲しくないという気持ちはどこからくるのだろう」と不思議がられていた。

これはあくまで私の憶測ですが、ヘルパーさんを自分の必要な時間だけつけて欲しいというのは、健常者ように「自由」に動ける時間は確保したいという想いなのではないか。

また街の人に「お手伝いしましょうか」と声をかけられると、嫌な思いをするのは、ヘルパーが同伴していて、大丈夫な状況なのに、声をかけられると障害者だから、優しくしてあげないといけない、もしくは健常者と比べて下に思われているのではないか、障害者も健常者も関係なく対等に扱って欲しいという想いからなのでないか。

知り合いの方は、私のように明るくはなれないものかと心配していた。
街の人が障害者を見かけたとき、「お手伝いましょうか」、と声をかけをすることも大変であるという「相手」の視点も入ってくれば少し変わるのではないか。

私は、特別支援学校から普通学校に転校することなどたまたま「相手」の視点を知る機会があったから、その人に比べて少し明るいだけで
特別支援学校を卒業して、ヘルパーさんをつけていて生活していたら
そのような性格になっていたかもしれない。

周りにとっては、性格が明るい方が接しやすいが、世の中には様々な人がいることも受け入れることも大事と感じる。(これは障害の有無に関係ない)

ただ、今回のように「自由」や思い通りの「自己決定」ができずに思い悩んでいる人が多いことも確かだ。

自分の境遇を受け入れてみることで、次にやるべきことも見つかってくるのではないか。

その私と同じ障害を持った方は。女性だということだった。女性だと街中で頼むことは男性よりも大変で、普段のコミュニケーションも「共感」などを求める機会も多くなり大変なのかもしれない。

最後まで読んでいただきありがとうございます。