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からだ手帖 3月

ズレてない

 最近、やっと「その人の今」に対応できるようになってきた気がする。その感覚。
 そんなの学校卒業して国家資格取ってるんだから、最初からできてるでしょ?
 そんな声が聞こえてきそうだが、理学療法士の学校で知るのは、解剖学や体の仕組み、検査法などの、いわゆる「理屈」だ。
 観察や計測に基づいた「仮説」を立て、それを改善できそうなプログラムを考えて、相手に伝えて実践してもらう。
 そういうもん、だと思ってやってきた。でも、やりながら、どこか、つかみどころのない何か、患者さんとの「ズレ」を、私はいつも感じていたのだ。私だけ分かってない?の恐怖と一緒に。

 唾液も少しずつ誤嚥(飲み込んだものが気管に入ること)している患者さんがいた。口からしか水分や栄養が取れない環境で、私はセラピストとして、その方の姿勢をクッションで調整したり、口を閉じて咀嚼することやスプーンですくう量をお伝えしたり、色々やってきた。
 ご本人はその時、理解はされる。けれど、咳が始まると、喉の違和感を感じ、「なんか引っかかっている。お茶欲しい」と言われる。咳き込んでいる途中でとろみのついたお茶を飲んでも、余計にむせこむことを見てきた私は、「咳がおさまってからにしましょう」と毎回伝えてきた。

 苦しい時に、そんな落ち着いて考えられない。お茶飲んで、早く流したい。

 そんな気持ちで、お茶欲しい、とその方が言っている、のだと、私は思っていた。そしてそれを、余計むせるからダメ、と、お互い強く押し合っているような感じに毎回なるのだった。

 咳が出るのは、良い事なんですよ。

 その方を診た医師の言葉を思い出した時、その押し合いみたいな空気が、ぐわんと回った。

 じゃあ一口、飲んでみましょか。

 ストローをその方の口に寄せる。スッと吸い上げて少し口の中で回した後、すぐ飲み込まれた。
 咳が出る。でも、さっきよりも高い音、濁っていないクリアな音?な気がした。
「ちょっと流れましたね」
「うん。楽になった」

 2人の間で、何かが、合った感じ。
 誤嚥も、咳も、何も解決していないのに。
 喉をスッキリさせたい。
 「して欲しい」ではなく。
 本人が得たいのはスッキリ感。咳を止める事じゃない。

 その後も、2、3口食べては咳が出るのは変わらなかったが、今までとは違って、落ち着いた空気が流れていた。
 今ここで、何に向かっているのか共有できている安心感。お互いの歩調があったやり取り。

 ズレてない。

  

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